大学も四年生になると慌ただしくなる。
 いや、講義自体は大方三年生までで取っていたから余裕はある。そこら辺は抜かりない。ある程度保険をかけつつ計画的に取って来れたのは、私の数少ない長所が発揮されたものと言ってもいいのかもしれない。
 おまけに私の場合はバイトもしていない。実家からの通いだったし、ハルと出かけるよりもハルのとこに入り浸ってる方が多かったものだから、そうする必要性を感じなかったというのもある。
 だからこそ三年生までの私は割かし暇な時間が多かったのだけど、しかし四年生ともなればそうもいかない。
 つまり、就活と卒論という二つの大きな壁に衝突することになった。
 いつものように望めるのであれば、私はどちらもそつなくこなすことができるだろう。もちろんそのために時間を費やしたり失敗を繰り返すことになるだろうが、他の人と比較した時にある程度のスペックを持っているという自覚はあった。小学生の頃の、同学年に対する万能感や対抗心のようなものはもはやないけれど、客観的な数字や他の人の様子を見れば、自ずとそのように思えるだけの勉強はしてきたし、面接もまだ練習段階ではあるけど特に大きな問題を指摘されることがなった。
 ただ私の問題は――向かうべき方向性が、ここにきて未だ定まっていないことで。
 本来ならそれを探るための大学生活であったはずなのに。私はなおも自分の進む道を決められずにいた。
「……沙弥香先輩?」
 ……まぁ。その一因であろう人物が、そこにいるわけなのだけども。
「ん。どうかした?」
 いつの間にか資料から目が滑った拍子に、物思いに耽っていた。いかんいかんと小さく首を振り、呼びかけられた声に反応して顔を上げる。
 見上げた先――呼びかけてきた当人たるハルは、いつもの快活なものとは違う、むむむと悩むかのような表情を浮かべていた。
「いや、別に、どうもしてないんだけど、さ」
「そう?」
「いや、イライラしてる顔もきれいだなー、って」
 それはどうもしてないんだろうか。
 っていうかちょっと待って。待って欲しい。色々と。
「……ごめんなさい。そんな顔、してた?」
「え、あー、うん、まぁ。ここ最近ずっと」
 ……確かに、私は感情やストレスが表に出やすい方だと自覚していたけれど。
 よもやハルの前でそんなみっともないことをしてたなんて。それも、ともすれば誤解を招きかねないようなことを。
「……本当にごめんなさい。そういうつもりはなかったのよ」
「え? ううん。四年生は大変だもんね」
 そう言って、ハルは本当に気に留めていないかのようににっこりと笑った。
 どういう形であれ、後輩に気を遣われてしまったという情けなさがのしかかってくるけど、今度は表情を律することに成功した、と思う。
「ごめんなさいね。卒論のテーマとか就職先とか、全然決まらなくて悩んでたの。気を付けるわ」
「いいっていいって。でも先輩、そういうのはすぐに決まりそうなものなんだけどなー」
「そうでもないわよ」
 逃げる判断は即決できるけれど。道を行く判断をするのには時間がかかってしまう。
 本来それに充てるはずだった時間をかっさらっていったのがハルなのだけど、当然彼女に当たるつもりなど毛頭ない。間違いだったと思わない。それが今の幸せだと断言できる。
 ただし私がそのように思おうとも、すべきことをしなかったツケが清算されることはない。
「他の人より少しはできるんだろうとは思うけどね。やりたいことなんてないから」
「そうなんだ? 逆かと思ってたけど」
「逆?」
「色々できるから悩んじゃってるのかなーって」
 ふ、と小さく笑みが零れる。
 この子は本当に面白いことを言う。
「私は選り好みするタイプなの。そんなにたくさん気を配れないわ」
 私は好きと嫌いとどうでもいいがはっきりしてる。おまけにそれぞれに充てる思考や時間も極端だ。
 それに、私はそこまで器用じゃない。燈子みたいにあれもこれもと欲張りに手を伸ばせるほどには。
 ふーん、と一度は納得の色を見せていたハルは、ふと悪戯めいた視線を私に向ける。
「わたしは?」
 その問いに意表を衝かれる――が、答えは決まっていた。
「当然、好きよ」
「……えへへー」
 自分で問いかけたくせに、ハルは気恥ずかしそうに笑う。
 ……しかし私がこうしてストレートに気持ちを伝えてもどったんばったん大騒ぎしなくなったのだから、彼女も成長したのかもしれない。あのオーバーリアクションが減ってきてるのは、ちょっとだけ残念だけど。
 それは、私に似てきた、ということなのだろうか。私の方はどうなんだろう。あんまり分からないけど。
