夏五版ワンドロワンライ第107回
お題【予想/背筋/昭和モダン】
#夏五版ワンドロワンライ延長戦
夏五ワンライ第107回から【背筋】をお借りしました
お付き合いしている呪専夏五(2年生)
その背中を見やると時々、育ちが良いのだな、と感じる。
「何見てんだよ」
「いや、別に」
視線に気付いたらしい相手がじろりと目を向けてきたので、夏油傑は笑って答えた。
不思議そうに首を傾げる男の手元には、短いスチール缶がある。先ほどそこの自動販売機で購入した飲み物だ。夏油だったら買わないような甘そうなパッケージで、開いた口からはふわふわと湯気が漏れている。
任務の帰り、二人で揃って佇んでいるのはそこが公園の端だからだ。
補助監督の送迎を断って、二人で帰還がてら立ち寄った場所だった。
時刻は夕方に近いが、遊具で遊んでいる子供の姿は少ない。何せ真冬は抜けたとは言ってもまだ春は遠い頃合いだ。揺り戻しでここ数日はすっかり気温が下がっていて、傍らの同級生曰く『暑がり』らしい夏油ですらも少し寒いと思うほどだった。夏油の手元では、黒いスチール缶が口も開けずに湯たんぽの代わりをしている。
「飲まねぇの?」
「うーん」
「飲まないのに買ったのかよ」
不思議そうに言いながら佇む男が、ココアの表示がされた缶に唇を寄せる。
柔らかそうなそれが少しだけ中身を啜るのを見やって、それからすぐ近くのゴミ箱を見て、改めて夏油は傍らの相手へ視線を戻した。
『そこで飲んでいこうぜ』
そんな風に言って、夏油を公園へ誘ったのは彼だ。
いつも寒い寒いと文句を言いながら夏油へ纏わりついてくるくせに、送迎を断って吹き抜ける風に少しばかり震えながらも、彼が指で示したのは公園の端だった。
残念ながら繁華街は過ぎており、残るはしばらく先のコンビニしか入れるような店も無い。
『ここは我慢して、寮で炬燵に入ってあったかいものでも飲もう』
夏油はそう言ったのに、『いやだ』とわがままを言った彼が自販機で飲み物を買って移動したので、夏油も仕方なくそれについてきた。
今はこうして、わざわざすぐにゴミを捨てられる場所に佇んで、熱い飲み物を口にしている。
ふう、と男が飲み口から息を吹きかけると少しだけ湯気が零れて、また少し彼は飲み物を口にした。
「……悟って猫舌だよね」
ちびちびと飲み物を飲む男へ言いながら、夏油の手が自分の持っていた缶を着ていたコートのポケットへ納める。
任務の最中に使ってすっかり温度の低くなった使い捨てカイロの横にそれを置きながら見つめると、なんだよ、と缶から口を離した男が眉を寄せた。
「別に良いだろ、猫舌でも」
「いやいいんだけど、寮でだったら適温で出してあげるのに」
不満たらたらの男へ言い放ち、夏油が笑う。
傍らの彼が甘党で猫舌で寒がりだということを、夏油は知っている。だからこそ、できればこんな外でより、温かな部屋へ招きたい。なんなら年の暮れから夏油の部屋には炬燵が導入されており、傍らの彼どころか後輩達だってたまり場にしているくらいなのだ。
夏油の部屋には彼専用のマグカップが置いてあるし、彼が飲めそうな適温にまで飲み物を覚ます技術だってすでに昨年のひと冬で身に着けた。彼と同級生になって二年目も終わりそうな今、同じだけの技術を持つ人間は呪術高専東京校において自分しかいないという自負がある。
もう一人の同級生が居たら『誰と争ってんの』と呆れられそうなことを考えつつ微笑んだままの夏油の横で、知ってる、と彼は口にした。
「オマエそう言うトコ細けーもんな」
「こまかいって」
「オマエの出すもんならまぁ大丈夫だって知ってるし」
「それは買いかぶりすぎかもしれないな……」
さらりと言われて、夏油はなんだか少し照れてしまった。
傍らの彼が随分と警戒心の強い人間だということも知っているから、なおさら擽ったい。
夏油の知らない世界で生まれて生きてきた彼は、夏油の常識では計り知れないものを知っている。
生まれた時から命を狙われるなんてことも知らなかったし、彼を取り巻く五条家という環境も、夏油には訳の分からないことばかりだ。
彼が夏油へ見せてくれる信頼は分かりやすく、その事実がソワソワと落ち着かない気持ちにさせて、にやけを隠すように顔を背けた夏油の背がゆるりと丸まった。
「……傑って猫背だよな」
そこでそんな風に言われてしまい、おっと、と夏油は意識して背を伸ばした。
少し顎を引いて傍らを見ると、大して目線の変わらない男が唇に缶を押し当てて笑っている。
面白がるようなそれと、サングラスの隙間から覗く青い瞳のきらめきに、ふ、と夏油の口にも軽く笑みが浮かんだ。
「君は定規でも入ってるんじゃないかってくらい真直ぐだよね」
「定規?」
「そう、背中。この辺」
言葉を放ちつつ、夏油の手がひょいとコートから抜け出る。
