やってくれると思ってた映画は必ずやってくれる映画館、塚口サンサン劇場。
 というわけで案の定、「パリに咲くエトワール」上映決定! さらには今回、 谷口悟朗監督および湯川淳プロデューサー参加のティーチイン上映が開催されるとのことでさっそく行ってきました!
 ティーチインは本編終了後だったので、まずは本編から。
 本作を見るのはこれで2回目ですが、やはり2回目となると見えてくるものが違ってきますね。そして意図的に注目ポイントを変えて見ることができるのも複数回鑑賞の大きな楽しみです。なんか世間一般では同じ映画を何回も見ることは極めて珍しい行為とされているようですがそんなことは知らん。実際、ティーチインの際に「本作を3回以上見た方は?」の質問には半数以上が挙手してたしな。
 みんなでやろう複数回鑑賞。
 さて、今回の鑑賞では千鶴ではなくフジコに注目して見てみました。その理由としては、1回目の鑑賞のあとにいつものように感想を漁っていたところ、「本作は千鶴が主人公に見えて実はカメラ位置はフジコの方にある」という感想を見かけたから。
 たしかに本作において、苦難に立ち向かい、師を得て成長していくといういわゆるビルドゥングスロマンのストーリーラインを辿っているのは千鶴であり、フジコはそのサポート役となっています。
 ではフジコは本作において成長・変化をしていないかというともちろんそうではない。今回はこの違いについて考えながら見てました。
 思うに、千鶴が辿っていったのは「段階的成長」であり、フジコが迎えたのは長期間の鬱屈と停滞を経ての「開花」だったんじゃなかろうか。
 千鶴はバレエ、フジコは絵というそれぞれの目標を抱えていますが、そのスタート状況はそれぞれ異なります。千鶴は幼少期にバレエを見てはいるものの、本格的に習い始めるのは本編がスタートしてから。対してフジコは最初から画家になることを夢見ており、本編スタート時点ですでにそれに向かって活動している……ように見えて、実はフジコは本編中のほとんどの期間、本来の目的である「絵を描くこと」ができずにいるんですよね。
 なので、見ようによってはフジコの千鶴への献身的なサポートは本来の目的への進展がないという欠落を埋めるための代償行為だとも言えるかもしれません。
 これを踏まえて本編をフジコに視点を集中して見てみると、フジコは自分と同じ年頃の少女が自分と同じように目標をもっており、それに向かって徐々に成功していくのを間近で見続けていたことになります。
 本編では、フジコが師を得て成功していく千鶴に嫉妬を覚えるような描写はありません。ティーチインの中でもお話がありましたが、この辺の描写がないのは安直なストレス要因削除ではなく話の本筋から外れるからでしょう。
 しかし、それ以上にフジコは、千鶴に嫉妬を覚える余裕もないほどに本来の目的である「絵を描くこと」からの逃避に無意識に没頭してしまっている、言い方を変えれば自分が千鶴のサポートができているという状況に依存してしまっている気もします。これを自覚できるほどフジコはまだ大人ではないという。
 では、フジコの行為はただの虚しい誤魔化しかでしかなかったかというとそうではない。フジコは確かに中盤でそれまでまったく絵を描けていないことが露見してしまい涙しますが、最後の最後で舞台で舞う千鶴の姿を見て、フジコはようやく長い閉塞的状況から抜け出し、エンドロールを飾る「巴里に咲くエトワール」をはじめとする素晴らしい絵を描きます。
 思うに、千鶴の成功のために必要だったのは「長い期間を要する習熟」であったのに対し、フジコの成長に必要だったのは「最後の一歩としてのひらめき」だったんじゃないですかね。
 フジコは作品冒頭から妖精の姿を幻視するシーンがしばしばあります。あれ、フジコがひらめき型の才能を持っていることを示唆してるんじゃないでしょうかね。もちろん千尋がフジコのミューズであることに疑いはありませんが、その最後の一押し、最後の一歩はやはりフジコ自身が見出さなくてはいけなかったことなんでしょう。
 ……といったように視点を変えるとやはり見えてくるものが大きく変わるなあと思った2回目でした。そして明日は間髪入れず応援上映なのでまた違った視点で本作を見ることができそうです。
 シアター4を震わせるであろうマチルダ様への絶叫が今から楽しみです。
 場内を満たす拍手の中、続いて谷口監督および湯川プロデューサーによるティーチイン開始!
 決して長い時間ではありませんでしたが、さまざまな質問に真摯に答えてくださり本作をより深く理解することができたと思います。
 あとこれまでの塚口におけるどっかの音響監督参加のトークイベントに比べると非常に常識的な内容で安心しました。若干ラインを踏み越えかけたところはありましたが……。
 まず矢島は未婚だそうです。「矢島は既婚者ですか?」の質問が出た時、会場大ウケ。
 あとはキャスティングに関しての回答も興味深かったですね。
 そもそも最初から声優は使うつもりはなかったそうで、その理由というのがキャラクターの属性やジャンルで演技が限定されてしまうからということでした。属性やジャンルが先行してしまうとわかりやすくなる反面キャラクターや作品の幅が狭まってしまい、属性ありきの作品になってしまうとのこと。たしかにこのへんは、各々のキャラクターや作品というよりもそれらが帯びている表面的な属性だけを消費するという浅薄な消費のされ方をされがちというのがあると思います。
 また、本作以外の作品でもしばしば言われる「悪人がいないストレスフリーな作風」についても、「悪人としてのキャラクターを出してしまうのは簡単=安直。また、作品が表現したいものに直接関係しない要素によるストレス要因は極力削除している」とのことでした。
 これ、いわゆる「異世界じゃがいも問題」へのアンサーですよね。SNSには無数の創作論が溢れていますが、そこにあると想定される要素をなんでもかんでも全部描写しないと設定の作り込み不足だなんだと言われるアレにはほとほとうんざりしてたので、これには赤ベコ状態で首肯するものです。
 本作ではキャラクターは一貫して日本語で話していますが、これは演出上の問題で、フジコや千鶴は適宜フランス語と日本語を使い分けているという想定で制作されているそうです。これもg別に本作は言語習得や言語の違いが主眼となる作品ではないからですよね。このへんは作品のリアリティラインにもつながる話だったのでいち創作者としても勉強になりました。
 あとはフジコの名前についても回答がありましたね。モデルは多くの人が予想していた通り日本生まれのフランスの画家・藤田嗣治だそう。作品の方向性として本人や直接血縁のあるキャラではなくあくまでモデルということで名前をもじっていった結果「フジコ」という名前が出てきたそうですが、これがはからずも彼女を縛っている日本文化を象徴する「富士山」を関する名前になったということは記しておきたい。「成長」以外にも「脱却」が本作の大きなテーマとしてあるわけなので、当然そのスタート地点は「束縛」となり、フジコは名前の時点で縛られているという。これこそキャラクター造形ですよ。設定を作り込むことがキャラクター造形ではない。
 いやー全体的に勉強になりました。今やSNSの普及で制作スタッフの方の話を聞くことは簡単にできますが、やはりこうして生の声を聞けるとなんというか実感があります。特に作品における情報の取捨選択とキャラクター造形の話はいち創作者として今後に生かしていきたいですね。
 さて明日は応援上映だ! なぜか暴漢三人組をイメージしたサイリウムが参加者全員に配られるらしいがどうなってんだこの映画館。
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塚口サンサン劇場「パリに咲くエトワール」ティーチイン上映会行ってきました!
初公開日: 2026年05月24日
最終更新日: 2026年05月24日
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