『ワン・ツー・スリー……おい、またタイミングがずれているぞ。やり直し』
『ヌヌ!』
『初めからいくぞ。はい、ワン・ツー、踏むな! スナァァァァ』
『ヌ゛ーーー!!!』
「無理だよ不可抗力だよなんでこんなことに」
崩れたドラルクを見て途端に地面にうずくまるロナルド。
するすると再生したドラルクは、その姿を見てため息をつく。
『まったく情けないなぁ、大の大人がこんなことで。まぁ? ロナルドくんは精神年齢が五歳児だから仕方ないけどねぇ!』
「うぅぅ……俺は浄水器にすぐ生えてくる黒カビ」
『そこまで言ってないだろ、ほら立ちたまえ。もう三日しかないんだから』
「だいたい無理だったんだ。俺にこんなことなんて」
『まぁこんなに才能がないのは驚いたが』
ドラルクの言葉にまた「俺はスナック菓子を食べた時に奥歯に張り付いてなかなか離れないやつ」と言って落ち込む。本当にめんどくさくなってきた。
「もうやめたい。なにもかも忘れて寝たい」
『寝て後悔するのは君だぞロナルドくん。今回の依頼はパーティーでの護衛だろ? 依頼人から自然と離れないためには、パートナーとして入りこむのが一番だって言ったのは君だろ。パートナーがダンスの一つも出来ないでどうする』
「うぅ、そんなこと言ったってよぅ」
そう、今回の依頼は「護衛」。たちの悪い吸血鬼にストーカー被害を受けているというご令嬢だった。最近まで身を隠していたが、どうしても出席せざるを得ないパーティーがあるらしくご令嬢直々の指名でロナルドの名が挙がったのだ。
困っている女性を放っておけないと、持ち前のお人よし根性で請け負ったのはいいが、庶民のロナルドにはパーティーの勝手が全く分かっておらず急遽、ドラルクに指導を受けることにしたのだ。
テーブルマナーや言葉遣いなど、この一週間で何とか叩き込んだのだがこの社交ダンスだけがどうしても上手くいかない。ご令嬢が参加されるパーティーは、交流を兼ねてダンスをするのが習わしらしく、社交ダンスが出来るのは必須条件だった。
もう五時間近くも指導しているが、一向にロナルドは上達しない。何度やっても同じところで相手役をしているドラルクの足を踏んでしまう。練習だからまだいいが、本番でご令嬢の足を踏んでしまったら赤っ恥もいい所である。
ロナルドの目に薄く涙の膜が張っていた。こんな筋肉のついた男が、大きな目に涙をためているのを見ると情けないというよりかわいそうになってきた。一度仕切り直した方がいいな、とドラルクはため息をつく。
『しかたない。しばらく休憩にしよう。おやつを持ってきてやるから機嫌を直したまえ五歳児ゴリラ』
「うん……」
『ヌヌ!』
「ジョン、タオルありがとう」
ロナルドはタオルで、汗と涙にまみれた顔をぬぐった。
『不思議なものだね。君は運動神経がいいし、すぐにものにできると思ったのだが』
「うっせ。足がもつれちまって集中できねぇんだよ」
『ふむ。前にショットさんたちと余興で踊っていたダンスはうまくできていたじゃないか』
「あれは別に難しくねぇよ。なんか手つないで動くってのが、なんか難しくて……それに」
『それに、なんだい』
「な、なんでもねぇ」
『ヌヌヌヌヌヌ、ヌンヌヌヌヌヌヌヌ』
『ほうなるほどね、一理あるな』
「ジョンはなんだって?」
ドラルクはおやつのクッキーをテーブルに置いた。ついでに一緒に紅茶も差し出す。これでゴリラの機嫌も少しは直るだろう。
『ジョンはね。相手とタイミングを合わせるのが難しいんじゃないかってさ。確かにロナルドくんは個々の動きはきれいだけど、わたしに合わせて踊るということができていないね。さすがジョン』
『ヌヌヌヌン!』
「で、でもよ。相手に合わせるって難しくないか? 俺とドラ公じゃ体格や背丈も違うし」
『君ねぇ。君が踊るのはわたしより華奢な女性だよ。わたしでタイミングを合わせられなかったら、ご令嬢とも合わせられる訳ないだろ』
「ぐ、ぬぬ」
ゴリラは正論を言われて唸っている。
『わかったら練習あるのみだ! ほら、おやつを食べたら再開するよ』
「うぅ……。だいたいよぉ、ドラ公がこういうの詳しいのムカつくよな」
『ふふん。これでもわたしは由緒正しき血筋の生まれだからね。そんじょそこらの吸血鬼と違って、高度な教育を受けているのだよ』
「その完成品がシンヨコのクソザコ砂おじさんか……」
『君よく教えてもらっている身でそんな暴言吐けるなスナァァァァ』
『ヌ゛ーーーーー!!!』
ショックで砂になったドラルクを必死で集めるジョン。
「そのダンス? とかは、親父さんに教えてもらったのか」
『……いや、あの歯ブラシひげケツホバ野郎からだ』
「相変わらず、すげーネーミングセンス」
『あの指導は酷かった。まだ可憐にか弱きわたしをムチ打つようにレッスンをさせて……、一時期メトロノームの音がトラウマになったものさ。それに比べたら君、わたしの指導など真綿で身体を包むがごとく優しい指導だよ』
「ふーん」
