ノクシャス
構成
①茉莉といる布引視点
②茉莉回想
③望月の想いと擦れ違い
④仲前の用意した脱出口
⑤雨継の正体
頑張って③まで今日書けたらいいなあ、って目標
興奮した荒い唸りを含んだ息遣いで茉莉は布引の肩に容赦なく嚙みつく。会話が届かない程度の距離まで来ると、布引は立ち止まって少女を包み込むように抱き締めながら頭を撫でる。
「びっくりしたねぇ。よしよし」
「ふー! ふー!」
怒りか悲しみか、茉莉のやせ細った体は震え続けていた。
成り行きに任せれば茉莉が変貌する。
直感が布引の体を押した。茉莉の感情はバックドラフトだ。燻って小さくなったように見える炎が強い気流に触れた瞬間に爆発して膨れ上がり巨大な炎となる。それが単なる罵詈雑言で済むなら良いが、未熟な少女が吐き出しているのは明らかにSOSだ。望む相手から求めた答えが得られなければ絶望に触れる。
このような偶然はあり得ない。布引の脳裏には蝙蝠の干渉が過る。そもそも勾月村の名前を最初に出したのが誰だったのか考えれば全て罠だったと確信さえできる。
普通なら聞こえないあちら側の会話が布引の耳には届く。
布引は努めて穏やかに茉莉の心に踏み込んだ。
「あんなに緊張した羽秋さん初めて見たよ。茉莉は、特別なんだね」
憎悪の燃える目が布引を睨みつける。
「あんた、あいつの女なの」
「違うよ」
地を這う様な声にニッコリ即答すれば嘘を暴き立てようと視線が絡みついてくる。これ以上は弁明しない。真偽のつけようがない他人の吐く言葉など茉莉には価値がない。
「私達は鬼退治に集められた精鋭部隊なんだ。犠牲者を大勢出している怖い殺戮者をやっつけてってお願いされちゃってね。なんせ私は世界最強だからさ!」
しばらく敵意に満ちていた茉莉は険しい顔で視線を降ろした。
「……ばっかみたい」
「ふふ、そうかな? お望みとあらば八岐大蛇(やまたのおろち)だって仕留めちゃうつもりなんだけれど」
布引
話し合いができるところまで茉莉を落ち着かせたい
何があったのか把握して正確にフォローしたい
失敗したくないプレッシャー
・あくまで客観的 中立 冷静な視点で茉莉に望月の情報を渡す
・望月を褒めたり、貶し過ぎてはいけない
・嘘をついてはいけない
・望月を好きか嫌いか茉莉に問いかけない(受け止めきれていないから)
・ワンコの正体を確認
・一人になった経緯を知っておく
本来なら時間をかけて空白の時間を埋めていくべきだろう。お互いの事情を知れば、望月は丁寧に茉莉に寄り添える人格者だ。上手くいかなければ布引とて協力は惜しまない。
圧倒的に猶予が足りない。
いっそ気絶させて問題を片付けてから、暖かい部屋で毛布にくるんで治療と薬と甘い物をたっぷりと与えた環境で話し合いをさせたかった。子供達に与えられるべきなのは冒涜的な地下牢ではなく、お天道様の見える安全な地上だ。
声に出さず暗闇に向けて「どいつも、こいつも」と憎悪を漏らす。
そして頭に浮かぶのは、今も何処かでシザーに囚われたまま彷徨っている愛弟子だ。
淀んだ空気を吸い込んで布引は笑みを深める。
「ねえ、茉莉。少しの間だけ私の仲間の悪口を聞いてくれるかな」
「はあ?」
怪訝そうな茉莉が否定を口にする前に布引は拳を握って力説する。
「ここに一緒に来た顔に傷があったおじさんいるでしょう。私、あの人と大喧嘩中なの。朝には取っ組み合いもやったよ。ぶっ飛ばしてやろうってね。丸金を大事にしてくれないし、止めてね、ってお願いしたことばかりやるんだもの。今、大っ嫌い! 改善するまで他人行儀に苗字で呼んで怒りを主張してるの」
「大人のくせにガキみたいな事を」
「茉莉は大人なんだねえ。私はいかに嫌いな人が酷いか触れ回ってやりたいよ。だって、黙っていたら村上君のあくどさは誰にも伝わらないじゃないか。なんなら終わったことにされて強引に仲直りさせられてしまうかも」
「その話って、あたしに関係」
「関係はあるよ。茉莉は私と村上君どっちが悪いと思ったかな?」
「そんなの知るわけないじゃない!」
「そうだね。羽秋さんも君の語るご両親の悪事を知らないんだ」
少女の口撃(こうげき)が止む。
「思い知らせるべきじゃないか。だって、こんなに茉莉が悲しくて寂しい想いをさせられたのに、知らないから普通の親を想像して否定したんだ。謝らせたいじゃないか。茉莉を手放した事を間違いだったと認めさせたいじゃないか」
傷だらけの小さな手を握り締めて噛んで含める様に誘導する。
望月が想いを受け止めた事を感じれば、茉莉もきっと望月の答えに耳を傾ける。答えさえ間違えなければ茉莉を絶望から掬い上げられる。
うつむいた茉莉は薄く口を開いて、唇を噛み締め、布引の手に爪を立てる。
あの日、茉莉達は足音に追い回されていた。
ベトベト張り付くような足音は人や動物ではありえず、全力で撒こうとしても一向に距離が開かない。配慮もなく父親に握り締められた二の腕の痛みを食い縛りながら茉莉も必死に走った。曲がり角で垣間見えたのは人の皮を着ぐるみの様に被った何かだ。
母親は荷物を投げ捨てて先頭に躍り出る。
追いつかれたら最後尾にいるのは茉莉になる。どうやって殺されるのか想像しながら走った。足がもつれるたびに無理やり引きずり起こされる。
「もう駄目だ。これしかない。これしかないんだ」
喘鳴を上げながら父親が茉莉を手放した。酷い姿勢で投げ出された茉莉は容赦なく頭を岩壁に打ち付けた。
「あぐっ!」
異変に気付いた母親が立ち止まる。
「茉莉!?」
「止まるな! 気をしっかり持て。立ち止まるんじゃない!!」
「だって、ああ!! そんな、茉莉が、貴方……」
「辛くても進むんだ。犠牲を無駄にしないために君だけでも生き延びるんだ!」
ぼんやりとした茉莉の目に映ったのは一目散に逃げていく二人分の背中。
「ごめんなさい、ごめんなさい、愛してるわ、茉莉!!」
薄れていく意識の中で聞こえた言葉の意味は理解できなかった。
次に目覚めた茉莉の周りには誰も何もいなかった。
母親の言葉が蘇り、もしかして迎えに来てくれるかと待ったが何日経っても戻ってはこなかった。助けにも、弔いにも来なかったとは考えたくなかった。だから茉莉はこう考えた。
死んだに違いない。
ざまあみろ。
置いていかれた私の方が生き延びた。
茉莉は廃墟となった家に戻って数日を過ごした。周辺では時々悲鳴や魑魅魍魎の声がしても何も感じなかった。何を食べて何をしていたか思い出せない。間延びした不気味な声が「たっきゅぅぅびぃんでぇす」と一日中玄関を叩いても起き上がる気にもならなかった。