18エピローグ
「そろそろ機嫌直せってロナルド」
マリアは深いため息ともに目の前のロナルドを小突く。彼女は黒いカクテルドレスに身を包み、目の上にはラメが光っている。ぷくっと、頬を膨らませた様子はいつものロナルドならドギマギしただろうが、今はそんなことをしている場合ではない。
「なぁ、何回も聞いて悪いけど今日が二日目なんだよな? 俺たちが船に乗って二日目」
「お前そればっかだな」
ショットが呆れたように目の前のソーダをすすった。
「もう何回も言ってやるよ。俺たちは船に乗って二日目だ!」
ロナルドは大きく息を吐いた。
問われたマリア、ショット、サテツ、ターの四人は顔を見合わせる。
少し大きな声を出してしまったため、周りの客が何人かこちらを見た。ディナーのために集まったホールには、ロナルドたちの他にも多くいる。華やかに着飾った客たち──それはロナルドが前に見た光景だ。
「お前やっぱおかしいネ、医務室いくか?」
「そうだよ。お前プールで倒れてからずっとおかしいぞ」
サテツが不安げに目を細める。
「おいちょっと待てプール? つまり、そこからってことかよ」
うなるロナルドを四人は不安げに見つめる。それを誤魔化すように、目の前の料理を口に入れた。前は信じられないぐらい美味かったのにいまは味がしない。いや、前といってもこれが初めてなのか? その割には出てきた料理も全く一緒で、皿の模様まで変わらない。
「うぅ……頭がこんがらがってきた」
ロナルドは軽く頭を押さえた。脳の奥底で沈んだ澱みが重い痛みをはなっている。
ヘンリーたちのことは全て嘘だったのだろうか、頭の片隅にそんな考えが横切る。しかし、あの時受けた痛みは本物だった。ただ、マリアやショットに付けられたはずの傷は完全に完治しており、ロナルド以外の四人とも[[rb:何も> ・・・]]覚えていないようだ。
「訳わかんねぇよ」
ロナルドがそう呟くとショットがため息をつく。
「訳わかんねぇのはこっちだ。疲れが出たんだろう、だいたい働きすぎなんだよお前は」
すると同意するようにマリアが口を開く。
「そうだよ。身体が商売道具なんだから、壊すと元も子もないぜ?」
「やっぱ部屋で休んでくるヨロシ。慣れないことをやると疲れるアル」
「今日は特にイベントもないっていってたじゃないか、なんかあったら俺たちから伝えるからさ」
「そ、そうする」
相変わらず鈍く痛む頭を振り立ち上がった。その時、少しふらつき思わず机を掴む。
「おい本当にお前大丈夫かよ」
「ちょっと目眩がして。ごめん、マリアこれ落ちたわ」
視界の隅でひらり、と紙のようなものが落ちたことはわかっていた。拾い上げるとパンフレットだ。乗船した船の案内や簡単な歴史が書いてあるらしい。
「なんだこれ、こんなのあったっけ」
「それ、乗船する時に通りに置いてあったのを取ったんだ。ロナルドは森上さんにすぐ呼ばれたから、知らなかったんだろ」
「へぇ」
「それ結構便利なんだぜ? それぞれのイベントとか、部屋の地図とか載ってるし」
めくれば船の総ロット数や定員などが書いてある。「沈没した姉妹船がある」とは、もちろんどこにも書いていない。もちろん当たり前だ、自分はなにをさがしているのだろうと自嘲してしまう。
「へぇ、吸血鬼が日光を当たらずに歩けるルートマップか。そういや船長がそんなこと言ってたな」
「なんかオーナーの人が吸血鬼? だから、そういう配慮をしたって書いてあったぜ」
「吸血鬼? この船のオーナーって吸血鬼なのか?」
初耳だった。少し大きな声を出してしまったので、マリアが戸惑ったように瞬きをした。
「あ、あぁ。巻末の方に写真付きで載ってたぜ。なかなかの美丈夫だ」
なぜか胸騒ぎがする。はやる気持ちを抑えてページを捲った。マリアの言った通り、最後のページにオーナーからのコメントと写真が載っている。オーナーの名は──
「ドラルク……」
「え」
