森を奥へと進むほどに、独特の異臭が漂ってくる。
「手ぇ放すなよ」
 その言葉に頷き、ヒュンケルはポップの二の腕に添えた手に力を入れた。触れている箇所から解毒の魔法が伝わり、二人の身体を淡い光が包み込んでいる。
 魔王ハドラーの居城、そして不死騎団の本拠地でもあった地底魔城跡。フレイザードにより活性化されたマグマも今は落ち着き、火山はかつてと変わらぬ静けさを取り戻している。しかし長らく敵軍領地であったがゆえに手つかずだった土地は十分な調査がなされておらず、平和になった現在も人々は怯えて近づこうとはしない。加えて、周辺に毒性ガスが発生しているとの報告も上がっていた。詳細な地域調査が必要であると考えたレオナの依頼を受け、ポップとヒュンケルがこの地に赴いたのだ。
「この辺りに隠し通路の入り口があったはずだ」
 ヒュンケルの言葉にポップは足を止める。杖の先で大岩の下を突くとボコリと穴が開いた。通路自体は土砂で埋まっているようだが、知らずに踏み込めば穴に落ち大怪我をしていただろう。手中の地図に注意すべき場所として書き記す。地図には付近のガス濃度や気体が滞留しやすい場所なども書き加えられた。少しずつ歩みを進めながら、二人は淡々と調査をこなす。
 ふっとポップは視線を上に向けた。何かが視界の端で動いたように感じたのだ。高さ三メートルほどの木に、黄白色の花が咲いていた。細い花弁がひらひらと風に揺れている。
「樒だな」
 同じ方向に目を向けたヒュンケルが呟く。ポップもその名前だけは知っていた。確かホルキアの固有種だったはずだ。
「お前、結構植物に詳しいよな」
 ポップの素直な賞賛に、しかしヒュンケルは苦い笑みを浮かべる。
「父から教わったのだ。あの木は強い毒を持つ。決して花や実を口にしないように、と」
 へえ、と相槌を打つポップに目を向けることもなく、ヒュンケルは揺れる花を見つめる。
「オレが知っているのはそういう類いの植物だけだ。毒があるもの、触れると肌に異常を起こすもの。あるいは食用にできるもの。己にとって害を為すかどうかしか覚えてこなかった」
「大事なことじゃねえか」
 ヒュンケルの自嘲めいた言葉をポップはあっさりと受け流した。
「お前が間違えて毒を食わねえようにって教えてくれたんだろ? 優しい親父さんだったんだな」
 にこりと笑い、「ちょっと飛ぼうか」とポップはヒュンケルに声をかける。二人の身体はふわりと宙に浮いた。見上げていた樒の木を越え、地底魔城跡全体が見渡せる場所まで上昇する。火山の近辺には溶岩の流出跡が見えた。草木も生えぬ荒れ地からはところどころ蒸気が噴出している。
「あの下に眠ってるんだな……お前の親父さんや、昔の部下達も」
「ああ……」
 ポップはすう、と深く息を吸った。そしておもむろに言葉を紡ぎ始める。死者を弔う祈りの一節だ。ポップは神官でも僧侶でもないが、賢者相当の実力を持つ者として神事に祝詞を捧げる仕事を請け負うこともあった。今紡がれている言葉も、先の大戦の犠牲者を悼む式典で彼が詠ったものだ。
「おれはあの木のこと、本でしか知らねえんだけどさ」
 祈りを終えたポップはヒュンケルに語りかける。
「一部の宗派では死者を送るときに使われるらしいな。樹皮から作った香の香りが魂を浄め、安らげてくれるらしい」
「そうか……それは知らなかったな」
 幼い日々を過ごした魔城跡を見下ろしたまま、ヒュンケルは呟く。ポップの二の腕を掴む手に更に力が入った。ポップは痛みを訴えるでもなく、静かにヒュンケルの横顔を見つめる。
「一応敵方にはなるんだろうけど……お前の親父さんや部下達も、安らかに眠ってくれていたらいいなとおれは思ってるよ」
 ヒュンケルは無言で視線を先ほどの樒に移した。濃い緑の葉と黄白色の花が陽の光を浴びて輝いている。
「いつか、彼らの元に向かう日が来たとき」
 有限の生命を持つ存在である以上、必ず訪れる未来。その日を思いながら、ヒュンケルは樒の花を見つめる。
「あの花の美しさを伝えられたらいいと思う。お前が彼らを思って詠ってくれた祈りの言葉の美しさも、共に」
「ん……いつか、な」
 ポップはヒュンケルの言葉に柔らかい微笑みを返した。
「つっても、そう急いで行ってくれるなよ。よぼよぼのジジイになるまでは、こっちにいてもらうからな」
「そんなにも長くか」
「当然じゃん。まだまだこき使わせてもらうぜ」
 くすりと二人は笑い合う。ゆっくりとポップは高度を下げた。深い森の中に再び足を下ろす。
「お前がまだ知らない綺麗なもの、楽しいこと。あっちで親父さん達に伝えなきゃいけないことたくさんあるだろ」
「そう……だな。そのとおりだ」
 多くの罪を犯した身に安らかな眠りが訪れるとは思えない。しかし己を大切に育み愛してくれた存在に一つでも多くこの世界の美しいものを伝えられることができたなら、それはヒュンケルにとって至上の幸福となるだろう。
「オレにはこの世界でやるべきことがまだまだ残っているのだな」
 ヒュンケルの言葉にポップは「当然じゃん」と笑う。
 二人は森の中をゆっくりと歩き続ける。優しい光に包まれた青年達の後ろ姿を樒の花が静かに見送っていた。
 
 
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花とあなたと十二ヶ月 四月・樒
初公開日: 2022年04月29日
最終更新日: 2022年04月29日
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続き物にしたいヒュンポプ第4話。