明日は体育祭だ。三年の俺たちには最後の体育祭になる。三年である以上、こうやって少しずつ最後のイベントが過ぎ去ってゆく。楽しみな気持ちが三分の二、寂しい気持ちが三分の一。明日の弁当を用意するために夜のうちにキッチンに立った。愛実は唐揚げが大好きだからな。多めに、かつ途中で飽きないよう味が違うものも揚げておこう。弁当に入り切らなかった分は家族の弁当に入れてやればいい。朝から揚げ物をするのは大変だな、と今日のうちに出来るだけの仕込みをしておく。三種類の唐揚げを作れるようタレに漬けた物を冷蔵庫にしまい、ついでに朝食用に艶絹を数枚、たっぷりの牛乳と卵、砂糖に漬けてタッパーに入れたものも冷蔵庫へ。焼くだけでふわふわのフレンチトーストになる。ある程度の下拵えを済ませてからはたと、愛実の分も弁当を作るていでいたが愛実は愛実で家で用意されているのでは、と気がついた。本人に頼まれてもいないのに弁当を作るつもりでいたな……どうしよう。ニャイン…けど今聞けば気を遣わせてしまうかもしれない。家の弁当はあるけど了太郎が用意したならそれも食う、と無理に……言いそうだ。愛実の声が頭の中で再生された。愛実は赤組のエースの一人…食べ過ぎて思ったように動けなくなるのは避けたい。作るだけ作って…明日もし家からの弁当を持ってたら部員か、先生にでも………けれど……一応、聞くだけ聞いておこう。必要な事だ。ニャインだと気付かないかもしれないから電話で。キッチンの片付けを済ませてから部屋へ戻り愛実に電話をかけた。一コール鳴ったあとすぐに愛実の声が聞こえる。
『もしもし?どうした?』
「一つ…相談があるんだが……」
『…何かあったか』
しまった、思ったよりも深刻な声が出た。只事ではないと思ったのだろう、電話の向こうで座り直した布擦れの音がする。
「すまない、そんな身構える話でもないんだ」
『うん。言ってみ』
「その……本当に、大した話じゃないんだ」
『うん』
「明日の……昼は、どうするのかって…」
『昼?昼飯の話か?』
そうだ、と肯定するとしばらくの沈黙のあと、気まずそうな笑い声が聞こえた。
『悪い、完全にあてにしてた』
「うん?」
『去年も作ってくれただろ?今年もあんだろうなって……あてにして弁当断っちまった』
「そうか…ちょうどよかった。頼まれていなかったのに作ると迷惑かもしれないと思ったんだ」
『そんなわけないだろ?期待していいのか?』
「ああ。唐揚げ持っていく」
『やった。オレの卵焼きハートに入れてくれ』
「ばか」
じゃあまた明日、と電話を切る。ハートの卵焼き…家族に見られたらかなり恥ずかしい。随分前に弁当を作ってやった時に戯れで卵焼きを斜めにカットして左右対称に並べ、ハート型に見えるように入れたのをかなり気に入っているらしい。あれはたまたま誰も起きていない時間だったから出来ただけで………見つかる前に蓋を閉じてしまえばいいか。
ん!美味い。生姜の効いた唐揚げはオレの好みの味に揚げられている。昨日夜に電話してきたから何事かと思えばオレの弁当作ってもいいかという話だった。深刻な声で言うから本当に何か困ったことでも起こったのかと。オレは最初から了太郎が弁当作ってくれっからいらない、と言ってしまったのだ。本人に確認取ってなかったのに。根拠もなく了太郎が作ってくれる、と思い込んでたことに電話で聞かれてから気付いちまった。参ったな、困らせちまうな、と思ったが電話の向こうの声がどこかほっとしたように浮かれたのがわかる。お言葉に甘えついでにハートの卵焼きを強請ったがどうなっているかとワクワクしながら開けてみると卵焼きの上に乗ってるハムがハート型に切られていた。オレがそれに気付いたと気付いてじわりとデコを赤くした。敢えて何も言わないでいてやろうか、と意地悪してやりたくなったが「何か言え」と咎められてしまった。かわいいよ。
予めレジャーシートで場所を取っていたところに二人で座る。別に遠慮してくれと言った訳ではないがクラスの連中も吹部の三年も別のところで各々弁当を広げている。十希あたりはコッチくると踏んだんだが、アイツなりに気ィ遣ってんのかもな。
