唐突に電話が鳴ったのは夜のことだった。
 ちょうど燈子と話をしていて、なんとなしにそういう雰囲気になってきた時だったものだから、お互いなにも言わずとも水を差された気分になってしまった。
 こんな時間に誰が、と名前だけ確認しようとして、液晶に浮かんでいた名前にえっと驚きの声を上げた。
「佐伯先輩?」
「沙弥香?」
 佐伯先輩がこんな時間にわざわざ電話をかけてくるなんて、よっぽどのことだろう。すぐにアイコンタクトを交わして、わたしは通話ボタンをフリックした。
「もしもし、佐伯先輩?」
『……小糸さん?』
 あまり電波の調子がよくないのか、声が遠くノイズが走っている。
『ごめんなさいね、こんな時間に急に』
「なにかあったんですか?」
『ちょっと困っちゃって』
 相当な事態かと思いきや、佐伯先輩の声色は軽い調子だ。そこにまずはホッとして燈子に目配せする。燈子も胸を撫で下ろしていた。
 それはそれとして雰囲気を壊された文句は今度言おう。うん。
『今日ハルと出かけてて電車で帰っていたのだけど、二人して寝過ごしてしまったみたいなの。慌てて降りたけど周りに人がいないし電車は来ないしで、困っちゃって』
「はぁ。現在地はどこなんです?」
『それがGPSが機能してないみたいなの。ネットもつながらないし。だから誰か電話かけようって――ちょっとハル、あんまり遠くに行かない』
 近くに陽ちゃんもいるらしい。若干惚気を聞いた気がしないでもないけど、それはひとまず置いといて。
 それにしても今時そんな場所があるなんて、よっぽどの山奥まで行ったんだろうか。でも電話だけつながるってのもおかしいと思うけどなぁ。
「駅名とか分かります? こっちで調べてみます」
『助かるわ』
 燈子を見やれば、すでにスマホを用意していた。わたしも面倒を省略すべく、電話をスピーカーモードにしてから佐伯先輩に促した。
『えっと――きさらぎ駅』
「えっ」
 思わず聞き返した。
「すみません、電波の調子が悪かったのかも……もっかいお願いします」
『そう? きさらぎ駅』
 ……聞き間違いじゃなかったらしい。
 よくよくこれまでの流れを振り返れば、確かにそれっぽいことを言ってたけど。嘘でしょ。
 流石にわたしの手に負えない。
 どうしようか、と悩みながらちらりと燈子を見る。
 ――燈子は持っていたスマホをぽとりと落して、固まっていた。
 ……そういえばこの人、怖い話ダメなんだった。
「と、燈子、燈子」
 小声で燈子を揺さ振ると、ようやく我に返ったらしい。が、すぐに泣きそうな顔になって私の腕にしがみ付いてきた。
「あぁっ、ちょっと燈子――」
『小糸さん? どうかした?』
「い、いえ、なんでも」
 正直頭がパニックになってますけど。どえらい情報とそれにも関わらず能天気な声と腕に押し付けられる感触とで。
『なにか分かった?』
「えーっと、いや、その」
『……小糸さん大丈夫? もしかして寝てた?』
「いえ、そうじゃなくて」
 どう説明したらいいか、しどろもどろしてると、遠くから『沙弥香せんぱーい、なんか飲み物いるー?』という声が響いた。
『それじゃあコーヒー』
「ちょっと待ってください」
『え?』
「飲み物は飲まない方がいいかもです。念のため」
 動転しながらもこれまで読んできたホラー物、オカルト物の浅い知識を根こそぎ引っ張り出す。
 異界の物を口にする、というのはタブーの一つだった。きさらぎ駅にそんな話はなかったはずだけど、もし本当にそこにいるのなら用心に越したことはない。
 佐伯先輩は不思議そうにしながらも言うことを聞いてくれたようで、『ハルー、飲み物は買わないで』と声を張っていた。
『買っちゃったーICカードでー』
 買っちゃったかー。てかきさらぎ駅、ICカード使えるんだー。そっかー。
 なんでやねん。
『飲まない方がいいらしいわ』
『折角買ったのにー』
「すみません、ありがとうございます」
『正直説明欲しいんだけど』