「なぁ、ドラ公どこに行ったか知らねぇか?」
「急にどうしたんだロナルド」
サテツが怪訝そうに首を傾げる。ロナルドはそれでも構わず「ドラルクはどこへ行った?」ともう一度尋ねる。
「たしか甲板の方へジョンと散歩に行くっていってたぜ」
「ありがとうショット!」
「お、おい!」
仲間たちの困惑した声を振り切ってロナルドは走り出した。やはり大事な時にあの吸血鬼はいない。
「あの野郎、どこへ行きやがった!」
ロナルドの呟きは誰にも聞かれずに消えた。
◇◆◇
白い飛沫が水面に模様を散らすように跳ねる。
海をこんなにじっくりと見たのは初めてだ。ドラルクは少しだけ柵から身を乗り出す。住んでいたのは山奥の屋敷が多かったし、そもそも吸血鬼は流水を嫌う。今も心がどこかざわざわする。人間から転化した者が、高いところへ登った感覚と似ていると言っていた。足の細かな震えが心臓に届き、冷たいものが広がっていく。思わず後ろに下がった。やはり海は怖い。
『そろそろこちらに来るところかと思いました』
軽快な靴音が響きドラルクの隣に立つ。
『やぁ、ご機嫌よう』
『あーよかった元気そうだ。無事に帰ってこられたんですね。あの彼も一緒に』
近づいた彼はご機嫌で話す。対するドラルクは仏頂面だ。
『当然だ。まったく、この責任は取ってくれるのだろうね?』
『もちろん、もちろんです。我が同胞、できる限りのことをしましょう。僕ができることならなんでも』
『ではどうしてこんなことをしたのか教えてもらえるのかな』
『どこからお話しすれば?』
『船のオーナーである君が、ウェイターのふりをしている理由から』
ピタ、と目の前の吸血鬼の動きが止まる。一瞬の沈黙の後、口角が三日月状に裂けた。
『やはりご存じなのではないですか』
ミヅキはいつも顔に浮かべていた人懐っこい笑みそのままでドラルクに問うた。ウェイターのスーツではなく、三揃えの上等な背広を着ている。百歳にも満たない、とドラルクが評価した[[rb:若者> ・・]]は、ドラルクを品定めするように見た。その目は吸血鬼らしい愉悦で満ちており、子供のように無邪気な光を放っている。
『だいたい予想はしているよ。そもそも能力を隠している時点で怪しすぎる。やはりまだ若造だな』
ミヅキはこてん、と首を傾げた。
『そうですか? 退治人の彼は騙されていたようですが』
『奴は五歳児だから。あと、シンヨコに慣れすぎて能力のインフレが起きてるんだよ。人の意識を変化させたり、高度な変身能力やバリア持ちがあんなにいてたまるか! だいたいの吸血鬼は能力などないか、役に立たない些細なものだ。わたしの超再生能力とかスーパーSS級のレア物なのにあの若造はクソ雑魚砂おじさんとか遊んでキェー!!!』
『……ここで死ぬとバラバラになってしまいますよ』
『これは失敬』
ドラルクは塵になりかけた体を戻す。ミヅキの笑顔は変わっていないが激しい情緒の移り変わりに若干額に汗をかいていた。
『君が見せてくれた手品だが、あれは他人の認識をすり替える能力だろう。催眠術なんて甘っちょろいもんじゃない』
『嘘は言ってませんよ。あれは催眠術の一つです』
ミヅキは目を細める。
『いいや、違う。自分の望む幻覚を見せるなんてものは、催眠術の域を超えた超自然的力だ。そんな能力を持っていながら、吸血鬼が自慢しない訳ない。畏怖欲が満たされないさらな!』
『……あなたの相棒はなかなかいい畏怖を与えてくれましたね』
『相棒じゃないやい!』
地団駄を踏むドラルク。
『ロナルドくんを招待したのも君の作戦かね』
『うーん』
ミヅキは空を仰いだ。夜空にはかすかに星が見える。
『確かにそうですが、ここまでは予想していなかったです。まぁ何かあればいいなぁと思ってはいました』
ドラルクは眉を上げる。
『噂になってるんですよ、「シンヨコ」って。吸血鬼が吸い寄せられる東洋の神秘、そしてなぜかあの街では吸血鬼の力が強まるともっぱらの噂』
