WEEKLYセノナリ(2/3,4)
お題:足音
 季節が巡り、春の足音が聞こえる頃になった。人々の世界は再び色づき始め、卒業を控えた学生たちもラストスパートとばかりに忙しく駆け回り、その表情はいかにも必死そうではあるけれど生き生きとした活気が感じられる。稲妻などではもうじき名物の桜がつぼみをつけるころで、稲妻人はそのはかない美を見届けることで春の訪れを知るのだそうだ。もっとも、一年中草木が生い茂り、気温も湿度もいつだって高いスメールの森にとっては、色鮮やかな鳥たちのさえずる声が少し大きくなるくらいのことからしか感じられないことかもしれないが。春を目前としたある日、セノはまた例外なく春を迎えつつあるガンダルヴァー村を訪れ、お目当ての人物を探していた。砂漠出身のセノは、季節に対する鋭い感覚はそれほど持ち合わせていないが、心なしか森に若い色が増えているように感じた。他のマハマトラたちにさすがに休みをとってくれと懇願されたので、セノは数日間の休みをガンダルヴァー村で過ごすことに決めた。マハマトラたちはセノに体を休めてほしくて半ば強制的に休みを取らせたことだろうが、セノにとって体を動かすことはルーティンワークであり、休みに家でゆっくり過ごすというのも性に合わない。さすがにマハマトラの仕事は行えないが、森を歩き回るくらいなら問題ないだろう。ティナリに顔を見せるついでに、レンジャーのパトロール業務を手伝おうと思ってきたのだ。大マハマトラが森を歩いていても、ああレンジャー長に用事か、と見慣れているガンダルヴァー村の面々はセノに対しても大げさな反応は見せない。ただ挨拶を交わしたり、ティナリが不在のタイミングにはそれをたまに伝えてくれたりするくらいだ。そのように軽い挨拶だけ交わし、そのまま澄んだ水の流れる川に架かる橋を渡り、ティナリの家に向かう。耳のいいティナリは、来客の存在を感じ取ると様子を見に外まで出てくることがあるが、今日はかかりきりの作業でもあるのか、姿を見せないから自室だろう。まあもっとも、その行為には警戒の意味も多少込められているのだから、セノだと分かればわざわざ出て来ないのだが、セノはそれを知らない。そのまま歩き、穏やかで密な森を横切ってセノはティナリの家までたどり着いた。
 森の気配に混ざり、ティナリのそれもうっすらと感じ取れるから、やはり居場所はここで間違いないようだ。事前に伝えた来訪ではないから、入ってもいいか、とお伺いを立ててからドアを開けた。ティナリは、机に向かって書き物をしていた。羽ペンの流麗な動きと時折揺れるつやつやの耳がきれいだった。
「ティナリ、久しぶりだな」
「セノ。久しぶりだね、今日は何か用事?」
「いや、用ではないが、休暇をもらったからな。会いに来た」
「そうなの?セノがおとなしく休むなんて...」
セノがめったにまともな休みを取ろうとせず、平気な顔をしているのは当人ばかりで、周囲はセノにオーバーワークをやめさせようと苦心していることをティナリも知っている。ティナリの声は揶揄するような響きをはらんでいた。
「マハマトラの業務はしないが、レンジャーの仕事ですることがあるなら手伝おう」
そう言って、セノは整頓され掃除も行き届いた部屋を横切り、変わらず椅子に腰かけたティナリの方へ歩みを進める。友人距離まで近づいたところで、ティナリはふう、とため息をついてこちらを振り返った。休みをようやく取ってきたと思ったら、なお別のところで働こうとするセノに呆れでもしているのだろうか、とセノは予測を立てた。そういう性分なのだから、こればかりはどうしようもないのだが。
「セノ。」
「なんだ」
「体調は?それともけがでもしてるのかな」
じっとりとした目を向けられる。いやまさか。目線を下げて黙り込み答えないセノに、ティナリは追撃する。
「僕の耳をごまかせると思ってるの?通常の足音には聞こえないし、君、少なくとも万全の体調じゃないでしょ」
目を逸らす。足音の違和感から体調不良を察知されるとはセノも思っておらず、さすがにその観察眼、いや耳に舌を巻いた。しかしセノもここで引き下がりたくはなかった。