「えー、っと、ですね」
 ごもっともな要求にわたしが説明しようとすると、腕にしがみ付いていた燈子がぶんぶんと体を揺さ振った。
「ちょっと、燈子……っ」
 急になにを、と見れば涙目だ。どうしても聞きたくないらしい。これが前門の佐伯先輩、後門の燈子か。くそぅわたしはどうしたら。
『……まぁいいわ。もうこんな時間だし、あんまり小糸さんに迷惑のもあれだものね。宿とか探してみるわ』
 どうやら察してもらえたらしい。けどその英断は電話をかける前にして欲しかった。いやそれはそれでいやな予感しかしないんだけど。
 って、宿を探すって……、
「それは止めときましょう」
『え? でも』
「とりあえず駅から出ない方がいいと思います」
 あの都市伝説は駅から出ることで余計に状況が悪化する話だったはず。だからって駅に留まるのがいいとは限らないけれど……。
『そう? 駅員さんに事情を説明すればいいかしら』
「周り誰かいます?」
『いないわね。しかもこの駅、照明設備がダメなのよ。薄暗くて困るわ』
 ちょっと、いらぬ実況はしないで欲しい。燈子が怖がってるじゃん。苦しいってば。
『ハルー、ちょっと駅員さん探すわよ』
『はーい』
 そんな会話のあと、足音が電話口から響く。
 かつ、こつ。かつ、こつ。
 その情景が見えないからこそ、想像が補おうとする。その闇を、恐怖を。
 まるで、背後にその薄闇が広がってるかのように。
『……いないわね』
 背筋に走った悪寒に震えたところで、佐伯先輩のそんな声が聞こえた。
「いないですか?」
『えぇ。全く、職務怠慢じゃないかしら』
 佐伯先輩、ちょっとズレてます。
『沙弥香先輩、ひょっとしたらこれってあれじゃないですか?』
 なに、知ってるのか陽ちゃん!
『なに?』
『廃駅って奴』
 うん、やっぱり陽ちゃんも知らないんだね。なんとなくそうじゃないかって思ってたよ。
『廃駅に止まるかしら、普通』
『でもそうとしか説明できなくない?』
『それはまぁそうだけど……』
『とりあえず駅員室とかそういうとこなら寝られるんじゃない?』
『そうね』
 どうすればいいんだろう。能天気二人組は現状がどんなに危険か知らない。一方知ってて動けないでいるのがわたしの腕のとこに一人。
 なんか二人の雰囲気で誤魔化されそうになるけど、ヤバいことには変わらない。流されちゃダメだ、わたし。
『沙弥香先輩、なんか聞こえない?』
 と、不意に陽ちゃんがそんなことを言い出した。
『そうね。なにかしらこの音……鈴に太鼓?』
『祭囃子みたい?』
 二人がそう言い合う。
 ――だけどどんなに耳を凝らしても、そんな音は聞こえない。
「――逃げ」
『こんな夜中に迷惑ね』
『苦情言いに行きます?』
『めんどくさいし止めときましょ』
 あぁもうほんとこの人たち暢気だな!
『あ』
「とりあえず佐伯先輩、逃げ」
『電車来たわ』
 ……なんて?
「――えっ?!」
『やっと帰れるー』
『ごめんなさいね小糸さん、長電話させちゃって』
「いえそうじゃなく」
『それじゃあ』
 そう言って、電話は切れる。機械音が耳を打ち、通話アプリが落ちた。
「……」
「……」
 燈子と目を合わせる。
 ……なんて言うか、もう……。
「……寝よっか」
 すごく疲れた。ヤバい情報と暢気な二人へのツッコミに脳と感情のブレがひどい。そんな気分なんかすっかりなくなってしまった。
 もそもそと布団の中に入り、流れでいつものように灯りを豆電球まで落とす――ところで、わたしの腕の動きが遮られる。
「……ゆう……」
 わたしの腕を掴んだ燈子は、子犬みたいにぷるぷると震え、目に涙を蓄えていた。
 ……わたし、電気点いてると寝れないんだけどなぁ。
 仕方ない。今夜は寝れそうにないなと思いながら、わたしは燈子を慰めるため、胸に誘い入れたのだった。
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