校門を抜け、遠見東名物の坂道を登って昇降口まで来た時、まるで出迎えるようにして笹が頭を下げているのが見えた。
「おー。今年もやったんだ」
 傍の机には、ペンと短冊が置いてある。
 「願い事を短冊に書いて笹に下げよう! 生徒会」というポップの文字に反して、笹に下がる短冊の数は寂しい。まぁ、置いたばかりならそんなもんだ。
 できた後輩たちは今年も生徒会劇をするんだと息巻いていた。てっきり堂島くんの代までで終わるだろう、と思っていたわたしたちは、驚きながらも嬉しかった。
 もちろん素人軍団では一昨年の出来に遠く及ばなかっただろうけれど、生徒会劇を楽しんでもらえたということだから。伝統行事に復活したらいいな。
 去年も一昨年も見た光景に目を細める。三年生になったら年寄り臭くなっていけない。
 そんなこと言ったら、あの人は笑うだろうけど。実際、一年の差を意識してしまってるものだから、自分でも笑っちゃうし。
 短冊を手に取り、校舎に入る。
 さて、今年はなにを書こう。
 /
 わたしは三年生になって、燈子先輩は大学生になった。
 学校も違えば生活形態もまるで違う。会う回数は極端なまでに減った。高校だったら、一緒に登下校することもできたのに。
 もちろんわたしも先輩もできるだけ会うようにしてるし、毎日のように連絡を取っている。それでも寂しくないと言ったら嘘になる。
 そもそもわたしだって今年から大学受験だ。中間考査の結果が芳しくなく、焦ってる。特に数学。まずい。
 ……夏休みは燈子先輩に家庭教師でも頼もうかなぁ。
 名案かもしれない。今も頼んでるけど、そしたら夏休みの間に一緒にいられる口実ができる。あとはあの人の忙しさ次第ではあるけど。
 でも問題はそれ以外の時だ。わたしは一人で勉強に集中できるタイプじゃないからなぁ……。いっそ予備校とか学習塾も検討すべきかもしれない。
 そもそも先輩も忙しいのだ。あんまり甘えるべきではないのかもしれない。塩梅が難しい。
 燈子先輩には「私というものがありながら!」とか言われそうだけど。先輩じゃなくて自分の学力が問題だから不安は拭えないのだ。
 ……いっそ、お願いは志望校合格にしようかな。
 ホームルームの連絡事項を聞きながら短冊を指先で弄ぶ。結局一日考えても名案は思い付かなかった。
 当然表向きのお願い事だ。本当に書きたいのは、もっと欲張りでわがままなこと。
 どの道後輩たちのためにも短冊にお願い事を書きたいのは確かなんだけども。
 それを校内にさらす勇気がないだけ。
 誰がなにを書いたのかなんて、そんなに気にされないだろうけど。槙くんとかこよみや朱里なんかはからかってきそうだし。
 いや、なんなら書いてないなら書いてないでからかってくるな。特に槙くん。クラス別だけど。
 それなら書いた方がいいのかな。分からなくなってきた。
 はぁ、と溜め息。
 周りを気にし過ぎなのかもしれない。先輩が卒業したから、以前よりは気にすることも少なくなってきたのに。
 うだうだと考えたところで、本当の願いは変わらない。
 ――燈子先輩と一緒にいたい。傍にいたい。
 好きでいたい。好きでいて欲しい。
 変わらない。付き合い始めた頃から、ずっと。
 だけど当面は予定が合わない。燈子先輩も忙しいし、わたしもわたしで忙しいから、仕方ない――
 ――会いたい。
 すぐこれだ。想いは募るばかり。
「それじゃあ、今日は台風が来るから部活は全部中止。すぐ帰れよー」
 担任の先生の言葉が終わると、途端に教室に喧騒が溢れ返る。
 週末の台風への文句を耳にしながら、わたしも教室をあとにした。
 /
 家に帰ってくると、居間のテレビで天気予報が流れていた。どうやら台風はもうそろそろこの辺りに接近してくるらしい。
「侑ー」
 それをぼんやりと眺めていると、お母さんから呼ばれる。
「なにー」
「これ」
 そう言うお母さんが持っていたのは、いくつかのタッパーだった。
「台風来る前に七海ちゃんに渡しといてくれない? ちょっと心配になってきちゃって」
 どうも実の娘のことよりも心配しているらしい。よっぽど印象がよかったのだろう。
 なにはともあれ今は先輩の猫かぶりに感謝だ。
 だってその言葉を聞いた途端に、わたしの心はすっかりと先輩一色に染まり切ってしまったから。
「えっ、いいけど……間に合うかなぁ」
「七海ちゃんに迷惑かけないよう、早く帰ってきなさいよー」
 口先ばかりの難渋は気に留められなかったらしい。タッパーの入った袋を受け取ったわたしはすぐさま踵を返して、どたどたと階段を下りていく。
