夜の海に、燈子は溶けていた。
 急な静寂が、どことない不安を駆り立てる。
 直前まで「ほら侑、こっち」と呼びかけた声が、ばしゃんと波間に跳ねる音のあとにはすっかり消えて、漣が残響をさらうばかり。
 水面は夜空を映している。燈子の髪とおんなじ色。深い黒の色。
 月明かりと星明りが、一面に散りばめられている。
 焦りはない。漠然と燈子がいることは分かったから。ただ、不安だった。
 夜の中を、わたしは泳ぐ。
 伸ばした手の先、慣れた熱が触れた。
「――燈子」
「侑?」
 夜が起き上がり、人の形を取る。
 燈子だ。夜と星の瞳は、その中においてもいっとう輝いてる。
 月明かりに浮かんだ白い顔に、ようやく安堵の息を吐き出した。
「もう、急になにしてんの」
「侑も、ほら」
 掴んだ手が逆に引っ張られて、わたしは抗議の声を上げる間もなく夜に呑まれる。
 ごぼり。夜が息吐く。
 ぷあ、と顔を上げたわたしの前には、やはり夜があった。
 境のない夜。果たして今、わたしは空と海のどちらにいるのだろう。
「きれいでしょ」
 どこか遠くから燈子の声が聞こえる。耳に水が入ってるから当然だった。
「まぁ、きれいだけどさ」
「夜に来た甲斐があるよね」
「え、もしかしてこれ目的?」
「え、うん」
 なんだ。夜の浜辺で散歩したいだけじゃなかったのか。
 こっそりと溜め息を呑む。
「なぁに?」
「べっつにー」
 なんでもないいつもの会話。それきりまた、燈子は夜に見入ったようだった。
 二人夜に漂う中、わたしはつないだままの手を握り締める。
 夜が燈子をさらわないように。
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