にゃんちょぎのお話は
「ねえ、秘密の話なんだけど」という台詞で始まり「答えはイエスしか思い浮かばなかった」で終わります。
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「ねえ、秘密の話なんだけど」
全くこの忙しい時に呑気なものだな、と山姥切長義はため息を抑えつつ書類の文字に目を通していく。
執務室の襖側に座ると必ずと言っていいほど廊下を通る雑音が聞こえてくるのが嫌で、いつもは奥の席に座っているのだが生憎今日は二徹目を迎える長谷部が陣取っている。そうだ、そろそろ彼に休むように言わなければ。
顔を上げた瞬間、廊下の声は囁くように、しかし楽しそうな気分を隠そうともしない声色でこうのたまったのだ。
「南泉一文字が恋をしているらしい」
どいつもこいつも。
右手に持つ鉛筆が芯が折れて、目の前に座る松井江が首を傾げて目を瞬かせた。
主命だから、と固辞する長谷部を宥めすかせて――最終的に燭台切光忠に説得してもらった――退出してもらい、手早く自分の仕事道具を移動させて再び仕事を始める。
刀剣男士たるものペンより刀を持ちたいものだが、幸運なことに事務的作業は苦ではない。いや、その性分を幸運なことと言っていいのかも微妙なところだが。
ぱら、と帳簿を開く。
もちろん机にばかりかじりついているわけにはいかないので、事務作業も交代・担当制になっている。苦手とするものは他の内番に回っているが、どうしても無理なときは体力馬k……体力自慢な男士がやらざるを得ないときもある。
あいつにやらせては駄目だ、と判断される者以外は恐らく一度はこの帳簿に触っているだろう。
しかし長義がこの本丸に来てからは知己の者にしか触らせていない。これも己のやや潔癖な性分なのだろう。
二日前まで長義は長期任務のためこの帳簿を誰かに任せなければならなかった。放置しても良かったが、仕事が溜まるのは許せなかった。
出立が近づいてきた頃に、縁側に気持ちよさそうに寝転ぶ南泉を見つけて、これ幸いと仕事を押し付けたのだった。
何度と見た彼の筆跡に思わず目が留まる。
(恋ねぇ)
存外几帳面な字面は読みやすく、整理整頓されていて気持ち良い――たまに計算が間違っているのが、らしいと言えばらしい。
いつもは跡形もなく消してから数字を修正しているが、なんだか腹立たしくて二重線で消して上から正しい数字を書いてやった。帳簿は少し汚くなってしまった。己らしくない。
もう一度書類に戻り、文字を目で辿っていく。が、全く頭に入ってこない上にどんどん紙の上を目が滑っていく。
「恋……」
南泉が恋。誰かに?恋?
恋とはなんだったか。
「え?」
再び松井江が顔を上げた。それに、なんでもないと首を振り小さく謝る。
「疲れているなら、紫蘇ジュースでもいれてこようか?」
いっそその酸味でこの悶々とした気持ちが吹き飛ぶだろうか、と魅力的に思えたが、きっと口をつけずに終わりそうだと思ったので遠慮した。
一度大きく深呼吸をして、気分を入れ替える。
こんな事で仕事に支障をきたしてどうする。
長義が打った本歌、山姥切。それがこの俺だ。
恋――?
