自由研究なんてのは、小学生までのものだと思ってた。
「……高校生になってやることになるとは思わなかったなぁ」
 ついついぼやいてしまうけれど、それでどうにかなるはずもなく。
 視線を窓の外へと逃がす。
 そんな私を、太陽は無情に照らしていた。
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 例年宿題の山を重ねていた物理や生物の夏休みは、自由研究に取って代わった。担当の先生が変わったこと、教育の方針が生徒の自主性に再び舵を切ったこと、詰め込み教育への批判、自由研究という名目で早めに終わらせて残りを受験勉強に充てられること……等々学校側で色々とあったらしい、というのは愛果の言だった。
 一体どうしたことだろう。愛果がそんな真面目なことを言い出すなんて。と思ったら気になって職員室に直接聞きにいったらしい。相変わらず謎の行動力だった。
 その効果があったのかどうか怪しいところではあるけれど、とかく教室からはいくつか歓声の声が上がっていた。大体は要領のいい生徒と、それ以前に宿題を全然やってこない生徒だ。
 一方の私は難しい顔をしていたのだと思う。
 確かに市民劇団の練習は大変だけれど、部活みたいに毎日ってわけじゃない。そもそも劇団員の人だって普通の会社員でもあるのだから、精々週一回か二回。それに加えて私は受験シーズンも考慮してもらったスケジュールになっている。
 もちろん自主的な練習は欠かせないとはいえ、勉強に割く時間がないわけじゃない。だから元の宿題の山でも問題なく対応できた、のだけれど。
 自由研究。
 ……なにをしよう。
 具体的になにも思い浮かばない。精々小学生の頃、お姉ちゃんに手伝ってもらった紫陽花の観察日記ぐらい。それ以降はただ先生受けする題材ばかりを選んでいた。
 自由研究って言うのは、私の好奇心でやるんじゃなくて、ただ宿題を終わらせたいだけ、そしていかに評価を得られるかってだけだった。
 これまではそれでよかった。だけど。
「燈子」
 不意に名前を呼ばれる。顔を上げると、隣の下駄箱から沙弥香が歩み寄っていた。
「沙弥香。何日振りだっけ」
「三日」
「三日? うーんなんだか懐かしい感じがするけどなぁ。二年間同じだったらかも」
「私もそうよ」
 ローファーを履いた私が歩き出すと、なにを言うでもなく沙弥香も隣に並ぶ。
 こうして隣り合って歩くのも、久々だった。
「難しい顔してたけど」
 沙弥香がちらりと窺うようにして口を開く。
 どうやら心配をかけてしまったらしい。
「あー……自由研究がね」
 苦笑いして答えると、沙弥香も納得の色を見せた。
「あぁ。急な話よね」
「沙弥香のクラスもそうなんだ」
「今年はどこもそうみたいよ。とりあえずお試しでってことでしょう」
 やっぱりそういうことなのか。ひょっとしたら、沙弥香もみどりを経由して聞いたのかもしれないけど。
「沙弥香はなにするか決まった?」
 水を向けて訊ねる。ちょっとでもヒントをもらえないかなと思って見つめていると、目を逸らした沙弥香はぽつりと呟いた。
「……猫の液体説について……」
 言われた内容が一瞬分からなくて目をぱちくりとしていると、沙弥香は溜め息を吐いた。
「冗談よ」
「目が本気だったけど」
「冗談よ。まぁでも折角だからウチの猫を題材にしたいわね」
 なるほど。液体説云々は別にして題材はもう決まってるのか。
「いいなぁ」
「決まらない?」
 思わず零した言葉に、沙弥香が訊ねてくる。
「そう、だね。多分色々やりたいことはあるんだと思うけど。なにをやりたいのかはさっぱり」
 そう。これまでとは違って、やりたいことはある。
 ただ、どこまで欲張りになるか。なにに欲張りになるか。それがまだ見えないだけなんだろう。
 受験勉強もある。劇団の練習もある。友達と遊ぶのもある。
 なにより、侑と一緒にいたい。
 そことのバランスを考えると、自由研究の比重は決して重くない。
 そうした制限の中でなにを選ぶか。それが難しい。
 ……きっと、去年までだったらそんなことでさえ言えなかっただろう。
 それを打ち明けるのは弱さだったから。
 今は違う。
 私は少しだけ変われたから。
「自由研究なんだから、好きなものについて調べればいいのよ」
 沙弥香もそれを分かってくれてるのか、柔らかく笑った。
「好きなもの……」
 試しに想像してみる。
 ……真っ先に思い浮かんだのは、侑の顔だった。
「……分かってると思うけど、節度は弁えないとだめよ」
「え、うぇえっと、もちろんだよ」
 じとっとした沙弥香の声と目に、思わず声が裏返る。
 いやでも待って欲しい。沙弥香。いくらなんでも私だってそういう節度はあるよ?
 ……だめだ。脳内侑が同じ目で見つめてくる。「へーそーですかー」とか言ってくる。
「なら、いいわ」
 いくらか疑わしげに見つめてきていた沙弥香は、溜め息を一つ吐いて小さく笑った。
「それじゃあね、燈子」
 そう言って沙弥香は、学校の長い坂を下りたところで左に歩き出す。
「沙弥香」
 その背中を呼び止める。
「ありがとう。私、見つけるから」
 私の声に沙弥香は驚いたように振り返って――苦笑いのような、安堵するような笑顔を浮かべて、再び歩き始めた。
 見送った私も右へと歩き出す。
 その足取りはさっきよりも少しだけ軽かった。
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