#夏五版ワンドロワンライ延長戦
第63回目 お題【ペルシャ猫】をお借りしました
呪専夏五で夏(→)(←)五な二人と猫ちゃん
五条悟は知っている。
夏油傑という男は、随分とふざけた男だ。
『悟、君って案外可愛いよね』
五条家の嫡男であり次期当主である『五条悟』を捕まえて、普通の人間がそんなことを言うはずがない。
『俺にそんなこと言う奴なんてオマエくらいだってーの』
意味が分からず見やった先には微笑む男がいて、二か月も年下のくせにまるで大人のような顔をする相手に思わず舌を出すと、それを見た夏油傑が更に笑った。
そうしてそれからも頻繁に、彼は悟を示して『可愛い』と言った。
例えば朝顔を合わせたときの寝ぐせ。一緒に食事をとる時のメニューの選び方。悟が知らない遊びへ相手を誘うとき。相手の誘いに悟が頷くとき。一緒にいたいと悟が言うとき。それ以外にも様々だ。
あまりにも傑がそう言うから思わず鏡で確認してしまったが、鏡の中にはすくすくと背丈も伸びた自分がいるだけだった。
体つきだって、体術訓練を重ねているのだから、格闘技を好む傑ほどではないにしてもしっかりと鍛えられている。六眼を宿した見目はほかの術師達とは少々違うが、それだって『可愛い』素養にはならない。
そもそも悟が『可愛い』なんて言葉を向けられるようになったのは、呪術高専へ入学してからのことだ。
幼い頃はどうだったのか知らないが、少なくとも夏油傑以外に、真っ向から悟へそう言ってくる人間はいなかった。
やっぱり、この同級生は随分とふざけた男だ。
「君、可愛いね。どうしたんだい、こんなところで」
下手なナンパ男のような台詞を吐きながら、言い放った男の前でみゃあと細く鳴き声が上がる。
任務帰り、他へ術師を運んで行った補助監督を待っていたコンビニの駐車場で、屈みこむ夏油傑の前にいるのは小さな猫だった。
『小さな』とは言っても、見た目からして随分と育っている。悟や傑の大きさに並んだせいで小さく見えるが、恐らく残り一人の同級生である家入硝子が抱き上げればその大きさが分かるだろう。毛足は長くふわふわとしていて、色味は明るく、毛先が青みがかっている。悟は動物の種類などそう知らないが、チンチラだと傑が言ったので恐らくそれだろう。
四つ足は短めで尻尾も太く、くりくりとした丸い青の瞳が自分を見下ろす相手を見上げていた。
「うーん、野良には見えないんだけど。君、飼い猫じゃないのかい」
声を零しつつ夏油傑が手を伸ばすと、寄ってきた掌にふんふんと鼻先を寄せた猫がすり寄る。
大きな手へ頭をこすりつけるようにされて、うわ、と傑が声を漏らした。
「すごい手触り。絶対飼い猫だね」
何がどうその判断に至ったのかを悟は知らないが、そんな風に言いながら猫を撫でまわす男の顔はとても緩んでいる。
その手元でゴロゴロと喉を鳴らす猫を見やり、それから改めて同級生を見やった悟の眉が、少しばかり動いた。
猫に対して可愛い可愛いと言いながら、毛玉を撫でまわす男の動きには躊躇いが無い。その手慣れた様子は今までもこうしてどこかで野良の生き物なりを可愛がっていたのだろうというあらわれに思えて、その事実がもやりと悟の胸を刺した。
何故って、緩み切ったその顔に、なんとなく見覚えがあるのだ。
『悟、君って案外可愛いよね』
悟へ向けてその単語を向けるときと、大して変わらない。
その事実は即ち、夏油傑という男にとっての五条悟が、その手元にいる猫と大差ないということを示していた。
術式も持たず六眼も無い毛玉の塊と同じ扱いとは、果たして一体どういうことなのか。
思わずそれを問いかけようとして、しかし悟の口がそれを飲みこむ。
その代わりにゆっくり息を吐いてから、数歩だけ離れていた相手へと近寄った。
コンビニの駐車場は広い。邪魔にならないようにと端へ移動したため、補助監督が車を回せばすぐに分かるだろう。
車止めの傍に屈む相手へ近寄ってから、そちらへ背中を向ける。
そうしてそのまま、五条悟の展開した無下限呪術が、普段と変わらぬ動きでその体を包んだ。
悟が求めたもの以外何者をも通さぬ無限の領域越しに、悟の体が後ろの相手へと腰掛ける。
がさがさと手元の袋を漁り、引き出したのは先ほどコンビニで買い込んだ紙パックの飲み物だ。白と茶色のパッケージを見下ろして、店員から渡されたストローの包みを開いて咥えた。そのまま一リットルほど入っているそれの口を開けてストローを差し込み、ず、と中身を吸い上げる。口の中にはわずかな苦みと、それから甘さが広がった。
悟にだってコーヒーくらい飲める。