ロナルドは静かにカップを傾けた。その口元がすこし緩んでいるように見えて、ドラルクは眉を挙げる。
『君、なにか変なことを考えているな』
「いや、なんつーかさ。お前もダンス、苦労したんだなと思って」
『は?』
「やっぱ俺よりドラ公が出来るのって、ムカつくだろ」
『相変わらず減らず口を叩きおって若造。昔の話だ。もう立派なスーパージェントルマンに成長してますぅ』
「なぁ~にが、スーパージェントルマンだ。紳士が急に砂になるかよ」
『キーーーーーッ! 信じてないわね! よしわかった。目に物見せてやるわ! ジョン、ほら音楽の準備して』
『ヌヌ?』
「な、なんだよ」
突如たちあがったドラルクに困惑の顔を向ける一匹と一人、ドラルクは大きくため息をつく。
『なにって、踊るんだよ。わたしがスーパーなジェントルマンだということをこの若造に見せつけてやるんだよ』
「はぁ? なんだよ急に」
『ほら、君が相手役をやりたまえ。さぁ! さっきとは逆の、ここに立つ!』
すでにドラルクはやる気満々になっているようで、腕まくりまでしている。ロナルドは呆れた顔で立ち上がった。こういう時は拒否せずに付き合ってやる方が、事態の収束が早いことを経験上しっているのだ。
「でもよぉ、俺、反対側なんてやったことねぇぞ。さっきと逆の動きなんてできるわけねぇよ」
『いいかね若造、本当にダンスが上手いというのは、リードが上手いということだ。たとえ相手が慣れていなかったとしても、それを感じさせないほどさりげなく誘導する。それが紳士の嗜みということさ』
「よくわかんねぇ」
『ほら、準備はできたかね。違う! 手はここ! では、ミュージックスタート!』
ドラルクの腰にぐわし! と手を当てられ困惑したまま音楽がスタートする。
途端にロナルドの頭は混乱した。ダンスになるといつもそうだった。元来、運動は出来る方だが動かし方がわかっていても相手の動きを予想していると混乱する。ましてや、いまはいつも練習している側と反対向きなのだ。どっちが右だか左だか、一瞬で分からなくなってしまった。
しかし、すっと自然と足が前に出る。
ドラルクに引かれているのだ、と気が付くのに時間はかからなかった。
ステップを踏み、そのままターン。腰に当てられた手と、繋がれたもう片方の手で、自然とリードされているのだ。自分よりはるかに体格が細いドラルクに、完璧に操られている。
それは実に奇妙な体験だった。
会話していないのに、自分が動こうとしていた方向に足が動く、そしてそれに合わせてドラルクのステップが続く。前を見ると得意げな顔の吸血鬼が目の前にいた。口角が上がり鋭い牙が見える。
『ほら、わたしは実に紳士的だろう』
最後は、ドラルクに覗き込まれるようなポーズで終了した。どういう仕組みで重い自分を支えているのかわからない。
『どうだね。若造も少しは理解できたかな?』
「……きめぇ」
『いきなりなにそれスナァァァァ』
「ペッ! おい! 口の中入っただろてめぇ」
『ヌヌヌヌヌン!』
『おかしいだろ! 第一声がそれか? 「かっこいいー、ドラルク様とっても畏怖畏怖な吸血鬼で見直しちゃいました」だろ。おかしい』
「それ本当に俺に言ってほしいかよくかんがえろ」
『……ふむ、ちょっときしょいな』
「てめぇも何いってんだ!」
再びロナルドの正拳突きがきまったので、ジョンが悲鳴を上げる。
『しかしわかっただろ‼ これでわたしがゴリラとは違うことが!』
「……まぁそれはわかったけど」
ロナルドは少し唇を尖らせた。こんなに早く認めるとは思っていなかったので、ドラルクは拍子抜けする。
「まぁなんつーか」
もしや初めて畏怖な言葉が出てくるのでは、と期待のまなざしで見つめるドラルク。
「砂野郎にも出来るなら、俺にもできないワケないってことだな」
『妙にムカつくスナァァァァ』
『ヌ゛ー!!!!!!!!!』
崩れ落ちるドラルクを見て勝ち誇った笑い声をあげるロナルド。
「やっぱてめぇは、そうやっていつもの間抜け面してる方がお似合いだよ」
『ウェェンやっぱり若造がわたしを畏怖しないぃぃぃ!』といってまたドラルクは砂になった。
ほら、こうやっていつものドラルクの方が落ち着く。
「よし。出来る気がしてきたぜ。もう一回やろう」
うごうごと砂になっていたドラルクはぶつぶつ文句を言いながらもとに戻る。
「……なぁ、ちなみにだけど。さっきやつ、割とパーティーとかで踊ったりすんの?」
『いや、だいたい親戚の場で披露することが多いからね。踊ったとしてもお母さまとが多かったかな』
「そうかそうか」
『……なんだ急に機嫌がよさそうで気持ち悪いな君』
「うるせぇ、早くはじめろ」
『まったく気分屋ゴリラなんだから』
ぶつぶつ言いながら指導に戻るドラルク。やはり先ほど見せた顔とは違う。シンヨコで馬鹿騒ぎをしているいつものドラルクの顔である。
「そっちの方がいいな」
『何の話だ』
「いや、何でもねぇ」
『はい、始めるぞ』
吸血鬼と一人、深夜のダンスレッスンはそのまま明け方まで行われた。