「うひっ!?」
それをそのまま相手の背中に当ててするりと背骨をなぞるようにすると、コート越しだというのにくすぐったかったらしい相手が慌てて背中を逸らした。
撫でられたくない猫のように逃げられて、目を丸くした夏油の手が、背中から腰に回る。
「うわっ、オマ、やめろよ!」
「いや、あれ? 君そんなにくすぐったがりだったんだ?」
「くすぐったくねぇし!」
分かりやすく悲鳴を上げながらそんな風に言い放つ彼は、手元に飲み物があるせいで大きく逃げられないらしい。
術式でも使えば簡単に逃げられるだろうに、それをしない相手におかしくなってしまって、意地悪を止めた夏油は相手からぱっと手を離した。
逃げるように身を捩り、その体の正面を向けてきた相手へ、自分の掌を晒して見せる。
一度、二度とひらひら横に振って、それからポケットへ凶器を収めると、それを確認した相手がようやく身構えるのを止めた。
「オマエな……マジで、そのうちセクハラされたって言い付けるからな……」
「誰に言いつけるんだ」
「夜蛾センか七海」
「硝子じゃないの」
「硝子はどうせ『好きに触らせたらいいじゃん。五条の尻なら減らないし』って言うだろ」
きっぱり言い放たれて、うーん、と夏油は少しばかり首を傾げた。言うだろうか。言うかもしれない。
「でも私、君のお尻とか触ってないんだけど」
そもそも『そのうち』と言われるほど相手へ触れた覚えも無いと思って言葉を返すと、存在がもうセクハラだのなんだのと大変酷い言葉が返された。
言いながらも、体の向きを戻して横へ戻ってきた相手に、やれやれと夏油の肩が竦められる。
片手に持っていたスチール缶を傾けて、隣の彼はまた飲み物を飲んでいる。ふわふわ漂う湯気すら甘そうで、それを舐めている舌もきっと甘いのだろうな、と夏油はぼんやり考えた。
「大体、彼氏にセクハラも何もないんじゃないか?」
『好きだ』と伝えて、『俺も』と返された秋の入り口。
夏油傑が得た生まれて初めての『彼氏』は、どうも少しおしとやかな部類の人間だったらしい。
付き合い始めてからは以前のような気安い接触が減っていて、どうにかそれを取り戻したいと試行錯誤しているところだった。
「このくらいの触れ合いくらいスキンシップじゃないかな」
そう言ってみるが、隣の相手は無言で応えない。視線を合わせようとはしないものの、逃げはしないのだから本気で嫌がっているとは思えないが、どうやら頷けないらしい。
まだ早かったか、と少し落胆したところでひゅうと吹き抜けた風が思ったより冷たく、隣の相手がふるりと震えたので、夏油は相手の方へと体を寄せた。
そっと肩を触れさせても、今度は騒がれる様子も無い。
体格が殆ど変わらないのであまり風よけにはならないかもしれないが、風下の彼を庇うように足を動かすと、ちらりと男の視線が夏油を見やった。
物言いたげな青い瞳を見返して、夏油の手がコートのポケットの内側からコートを軽く揺らす。
「飲み終わったら左手借りてもいい?」
優しく囁いてみると、しばらくの沈黙の後で、彼は左手で持っていた飲み物を右手に持ち替えた。
「ん」
あわせてその左手が夏油の方へと寄越されたので、欲張りな男に笑いつつ、夏油の手が彼の手をポケットへと招く。
飲み物の缶に触れていた掌は温かいが、手の甲のあたりはもうすっかり冷えていた。マフラーやコートと共に用意してあった手袋は、二人揃って任務の最中で駄目にしてしまったのだ。実際のところ洗えば使えるだろうが、呪霊の体液に沈んだものは流石にもう使いたくない。
「今日の任務で私も昇級かな」
「そりゃそうだろ。落ちるなんてありえねえし」
「はは、すごい自信だ」
笑えば『信頼してんだよ』と言い返されて、寄越されたそれにますます擽ったい気持ちになってしまう。
五月の任務から暫く、彼と自分の間に出来た気がする深い深い溝を埋めるための努力が、少しでも実を結んでくれていたらいい。傑のそんな考えを読んだように、大丈夫だよ、と隣から声がした。
寄越されたそれに背中を押された気になって、丸めかけていた背中を伸ばす。
そうしながら傍らへ視線を戻すと、夏油の方を向いていない男が、ふう、と缶へ息を吹きかけていた。
どうやらまだまだ熱いらしい飲み物を手にした彼を見つめて、夏油の手がもぞりとうごめく。
「…………おい、セクハラ」
「ええ、これもダメなの?」
ポケットの中で相手の掌と指を絡み合わせただけで寄越された指摘に、夏油は少しだけ笑いつつ指へと力を込めた。
嫌そうな声を出した割に誰かさんは手を振り払わなかったので、どうやらこれは許容範囲らしい。
その事実を握りしめてにこにこと笑う夏油の横で、結局夏油傑の『彼氏』が公園から帰ろうと言い出したのは、彼が持っていた熱々の缶がすっかり冷えてしまってからだった。
おわり!