 戸を開けるともうすでに雨が降り始めていた。傘を差して駅へと水飛沫を上げながら走る。
 足元や車に気を付けながら足を動かし、改札でICカードを叩き付け、電車に飛び乗る。
 体力の低下を実感しつつ、一息吐いたわたしはそうだと先輩に連絡を入れた。
『今から行きます』
 既読が付いたのと目的の駅に着いたのは同時だった。
 確認する間も惜しんで駅を飛び出すと、そのまま先輩の住んでるアパートまで走る。この何ヶ月かだけでももう来慣れた道だ。
 雨はざぁざぁ振りになってきた。
 だけどそれ以上に、胸の中は先輩のことでいっぱいで。
 ようやくアパートに来たわたしは、荒い息を零しながらスマホを確認する。
 先輩からの連絡が来ていたけれど、それに返信するのももどかしくて、わたしはコールボタンを押した。
『侑っ?』
 コール音が一度鳴ったか鳴らないかくらいで、先輩の声が響き渡った。
「つ、着きました……開けてくれます?」
 息も絶え絶えに伝えると、すぐに目の前の扉が開く。
「侑!」
 そこから満面の笑みを浮かべて飛び出してきた先輩は、わたしを見るなり声を上げた。
「ってずぶ濡れじゃない!」
「急いで、来たから……」
「ほら上がって、風邪引いちゃうよ」
「いやでも……」
「いいから」
 そうやって手をぐいぐいと引っ張られてしまえば逆らう術なんてない。わたしは苦笑を浮かべて、仕方なさそうに先輩の部屋の中へと足を踏み入れた。
 玄関先で先輩はすぐさまタオルを手にしてわたしの髪を優しく拭き上げ始める。わたしもタオルを借りて手足を拭く。あんまり意識してなかったけれど、結構水や泥を跳ねていたらしい。
「なんか懐かしいね」
「そうですかね」
「昔とは逆だけど」
 確かに去年までこういうことは度々あった。わたしも釣られるように懐かしさに浸りそうになる。
「それで、どうしたの?」
 しかし役目を終えたタオルを洗濯籠に入れながら先輩に問われることで、ようやく当初の目的を思い出すことができた。
「あぁ、いや、お母さんから先輩にこれ届けてって」
 そう言って袋を差し出すと、先輩は中を見て顔を綻ばせた。
「ほんと? 助かるなぁ」
「やっぱりあんまり自炊してないんだ?」
「し、してるよ?」
 目、目逸らしてるんだけど?
「冷蔵庫の中見ていい?」
「だ、だめったら」
 まぁこの反応の時点でお察しだ。ほんと、色んなことができるのにちょくちょく抜けてるなぁこの人は。
「そういやなんで制服のまま?」
 話題逸らしのためか、燈子がそう切り出してくる。
 慌てて目を落としてようやく自分の格好に気が付いた。
「え。あ、帰ってきてすぐ言われてそのまま飛び出ちゃったから……」
 着替えるなんて考えにも至らなかった。先輩に早く会いたい一心だったとはいえ、ちょっと恥ずかしい。
 って、あんまりのんびりもしてられないんだった。
「それじゃあ、お邪魔しました」
「え? もう帰るの?」
「早く帰れって言われてるし」
 わたしも残念だけど。けどこうして一目でも会えたから。
「でももう結構ヤバいよ?」
 だけど燈子はどこか落ち着いてるかのようにカーテンを開ける。
「うわぁ」
 窓の外はもはや土砂降りだ。気付かなかったけど、耳を済ませれば風の音もすごいしてる。
「いやでもやっぱり帰らなきゃ」
 それでもと渋っていると、燈子はやおら立ち上がった。
「ちょっと待ってて」
 そう言って燈子はスマホを片手にリビングから出ていく。
 少しして戻ってきた燈子は、笑顔を浮かべて言った。
「オッケーだって」
「はい?」
「お母さん、泊まっていいって」
 ……もしかして電話してたの?
 あのお母さんが頷くなんて、どんなことを言ったんだろう。これが信頼の違いってやつか。っていうかいつの間にお母さんと連絡交換してたの。
 固まってるわたしに、先輩は嬉しそうに声を弾ませる。
「ほら、そのままじゃ風邪引いちゃうからお風呂入って」
「先輩? なんでそんな用意周到なの?」
 連絡したの、さっきだよね? もしかして最初から帰すつもりなかったってこと?
 なんて悪い先輩なんだ。
「じゃあ、一緒に入ろっか」
 だけど、屈託のない先輩の笑顔を見て。
「……うん」
 わたしも、心の底から嬉しさを浮かべた。
 それこそがわたしの願いだから。
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やがて君になる58
初公開日: 2022年07月02日
最終更新日: 2022年07月03日
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