 以前の忙しなさや熱から、ハルのことを夏のようにイメージしていたのだけど、年々落ち着きを身に付けてきた彼女は、それこそ春のような人になってきていた。
 それでも、こうした爛漫さだけは変わらない。どちらも、愛おしく思う。
 ハルと言葉を交わしたことで、少しばかりほっこりして気分が和らいだ。一つ息を吐いて、卒論選びの資料を伏せて、マイカップを手に立ち上がる。
「ハルはコーヒーいる?」
 ハルの部屋には私が購入したコーヒーサーバーを置かせてもらっていた。ハルもコーヒーがいける口のため、都さんお薦めの一品は、美味しいコーヒーを毎日のように淹れてくれている。なのでいつものように声をかけたわけなのだけど。
「わたしはもういいよ。っていうか沙弥香先輩、まだ飲むの? もう四杯目だよ?」
 しかし今日のハルは私の言葉に対してそんな風に言い出した。
「え、そう?」
 あれ、そんなに飲んでた記憶ないのだけど。
「来てすぐに一杯飲んで、それ見てる間に二杯」
「……気付かなかったわ」
 指折るハルの言葉にこめかみの辺りを押さえる。もはや自然にコーヒーを淹れてしまってたから、数えてなんかなかった。
「ひょっとしてさ、先輩……カフェイン摂り過ぎなんじゃ?」
「うぐ」
 ……そういえば、思い返したらここ最近、ずっと毎日コーヒーを三杯くらい常飲してた気がする。
 あれこれ決まらずに悩んでしまって、集中力と気力をカフェインで賄おうとしていたのだけど。
 ひょっとして苛々の一因ってそれ? カフェイン中毒なりかけ?
「そうかもしれないわね」
 情けなさを認めたくはなかったけれど、可能性は否定できずに頷く。
 そのくらいのことも律せていなかったとは。なんたる不覚。
「ちょっと様子見でしばらく飲まないことにするわ……」
「大丈夫?」
「どの道、コーヒー飲んでもここまで名案が浮かばなかったのだから。気分転換にもね」
 とはいえ私にとってコーヒーは長年の相棒のような存在だ。ここ最近を除いても、一日一杯の付き合い。それなしというのは、ほんのちょっとだけ不安がある。しかしその相棒こそが決定の邪魔を、ひいてはハルといる時間を無駄にしてしまうようなら、致し方あるまい。
「あー、あれだったらさ、あれとかいいんじゃない?」
 そんな私を見かねたのか、ハルがそんなよく分からない声を上げる。
「あれ?」
「タンポポコーヒー」
「なにそれ?」
 あんまりにも関連性のない単語の組み合わせに、私は思わず聞き返した。
「タンポポ茶とも言うんだっけ? つまりカフェインレスコーヒーのことだよ」
「へぇ」
「前にじいちゃんが作ってたのを一度飲んだことがあってさ。苦くて全部飲めなかったけど」
 そう、べーと舌を出しながらハルは懐かしそうに語る。
「コーヒーと味はおんなじはずだよ。昔のことだからうろ覚えだけど」
「そう」
 なるほど。味が同じなら代用としてはいいのかもしれない。
 だけどそれ以上に。
 私の知らないハルのことを、聞いたから。
「……それじゃ、買いに行こうかな」
 私は明確な意思でもって、そう呟いた。
「え?」
「気分転換も兼ねてね。どうかしら、ハル」
 私がそう言うと、ハルは表情を輝かせた。
「行く!」
「じゃあ行きましょうか」
 やっぱり、こんなにいい天気なのにこの子を大人しくさせていたのも無粋だったろう。厄介事に気を取られて視野が狭くなってたなと反省する。
 でもおかげで、ハルのことをまた一つ知ることができた。
 ――あなたの飲んだ物と、おんなじ物を飲みたいから。
 厳密には違うって分かってる。ハルのおじいさまの自作と市販の物とじゃ違うって。
 だけどそうじゃなくて。あなたが体験したことを、私も体験してみたいから。
 ……こういうことならすぐに決まるんだけどなぁ。
 ハルを道標にできたら、楽なんだけど。生憎と就職も卒論もハルには頼れない。
 だけど、一緒にいてくれたなら。
 ハルはどったんばったんと準備を始める。折角落ち着いてきたのになと思いつつも、相変わらずのかわいらしさに苦笑が零れる。
 二人揃って部屋を出ると、春のにおいが風に乗って流れてきた。
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向き
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やが君ワンライ㊻
初公開日: 2022年04月11日
最終更新日: 2022年04月11日
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お題 たんぽぽorストレス