「……あー」
そう呻きながら、私はバックスペースキーを長押しした。一時間かけて捻り出した文章が、だだだーっと消えていく。
まとめて消せば手間も省けるのは確かだけど。残念ながら代案もない。私はその様子をぼんやりと眺めていた。
今年も公募に作品を出すことは決めていた。今年で三年目。一昨年が佳作、去年は選考外。今年こそはと一念発起して、入賞目指して早めに着手し始めたのまではよかった。
今回は単純、ネタが決まらない。好き勝手書き散らしてた一年目に比べて、去年はだいぶ審査員受けを意識した物になってしまったという自覚はある。それもあって、なにを書こうかまるで浮かばないのだった。
別に、去年の努力が無駄だとは思わない。テーマは審査員受けを狙ったけど、話の構造とかを意識できるようになったのは大きい。
だけど選考外という結果は思ったより堪えたらしい。書こうとする度、「前の作品の方がよかったんじゃ?」「私には佳作が限界で、もうあれ以上はいけないんじゃ?」とネガティブが頭をよぎる。
それでも、それを乗り越えなくちゃいけない。提出しなければ、評価さえされやしない。
部屋に籠ってうんうんと頭を捻ること早数日。もうだいぶ精も根も尽きかけていた。
それでも解決策が思い浮かばない。
「あーっ」
唸り声を上げ、頭をガシガシと掻き回した私は、勢いよく立ち上がって財布を掴んで部屋を下り、サンダルを履いて外へと飛び出した。
今日は少し暖かい。いい具合のお散歩日和なんだろうけど、引きこもって徹夜してた私にはちょっと日差しが眩しい。陽気も相まって欠伸が止まらない。
ぼやぼやと歩いてると、ふと桜並木がすっかり散ってしまってるのに気付いた。前に見た時はまだ八分咲きくらいだったと思うけど、もう青桜へと模様替えを始めてる。
そういや今年はゆっくりと桜を見なんかしなかったな。率先して音頭を取る菜月も部活で忙しそうだし、朱里はどうせ堂島くんにぞっこんだ。それどころじゃないんだろう。花より男子、というわけだ。
侑は……あれ、そういや今日何日なんだっけ。入学式の準備があって忙しいとか言ってたけど、もうかな。それにそろそろ誕生日だったような。
そうなると暇人は私だけということになる。もっともそれに不満はないし、むしろこの時間を有効に活用する気概だった。……したかった、んだけどなぁ。
ともあれ別に気分転換と称してブラブラしたいわけじゃない。私は三人みたいに体育会系じゃないのだ。そんな疲れることやっても余計に気が塞いでしまう。
そう。私は気分転換にEchoへ行こうと決めていた。ボリューム抑えめのクラシックとコーヒーの香ばしい香りが流れる、ちょっとばかり古臭さを感じる佇まいの純喫茶。その雰囲気は私にとってすごく好ましい。創作意欲も刺激される。
お小遣いが限られてるから、あんまりしょっちゅうは行けないけれど。こうしたどうしようもない時にはむしろ行くべきだろう。
家を出てたらたらと歩くこと十分ほど。ようやくEchoの看板が見えたところで、見慣れた制服姿の見慣れた顔を見つけた。
「あ、侑じゃん」
「あれ、こよみ」
夕陽色をした髪は昼時には結構目立つ。互いに手を挙げてから歩み寄った。
「もう入学式の準備なんだ」
「もう、っても四月だよ、もう。おまけに会長が会長だし」
「あー、なるほど」
苦笑する侑に私も納得する。前生徒会長と違って、今度の生徒会長は役員メンバーにおんぶにだっこで支えられていると言っても過言ではない。つまりまぁ歯に衣着せずに言えばほとんどお飾りのような存在なわけだけど、どういうわけか――いや、彼の人となりを知ってれば納得しかないのだけど――イベントとかには積極的に取り組む、そんな男子生徒だった。
「今日は終わり?」
「そ。こよみはどしたの?」
「気分転換。原稿に詰まっちゃって」
言おうか言うまいか逡巡したけれど、別に隠すほどのことじゃないかと肩を竦めると、侑は一度視線を泳がせて話を切り出した。
「そっか。こよみ、お昼は?」
「ちょうど食べようとしてたとこ」
「じゃあ一緒にいい?」
「いいよ」