了太郎の親父さんの使わなくなった弁当箱をオレの弁当箱にしてくれて唐揚げはもちろん卵焼き、シャケにアスパラ…彩りだけでなく栄養もよく考えられた昼飯になった。同じ卵サンドでもなんで特別美味く感じるんだろうな。あと話は変わるがいい眺めだ。相変わらず白いな……眩しいまでに白い。
了太郎はジャージだと年中ハーフパンツだ。これは去年、吹部が活動休止になった時に身長があるからとバレー部から勧誘を受け、断ったものの数回見学に連れて行かれた時に軒並みジャージの膝を溶かしたからだ。二枚溶かして新しく買ってもらった三枚目も溶かしいよいよ親御さんに「もう知らない」と言われたらしい。時々すっ転んで擦りむいてるがそんな傷も綺麗になって白く眩しい膝小僧に……
「なんだ」
「いや?」
いい眺めすぎて食が進む。けど座り直す時になかなかスゲーとこまで見えそうになるのは心配だな。あんま足広げんなよ、と注意すると昨日電話で聞いたような小さな罵声を受けた。
「唐揚げ取ってくれ。一つ食べる」
「ほい」
「……箱ごと取ってくれという話なんだが」
「いいだろ。ほらあーん」
唐揚げは別の弁当箱に入っている。オレのそばにあるそれごと渡すよりもこっちの方が早いだろ。一つ箸で取って了太郎に寄せた。
「ひ……人がいる」
「誰も見てないだろ?」
みんな自分の弁当食うのに手一杯だって。それにこれくらい誰でもやるだろう。別にやらしいことしてる訳じゃねえんだ。
「ほら、あーん」
「……あー…」
もう一度念を押すとやっと観念したのか了太郎がそろりと口を開けた。が、横目で何かに気付いたらしく何事もなかったように口を閉じて顔を背けてしまった。了太郎が見た方向に視線をやるとかわいい吹部の後輩が昼場所を求めて彷徨いこちらに向かっているところだった。了太郎の後輩センサーの精度が優秀すぎる。
「…お、オマエらもこれからお昼か?」
惜しいとこだったな。けどまとめ役もあって忙しかったんだろ。ちゃっかり了太郎に作ってもらった弁当を自慢しつつ、昼場所を提供する流れになった。そうこうするうちに了太郎の唐揚げも品切れ、昼休憩も終わりに近付いている。まさかあの勢いのまま全部食われちまうとはな……好物は独り占めしたいと言って拗ねるほど狭量な男のつもりはないが言い知れない寂しさが残る。
「足りなかったのか?」
「いや?そんなんじゃねーよ」
思っていたよりオレは小さい男なのかもしんねーな。了太郎に弁当を作ってもらった日は弁当箱を洗うのはオレの仕事だ。持ってきてもらった弁当箱を預かってバッグにしまうと了太郎が温かいお茶を入れてくれた。
「別に…独り占めしたいってガラじゃなかったんだけどな」
「……」
指先が踊り、つるりとした肌を撫でる。つう…と爪の先でくすぐるように布の中に指を…
「つ…愛実!」
「ん?」
「ん、じゃない」
ハートのハムにあえてノーコメントだった時よりうんと顔を赤くしてオレを呼ぶ。
「…あ、わり。無意識」
考え事でぼーっとしてたら無意識に了太郎の膝を指先で撫で、ハーフパンツの中に手を入れたところだった。チラリと周りを見るがそれぞれ片付けをしているところでこちらを見る視線はひとつもない。それを確認してそのまま指を進める。
「愛実!」
「シィー…聞こえるぜ」
了太郎のハーフパンツの裾から忍ばせた指をそのまま進め、まっしろな内腿、皮膚の柔らかいところに薄くなりかけた鬱血痕が残ってるのが見えた。その瞬間、言語化しにくかった寂しさの正体がわかって苦笑する。なんだよ、オレは唐揚げ独り占め出来なかったのが嫌だったんじゃなくて、了太郎を独り占め出来なかったのが嫌だったのか。小さいな。了太郎はオレのものだと確認出来て気が晴れた。
「っし、満足した」
「……なんなんだ、一体」
「なんでもねぇよ」
「唐揚げ全部食べられたのがそんなに悔しかったのか…」
そうじゃねえけど……説明すんのも別のベクトルで恥ずいな。それでいいということにしよう。
否定しなかったのがまずかったんだろう。その後何年も「あの時愛実は好物の唐揚げを全部食べられたのが余程悔しかったんだろうな…」「愛実でも食べ物の恨みは根強いらしい」とことあるごとにネタにされるとはこの時のオレには知りようがなかった。