*****
「長義さん、大丈夫?」
完全、に、不覚。
あのあと仕事は進まないし、夕飯中も入浴中も意識がどこかに飛んでいってしまって長湯しすぎてのぼせて、気付いたら着替え場の長椅子に倒れていた。恐らくここまで運んでくれてくれた者がいるはずだ。不本意だが礼を言わねば――できれば山姥切国広ではありませんように。
目の前で団扇を扇いでくれている乱藤四郎では長義を担ぐことは無理だろう。
「すまないね、ありがとう」
「ううん。珍しいね、長義さんがのぼせちゃうなんて」
「少し考え事をしてしまって……」
「ふぅん」
パタ、パタ、パタと団扇の音が鳴る。ガラス戸を隔てた浴場からは騒がしい声が聞こえてくる。いつもの喧騒だ。
あまり煩いのは好きではないから時間をズラしたつもりだったがその時間の分だけ気を失っていたということだろう。
自然と大きなため息が出る。
「それで、一体誰がここまで――」
言いかけた時に、着替え場の扉がカラカラと鳴った。目をやると、扇風機を片手に浴衣姿の南泉が立っており長義と目が合うなりゲッという顔をした。恐らく長義も同じような顔になっているだろう。南泉ほどわかりやすくはないだろうが。
「あー、もう目が覚めたのか、にゃあ」
「ちょうど今、だよ。ナイスタイミング! じゃぁ僕はこれで退散するね~」
ノロノロと近付いてくる南泉と入れ替わるように足早に乱が離れていく。その途中で「あ、そうそう」と振り返り、
「ここまで運んでくれたの、南泉さんだよ。じゃあね」
華麗に笑顔を残して着替え場から消えていった。
もともと愛想の良い刀だが、それにしてはいつも以上にご機嫌なようだ。
「猫殺しくんか……」
偽物くんよりは、まだ素直に礼を言えるかもしれない。
「なんだよ、何か不満か?にゃぁ」
口を尖らせながらも長義の前に扇風機を置いてコンセントを差す。首の角度を調整して長義に風が当たり始める。
気持ちよさに思わず目が細まる。
「……ありがとう」
「ん」
自分も風に当たりたいからか、南泉は長義の枕元に座り込んだ。長義からは南泉のつむじが見える。
南泉はもうとっくに湯浴みは終えているようだ。ふわりと入浴剤の香りがする。
「猫殺しくん」
「その猫殺しって呼ぶのやめろって」
アイスやらねぇぞ、と言ってどこに持っていたのか棒アイスを一本長義に差し出してきた。
本能的にそれを受け取る。冷たいもの・水分を体が欲している。
それを齧りながらもう一度呼びかけてみた。
「南泉くん」
「……なんだよ、にゃぁ」
素直に呼んだら呼んだでたじろぐのが面白い。
「計算間違ってたよ」
「は?」
「帳簿の、計算。やっぱり猫の呪いかな?」
「……答えにくい事を聞くんじゃねぇ、にゃ」
ふふふ、と笑いを噛み殺しながら、
「誰かに恋をしてるんだって?」
と、ポロリと質問がこぼれ出た。
覆水盆に返らず。発言の取り消しはできない。
アイスを口に入れて、再び熱を持ち始めた頭をどうにか冷やそうとしたが、冷やすそばから心臓が鼓動を早めて血液を頭に送ろうとする。
大体そんなことを訊いてどうするつもりなのだろう。
YESと言われてもNOと言われても長義には返すべき正しい反応がわからない。
でも今の気持ちを素直に見つめるのなら、できればNOであって欲しいと思う。その心は……
「答えにくい事を聞くんじゃねぇ、にゃ」
「へぇ、あ、そう」
髪の間からわずかに見える南泉の耳が赤い。なんと分かりやすいことだろう。
それとは対照的に長義の心臓は急停止して、血液が急激に供給を停止されて今度は体の下へと下っていくのがわかった。
「それで、相手は?」
「だから、っ……」
振り返った南泉は長義の顔を見て目を見開いた。
なんだ?と小さく首を動かした拍子に目尻から雫が落ちた。
「え?」と二人で目を見合わせる。
「な、なんで泣いてるんだにゃ」
「泣く? まさか。汗じゃないかな」
「汗」
「暑いし」
「そうかよ。じゃぁ、」
言って南泉は足で扇風機の風量を最大にした。
ブオオと風の音に聴覚を奪われる。
行儀が悪い、という文句もかき消されてしまった。
南泉が振り向いて、長義の耳に顔を寄せる。風が遮られて一瞬の静寂。
「相手はお前だって言ったら、満足かよ、にゃ」
そしてそのまま表情を見せず背を向けて走り去ってしまった。
再びの轟音。
呆然と扇風機と、手に持っている溶けかけのアイスと、視線が彷徨う。
心臓が再び稼働を始めて、働かせすぎだと胸を叩いて苦情を報せる。
不意にあの二重線が頭に浮かんだ。
南泉が誰かに恋をしていた。
南泉が誰か長義に恋をしていた。
手に持っていたアイスを齧った。甘く溶けていく。
答えはイエスしか思い浮かばなかった。
終わり
ありがとうございました!