私も頷き、連れ立ってEchoに入る。店内にお客さんはおらず、カウンターで暇そうに天井を見上げていた店長さんが、私たちを見てパッと表情を輝かせた。
「おっ、いらっしゃい。お好きな席にどうぞ」
勧められるままに私たちは隅っこの席を占拠して、私がサンドイッチ、侑が日替わりパスタとそれぞれコーヒーを注文する。
厨房に入っていく店長さんを見送ってから、ふと私は侑を見やった。
「そういやもうすぐ侑の誕生日だよね?」
「なに、今更」
「いや、ちょっとここ最近日付感覚が狂ってて」
「また徹夜してたの?」
「全然捗らなくてさぁ。悩んでたらいつの間にか陽が昇ってる」
「体に悪いなぁ」
「動く暇があったら原稿と向き合いたいんだよ」
「全く。日付ならスマホ見れば分かるじゃん」
「それもそうか」
言われてようやく当たり前のことに気付く。原稿で頭が煮詰まってしまうと、やっぱり視野狭窄に陥ってしまうらしい。そこは気を付けないと。
さて、スマホの画面を付けてみると、四月一日の表示が出ていた。
危ない危ない。今日出てなかったら侑の誕生日も忘れてたかもしれない。
「ていうかその様子だと連絡も見てないね?」
そんな私を見て、侑が呆れた声を上げる。
「あれ、なんかあった?」
「遊び行こうって話。既読なかったし反応もなかったからどうしたんだろと思ってたけど」
「そうだった? ごめん」
慌てて確認してみるけど、通知は出ていない。しかしSNSを開いてみると、未読が付いてるメッセージがいくつか浮かんでいた。
「ありゃ、通知が出てなくて気付かなかった。ごめん」
「あー。あるよね、そういうこと」
「五日ね。うん、オッケ、大丈夫」
侑に伝えながら、取り急ぎグループ窓にメッセージを送る。なにかと忙しい二人が気付くのは当分あとだろう、と私は画面を閉じた。
「……でさ、その、五日なんだけど」
「うん?」
「遊ぶの、午前中だけでいいかな」
と、侑にしては珍しく、遠慮がちにちらりと様子を窺ってくる。
「え、そりゃ別にいいけど」
改まってなにを。
ていうか去年も同じようなやり取りがあった気がする。
「もしかして、今年も七海先輩?」
「……あー、うん。そう」
私の言葉に歯切れ悪く侑は頷く。
なるほど。それなら納得だけど。それにしても、卒業した先輩と誕生日に遊ぶ約束なんて。よっぽど仲いいんだね、ってからかおうか。
「……こよみ」
そう思った矢先、侑から名前を呼ばれた。
「うん?」
「あのね。一つ言っておきたいことがあって」
これまた珍しく、真剣みのある声だった。
それこそ、あの時、「生徒会劇の結末を変えよう」と訴えてきたのと同じくらいに。
「うん」
だけど、寝不足もあったのかもしれない、私の思考はその真意を図ろうとするほどに機能してなくて。
「……わたし、」
陽気に中てられた瞼が重くなって視界がぼやぼやして目を擦る。
一度、二度、侑は口を開こうとしては閉ざす。
なにかしら選ぶ時には優柔不断になるけど、それ以外は果断な侑にしてはハッキリしない言葉に、ようやく疑問が浮かんだ時には遅くて。
「七海先輩と、付き合ってるんだ」
その、あまりに突拍子のない言葉が脳に浸透するには、幾許かの時間を要した。
「……え」
「付き合って、ます。先輩と」
そう告白する侑の顔は、見たことのない色をしていて。
それがより混乱を促進させていた。
「……え、えっと。それって――」
エイプリルフール? と訊こうとして、思い留まる。
侑はそんなつまらない嘘を吐くような人間じゃない。……と言うと若干語弊があるけれど、とにかく侑は嘘を吐くのが下手だ。それなりの付き合いの私なら、見抜ける程度には。
なら、この言葉は軽率に吐かれたものじゃなく。
それを、そういうつもりじゃなくても「嘘なの?」と聞くのは、あまりにひどい言い種だ。
「……えっと。いつから?」
なにを言えばいいのか分からなくなって、自分でもなにを訊いてるのか分からないくらいに頭が回ってない。
「えー、っと。一昨年の十一月」
そんなちょっとズレた質問に対して、侑は照れ臭そうに目を逸らしてながら頬を掻く。
やっぱり嘘じゃないという確信を改めて抱く。
けど、そんなことよりも。
七海先輩と、付き合ってる?