『……うん、まぁ実際は新幹線が止まるだけの街だが。あと変態が多い』
『う、えーと……それでもとても素晴らしい街ですよ。あそこは人間と吸血鬼が手を取り合って暮らしている。あんなに調和した街は滅多に無い。本当に、いい街です。あんなところが昔からあればよかったのに』
水平線を見つめるミズキの目が揺れた。瞬きを繰り返したあと、ドラルクに向き直る。
『賭けてみたかったんです。そんな街がある場所に。そこからきた吸血鬼と共に暮らしている退治人なら、きっと何か変わると思った』
『彼は、あの同胞は、君の血族かね』
ドラルクは真っ直ぐ言葉を放つ。
『えぇそうです。僕の兄です、似てないでしょう』
自嘲するように目の前の吸血鬼は笑った。船が少し揺れる。ドラルクは静かに肩をすくめた。
『さぁね、顔が潰れていてよくわからなかった』
『ハハッ、ジョークがきついな』
『お兄様はいつからあの調子なのかね』
『ずっとです。ずっと、あの船が沈んだその時から。詳しくはあの人間を失った時からでしょうが』
『吸血鬼の執着は恐ろしいものだねぇ。彼があんな死に方さえしなければ、もっとマシな結末だったのだろうが』
『えぇ、全くその通り』
『君がこの船のオーナーなのは、またお兄様に会いたかったからかね』
『それは……少し違います』
ミヅキが目を伏せる。睫毛が月の光に透け、端正な横顔に影が落ちた。ここに人がいればまさに天使のような、と表現しただろう。ただ、この場にいるのは吸血鬼という闇より生まれ出た夜の生き物だけだ。
『兄の船が沈んだあと、この姉妹船には妙な噂が立ちました。そう──』
『人が消える、だね』
ドラルクの言葉に『えぇ』とミヅキは返す。
『探しているのだ、と思いました。あの時死んだ人間を、もうこの世にない未練を。それで兄は、恐らくですが……変わってしまった。吸血鬼から別の何かに』
ミヅキは一度言葉を切り、少し俯く。やがて決心したように顔を上げた。
『僕はね、ドラルクさん。会いたいなんてもんじゃなかった。兄はとても優しい人でした。一族を恨み、死に人を求めて彷徨い、挙げ句の果てに悍ましい何かになるような、そんな吸血鬼じゃない』
ミヅキは大きく息を吸う。
『そんなことが許されるわけがないんだ』
『……まぁ誰でも許されるわけではないですが』
ドラルクは淡々と答えた。
『だからね、ドラルクさん。違うんです。全然違う。僕は終わらせたかった。兄は兄のままずっと優しい、ピアノが上手な、気の優しい吸血鬼でいてほしかった。だからこの船を買った。斧を持って、迎えに行ったんです。兄を』
月の光に端正な顔が照らされる。それは彫刻のように整っていてある種非現実的であった。目には微かな狂気の色を滲ませている。ある種吸血鬼らしいその顔に、ドラルクはため息をつく。
『でも出来なかったんだろう? だからこんな面倒なことになったんだ』
『その通りです。僕は何度も探しました。あのゾンビたちにも何回も会ったことがあります。あれって兄たちが乗っていた船の残像なんですよ。自分たちが死んだことに気がつけてないんです。だから襲ってくる。けど、あそこはまだ一層目。兄のいるところはもっと深くて、僕は招かれなかった。当たり前ですよね、招かれるのは人間だけなんだから』
『……だからロナルドくんを使ったのかい』
『そんな顔しないでくださいよ、怖いなぁ。他にもお招きしましたが、やはり彼が一番この状況を変えてくれそうだったんです。実際、諦めずに切り開いてくれました』
その言葉を聞いたドラルクが眉を上げる。
『君は、あの時の出来事を知っているのかい? あの夢の中の出来事を』
『知っていますよ? だって夢の中だから。僕たちは同じ甘い夢を見ていたんですよ、ドラルクさん』
『君の、お兄様の能力というのは、もしや』
『さて──もう塵になってしまった者の話はやめましょう』