エネルギーが欲しいからミルクと砂糖の入ったものを選んだだけだというのに、飲み物の棚で選んでいた悟を見やった男が『可愛いの飲むね』と言ったことまで思い出し、眉間へと皴が寄った。
使っている術式のおかげで失われるエネルギーを補給しながら、そのまま過ごして、一分、二分、三分。
「……悟?」
そこでようやく気付いたらしい男が、悟の尻の下から声を上げた。
「なんだよ」
半分ほど飲んだところでストローから口を離した悟が答えると、いやなんだよって言うか、と夏油傑が声を漏らす。
「君、今、私の上に乗ってない?」
立ち上がれないんだけど、と続く言葉に、さぁな、と悟は答えた。
無下限呪術は問題なく発動している。
接触が出来ないために悟を持ち上げることも出来ない男は、未だに屈んだ姿勢のままだ。
「さぁなじゃなくって。これ君の術式だろう。こんな往来で使うのは止めな」
屈んだままで声を漏らしてきた相手に、オマエ以外に作用してねえから誰にも分からねえよ、と悟は肩を竦めた。
術師に術式や呪力の秘匿が求められるのは、未知を知った非術師が恐怖心から呪霊を生み出す可能性があるからだ。ここで悟のそれに気付いたのは傑だけだし、何一つ問題はない。
返事をするのをやめてストローへ再び口をつけた悟の真下で、なんなんだ、と困惑に満ちた声を漏らす男がいる。
「……ああ、ごめん、何でもないんだ、心配しないで」
にゃあ、と少し細くて高い鳴き声がして、それを受けてそんな風に聞こえた柔らかな声音に、悟の口がストローの端を噛んだ。
相手の上に腰掛ける格好になっている悟には見えないが、どうせまた先ほどのようにだらしのない顔をしているのだろう。
不愉快極まりないと眉を寄せ、体を術式に預けるついでに足を組む。片足を持ち上げたところで、悟の体が相手から滑り落ちてしまうようなことは無い。
「せっかくだから何か買ってきてあげようと思ったのに、悟が邪魔をするんだ。酷いと思わないか?」
「そこらの猫に餌くれてやんのはマナー的にどうなんだよ」
猫に話しかける体で不満を口にする男に悟が世の中の常識を問うと、君って正論嫌いじゃなかったっけ、と夏油傑の声に笑いが滲む。
行動を阻まれているというのに、彼には怒った様子も無い。
むしろ楽しんでいるような節すら感じて、足を組んだままで少しだけ身を捩った悟は、自分が下敷きにしている男を見下ろした。
そうしてその視界に入ったのは、白くて毛足の長い猫を撫でる夏油傑の、大きな手だ。
「…………」
「うわっ」
ふ、と術式の展開を解除すると、悟の重みが相手にかかった。
驚いたように体を傾かせた男が、猫から手放した手をアスファルトへ押し付けて体を支える。急な動きに驚いたらしい猫が真上へ飛んで、そのままその場から逃げ出した。
「あ……」
思わずと言った風にそちらを見送った傑が、そのままでそっとため息を零してから身を捩る。
さすがに片足で体を支えるのは難しく、悟の両足がアスファルトへ触れたところで、『悟』、と男が自分に座る相手の名を呼んだ。
「急に術式を解除するのは止めてくれないか」
「使うなって言ったり解除するなって言ったり、我儘かよ」
「それはこちらの台詞なんだけど」
どうしたの、と声を漏らしつつ身を捩った男が立ちあがろうとするので、悟の両の踵がしっかりとアスファルトを踏みつけた。
ぐっと力を入れて相手へ体を押し付けると、負荷を感じたらしい傑が、ちょっと、と声を漏らす。
身を捩ろうとする相手の上へ座ったまま、悟の口が再びストローを噛んだ。
吸い上げた甘いカフェオレが舌を撫でて喉奥へ入り込む。紙パックの中身はもう三分の一だ。飲み終わったら店内へ戻って、もう一本追加してやろう。
そんなことを考えつつ一口、二口と飲み込んでからストローを逃がした口を、軽く開く。
「にゃあ」
相手へ座ったまま、そんな風に声を漏らした悟の真下で、ぱち、と傑が目を瞬かせた。
数秒ののち、ばっと勢いよく身を翻されて、相手の背中の上から落とされてしまった悟が仕方なく自力で立ち上がる。
そうして振り向けば屈んでいた相手もこちらを向きながら立ち上がったところで、悟を見やった男の口が言葉を紡いだ。
「……君、やっぱり案外可愛いよね」
言葉を零して、先ほど猫を撫でまわしていたのとは逆の手で自分の口元を軽く覆う相手に、は、と悟の口が笑い声を零す。
「俺にそんなこと言う奴なんてオマエくらいだってーの」
だらしなく緩む顔を睨んでやりながら声には刺を含ませてやったというのに、ふざけた男には全く効果が無かったようだった。
終