「問題ない。確かに万全ではないが、大したことでもない」
「だめ、おとなしく休んでな。いくら君の体が丈夫でも、体調不良の人間に森の見回りの手伝いをさせたと知れたら、レンジャー長の僕のメンツにも関わるんだよ」
突っ立ったままのセノに、とりあえず座れと近くの椅子を指し示し、ティナリは続ける。
「助けてくれるのはありがたいよ、でも療養が先だ。体調を崩すようなことの心当たりは?」
黙っていたのは余計な心配をかけたくなかったからだ。森のパトロール、森で発見したけが人や迷子の保護、後続の教育と、ティナリの仕事が山積みなことをセノは知っている。迷惑をかけにいきたくはなかったのだ。そして、
「...業務の都合で、真夜中に走り回った。雨だったな。その後無事ターゲットを捕縛して、そのまま次の仕事に行った」
「は?休憩も、温まりもせずに?」
「いや...」
「呆れた。風邪くらいひいて当然じゃないか!」
理由が理由だったのだ。春が近いとはいえ、真夜中、ましてや雨の降りしきる夜は、温暖なスメールといえども冷える。雨の夜中に走り回ってそのまま寝たら風邪をひきます、なんて子供でも知っている。ティナリは額を抑え、今度こそ本気で呆れた様子だった。
「ありえない...体調管理も仕事でしょ?なんでそんなわかりきったことを...だいたいさあ......」
自分の行動がよくなかったことはセノもしっかり自覚していた。体調不良に気づかれたら間違いなく小言が飛んでくるし、やっぱり聞きたくはなかったが、すべて吐かされたセノは申し開きもできず、押し黙ってありがたいお小言を頂戴するしかなかった。しっかり叱られて、セノが十分にうなだれたところで、ティナリはお叱りを中断し、
「これに懲りたら体調管理はしっかりすること!そこにベッドがあるから、今日は休んで、いいね?」
と言った。それにおとなしく従い、ティナリのベッドに横たわったセノが遠慮がちに口を開く。
「今日は森に行くと聞いた、俺も一緒に行きたかったんだ」
セノは、道中で挨拶を交わしたほかのレンジャーたちからティナリの予定を聞いていた。セノが尋ねたわけではないが、セノの関心事は明らかであったため、彼らが気を利かせて教えておいてくれたのだ。そんな理由だったのか、とティナリは目を丸くした。さすがに足音から用件まではわからないし、そんな理由でわざわざガンダルヴァー村まで足を運んできていたとは思わず、驚いた。
「もちろんきちんと見回りを手伝う気でいたが、お前と一緒にいたかっただけだ。結果的に、お前に手間を掛けさせることになってしまってすまない」
セノは申し訳なさそうな様子で言い募る。残念ながら見回りには同行できないし、ティナリはレンジャー活動の統括をしなければならないから、セノの世話にかかりきりではいられず、一緒にいることは叶いそうにない。しかしそんなセノの態度とは裏腹にティナリは、意気消沈したセノを見ておかしそうに笑った。だってあの大マハマトラが、自分と一緒にいられないくらいのことでこうも落ち込んで、さみしそうにしている。まるで心底愛されているみたいだ。事実そうであることはお互いにわかっているけれど。
「数日の休暇って言ったよね、ここには何日かいるつもりだろう?」
「ああ」
「それなら、さっさと治して明日から手伝ってよ。こき使ってやるから覚悟してなよ」
わざとらしく添えられたこき使うなんて言葉にもティナリの優しさが垣間見えて、セノの表情にも光が戻った。
「ありがとう、ティナリ」
「はいはい。くれぐれも今日は休んで。」
「わかった」
セノが静かに寝る体制を整えたのを見届けて、ティナリは再び目の前の書類と向き合った。健気な大マハマトラ様のために、本日のパトロールは代わってもらうことにして、今日中に書き物をなんとか終わらせてしまおうと算段を立てながら、書類を前にしているにしてはほころんだ顔でペンを手に取った。
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