ミヅキはとん、と前に飛んだ。船の手すりに立ちこちらを見つめる。風が彼の髪を乱し、時折波の動きに合わせて身体が揺れた。ともすれば海に落ちそうだが、ドラルクは平然とその姿を見ていた。
『疑問は全て解消できましたか? それではそろそろ幕引きです。長い悪夢は覚めたのだから』
『……一ついいかな』
ドラルクの長い指が伸びる。
『君は嘘をついた。ロナルドくんを呼んだのはお兄様にピリオドを打つため。そう聞こえたが、実際は違うだろう』
『なんのことでしょう?』
ミヅキの彫刻のような笑顔は変わらない。
『ヘンリーくんにわたしは会ったよ。君も会ったはずだ。彼も共にあの船で彷徨っていたから。彼を見ていると思い出した。彼は似ている』
ドラルクはミヅキに近寄った。視線は外さず真っ直ぐな目線で。
『別にただ容姿や性格の話じゃない。魂が、似ているんだよ。あの若造に』
ミヅキは少し首を傾げてみせた。なんの動揺もしていない、平然とした顔だった。
『君は兄を終わらせようとした、それはある意味で正しいだろう。でももう一つ方法があった。兄の目的を仮初でも達成することだ。ロナルドくんはそのために呼ばれたんだ』
ドラルクはまた一歩踏み出す。
『あの場で代わりを捧げればどうなったか。ただでさえ不安定な君の兄の魂がさらに奥底へ落ちていく可能性もあった。危険な賭けに君は無理やり乗らせたんだ。何も知らない、お人好しのロナルドくんをね』
『……さてどうでしょう』
ミヅキは目線を外す。ドラルクは無表情のままそれを見上げた。
『言ったでしょう。そんなに怖い顔しないでくださいよ。竜の一族に睨まれるのはたまったもんじゃない。でもまぁそれも関係ないかもしれないけど』
『どういう意味かね』
『ドラルクさん、僕たち高等吸血鬼は本来自らの血族以外はどうでもいいはずでしょう。本当に、どうでもいい。僕にとっての血族は、兄だけだった。それだけの話です』
『君は、まさか──』
手を伸ばしたドラルクをすり抜けるようにしてミヅキは後ろへ倒れた。背面は深い海である。吸血鬼の天敵である、深い海。
『そんなにいいですか、人間は』
ミヅキの声が耳に張り付く。ドラルクが下を覗くと海面につく直前に、彼の姿は溶けるように無数のコウモリへと変わる。
『僕には一生わからないだろうな』
『わからなくて、よいものかと』
ドラルクの呟きが届いたかどうかはわからない。コウモリたちは無数の羽音を響かせて、やがて消えていった。
再びの静寂、また波の音だけが静かに響いている。ドラルクがただコウモリの消えていった方向を見つめていると、静寂を破る大きな音が聞こえた。
「うぉぉぉぉぉぉい!!!! ドラ公ーーーーーー!!!!」
『あー!! うるさいうるさい、情緒台無し! びっくりしたわこの五歳児ゴリラ。空気って読めるってことご存じ!?』
「うるせぇ!」
『ぁぁぁぁーーーーーー!!!! シンプルな暴力がドラドラちゃんを襲う〜』
スナァァ……とドラルクを見事、塵にしたところでロナルドはハッと我に返る。
「こんなことしてる場合じゃねぇ! この船のパンフレットみたか!?この船のオーナーがあのミヅキさんでさ!」
『今更それに気がついたのか若造。やはり五歳児だな』
「ウッソ! お前知ってたの!?」
『ふふん、この溢れ出る知性の塊であるわたしが本気を出したらこんなものよ』
「シンプルにムカつく! コロス!」
『もっと話し合いとかないのか非文明ゴリラ』
「んで、結局なんだったんだよ」
真顔になるロナルドにドラルクは肩をすくめる。
『大した話じゃない。全部夢の話さ、夢は夢。早く忘れるべきだね』
「ハーッ! またお前訳わかんねぇこと言いやがって」
『いつも思うけどねぇ。君は自分が人間だってことを時々忘れているよね』
「あぁ? お前らみたいな変態どもと一緒にすんな」
『そういう意味じゃなくて。あまり突っ込みすぎるなということだよ』
ドラルクはため息をついた。