「痛、」
慣れない靴に足を左右からぎゅむ、と強めに挟まれた心地でつい声が漏れた。
「痛い?すみませーん、5Eってありますか?」
「はーい!」
「すみません」
「良いのよ。痛いって事は合ってないって事だもの」
そういうものなのか。オシャレは我慢!と胸を張って言う芹弥先輩ならちょっと我慢してね、と言いそうなものだがその先輩がそういうなら合わない靴を履くのは良くないのだろう。
先輩のお姉さんの友達がブライダルサロンに勤めていて、ドレスやタキシードのカタログを新しくしたいから若くてスタイルのいい男はいないかと相談されて、とびきり若くて(高校生なのだからそれはそう)背の高い良いのがいる、と吹部の数人が駆り出された。座っている俺の足元に膝をつき、履いていた靴を脱がせてくれた芹弥先輩がそのままスタッフに持ってきてもらった白い靴を履かせてくれた。
「どう?」
「痛くないです」
「ふふっ。水泳やってた子って足大きいのかしらね」
それは…何か因果関係はあるのかな。どうだろう。
「立ってみて!」
「えっと……立てる気がしないんですけど…」
「大丈夫!立てなかった子見た事ないもの」
先輩に履かせて貰った靴はただの革靴ではなく底が厚く今にも折れてしまいそうな細いヒールだ。
「似合うとも思えないし」
「それは間違いよ隆良……いい?しっかりむちむちムキムキの足とピンヒールの組み合わせって……意外と需要がある」
「ええっ!?」
キリッ…と凛々しく言った芹弥先輩がチラリと後ろを見遣る。俺と同じようにヒールを履かされた佐野先輩が子鹿のようにプルプルしながら樹先輩の肩を借りてなんとか立っている。ギリギリの先輩とは裏腹にスタッフからはかなり好評らしくキラキラした目で見られているような。確かに…先輩、背もあるししっかりした足からスッと伸びるヒールは綺麗でかっこいいかも。いつもなら樹先輩と並んでもそこまで差はないのに今ならヒールのお陰で確実に目線が高くなっている。俺もあれだけかっこよく履けているのだろうか。
「いやいや…」
「何のいやいや?」
理想を高くし過ぎるとよくない。よし、と気合を込めて立ち上がった。
「た、立てた!」
やった、立てた!どうですか、と芹弥先輩を見ると眩しいものを直視してしまった時のようにキュッと顔を顰めていた。
「眩しい…太陽?」
「太陽?」
「人がなぜ太陽を見上げてしまうのかって話よね」
何を言っているんだろう…
「ヒールで立っただけでそんなに…そんっっっっなに嬉しいの…」
「あ…はしゃぎ過ぎました。すみません」
「はあ…眩しいわ…アタシの太陽…」
しみじみ言う様は親戚の人みたいだ。屈んだままだった芹弥先輩がスッと立ち上がって並ぶといつもよりちょっと低い位置に…あ、つむじが見えた。と、言うより…
「うん?」
「先輩…綺麗です、すごく」
「あらありがと」
自分の事で精一杯だったから気付けなかったけど、芹弥先輩はパンツスタイルのウエディングドレスを着ている。正直に見惚れているとパチンとウインクを貰った。
「そう言うのもあるんですね」
「結婚っていろんな形があるのよ。ジェンダーレスの時代でもあるもの、男の子が着るドレスもあるのよ?パンツスタイルじゃなくて、本当のひらひらのドレス」
くるーん、と腰のリボンからトレーンのように長く伸びた部分を広げて回って見せてくれた。そうか、そう言う時代か。見て見て、とオーバードレスを羽織ってまたくるりと回ってくれる。
「自分の結婚式の時はタキシード着たいもの、今日はとびきりかわいいトレンドのデザインで着せて貰っちゃった」
「へえ……」
そう言うのが流行りなのか…とぼんやり聞いていたけれどその前に入った「自分の結婚式ではタキシードを着たい」と言う言葉を反芻してふっと頭の中が真っ白になった。確かに、芹弥先輩は結婚式に憧れを抱いていそうだ。先輩の見初める女の人はどんなだろう。それはそれは綺麗で、かわいらしくて、先輩に似合う人に違いない。その時俺は何をしているのだろう。遠くで彼の幸せを祝っているのだろうか。式に出席を許されて見守っているのだろうか。俺はその時、何を考えていたらいいのだろう。自分の中の何か、集中力に近い、何だろう。芯、かな。ふつりと折れて先ほどまで座っていた試着用の椅子に座り直す。
「隆良?」
「あ、あれ?すみません、何だか…」
「疲れちゃったかしら。それとも足痛い?」
色々と虚しくなってしまった。何やってるんだろう、俺。ふう、と小さく息をつくとまた俺の足元に膝をついた先輩が俺の足から靴を抜く。
「赤くなってはいないわね」
「大丈夫です!」
「そうかしら。ふふっ、ねえ隆良」
迷惑かけたくない一心で元気に返事をしたら笑われてしまった。先輩が靴を履かせ直しながら俺の名前を呼んで声を顰めるから俺の意識は全部芹弥先輩に注がれる。
「アタシ、結婚式には隆良に今アタシが着てるようなパンツスタイルのドレス着て欲しいなって思ってるんだけど、どうかしら」
「はあ……えっ!?」
「綺麗な隆良、見せてくれる?」
「それって…つまり、」
「約束。…ううん、違うわね、誓います。…なんて」
ちゅ、と足の甲に芹弥先輩の唇が触れる。コーラルオレンジのグロスがついた足の甲が、とんでもない約束の証になってしまったような。
「隆良?」
「わあっ」
「うっ」
びっくりした勢いのままつま先がビクン!と跳ね上がって先輩の顎を軽く蹴り上げてしまった。
「あ!すみません!ご、ごめんなさいわざとじゃなくて…いや、すみませんでした」
「んも〜〜〜!あははは!」
咄嗟に言い訳しようとしてしまって慌ててちゃんと謝ったが芹弥先輩は怒るどころか顎を押さえておかしそうに笑っていた。
「ピンヒール履いた隆良に、つま先で顎を掬われたかと思ってドキドキしちゃった」
「ええっ!」
それだと何だか、そういうプレイみたいじゃないか。そんなつもりはなかったから逆に驚いてしまったが、立ち上がった芹弥先輩の白いレースの手袋をした指に顎を掬われて息が止まる。
「悪いコね、隆良」
あ、わ。何もやましいことは考えていなかったけれど、無意識に両手を上げて降参のポーズをとっていた。俺の反応に満足したのか、パッと離れた先輩はそれはそれは満ち足りた顔で腰が抜けた俺を見下ろしている。
「そろそろ行く時間ね。隆良はその真っ赤な顔どうにかしてからいらっしゃいね?」
「……は…ひ」
赤いのか…そうなのか……先輩はそのまま踵を返し未だ小鹿状態の佐野先輩と、シックなネイビーのタキシードを着た樹先輩のところに歩いて行った。揶揄われてしまった…もう少し大人にならなければ…
「どうしたんだ芹、顔がリンゴ……うっぐ!」
芹弥先輩が樹先輩の肋骨の下あたりに手刀を食らわせた瞬間響いた悲鳴に顔を上げると後ろから見た先輩の耳が真っ赤になっていた。意外としっかり照れている……かわいい人だなと思う反面、俺からも何か仕返ししてしまいたかったが、その仕返しに数年費やした挙句、いよいよその時がきた、と言う瞬間、「芹弥さん」を噛んで「芹弥ちゃん」と言ってしまいさらに数十年に渡り笑われ続けるネタを提供してしまうのであった……