あの七海先輩と。侑が。
確かに、先輩後輩の関係にしては仲がいいなと思ってた。薄々察する部分がまるでなかったかといえば、嘘になる。
七海先輩の方は元から侑との距離感が近かったけど、去年頃からの侑の近さとか、話す声音とかの変化も、今振り返れば認識していたのに。
そんなことはないと思ってた。七海先輩には佐伯先輩がいたから。
なにより。
侑のことは、大体知ってるつもりでいた。見てたつもりだった。
だから、私が侑のそんな兆候を分からないはずがないと。
そんな自惚れに、気付いてしまった。
「……なんで教えてくれなかったの?」
自惚れが口を衝く。
真っ先に言ってくれると思ってたって、自惚れが。
それともそれは、なんだろう。
私は。私たちは。そんなに信用できなかった?
そんなぐちゃぐちゃな私の言葉に、侑は一度落とした視線を私に合わせ、息を吸った。
「……先輩が卒業するまでは、って決めてたんだ」
「どうして?」
「こうやって言うの、勇気がいったから」
……。
…………ああ。
「……そっか」
そりゃそうだ。うん。
そりゃ、仕方ない。
あーあ。だめだな。私がなんだかばかみたいじゃん。
「二人には?」
切り替えれてはいないけど、切り替えるように話を振ると、侑は緊張の色をようやっと緩ませて、いつもの苦笑いを浮かべた。
「こないだ言ったよ。別々にだけど」
「そう」
「びっくりしてた」
「そりゃそうだよ。私もびっくりしたもん」
「あはは」
……なんて言えばいいんだろ。
お祝いしたい気持ちと、ちょっとした疎外感。
あれだけその手の話がなかった侑に、突如としてそんな話が湧いてきたのが嬉しくもあり――あれだけ一緒にいたのに、友達として見抜けられなかったのが残念だった。
「それで?」
「うん?」
だから。
「ほらほら、聞かせてよ。侑の恋バナ」
「えぇー」
埋め合わせ、じゃないけども。どっちかというと八つ当たりみたいなもんだけど。
これまで黙ってたんだから、ちょっとくらいいいじゃないか。
侑と私の仲なんでしょ?
「二人には言ってんでしょ? 私だけナシって不公平じゃん」
「いやー、こよみの場合あれじゃん、今詰まってるんでしょ? ネタにされそう」
「しないしない、だいじょぶだいじょぶ。ほらまずは馴れ初めから」
「いきなりそこ聞く?」
そう笑いながら、侑はぽつりぽつりと断片を語ってくれた。
それでも文脈には穴があって。間違いなくはぐらかされてる部分がある。
端くれと言っても物書き相手にそれは舐めてるんじゃないかと思うけど。
まぁいいよ。納得されてあげる。先輩のプライベートまでさらし上げたいわけじゃないし。
うん。私と侑の、仲だから。
――そんなに幸せそうな顔を、もう少しばかりさせてあげようじゃないか。