「この花の名と楽器の名には、何か繋がりがあるのだろうか」
 ヒュンケルの唐突な言葉に、ポップは机から顔を上げた。レオナから借り受けている部屋の窓辺には、先日街で購入したビオラの鉢植えが置いてある。まだ寒さも残る春の初め、ささやかな彩りを部屋に飾れば気分も明るくなるかと考えたのだ。店の手伝いをしていた幼い兄弟が元気よく見送ってくれたのを覚えている。
「えっと……どうかなあ。あるかもしれねえけど。調べてみるか?」
 ヒュンケルが問うているのはこのビオラと弦楽器のヴィオラの名には共通した由来があるかということだ。大魔道士の名に恥じぬよう、大戦の頃よりは本を読むようになったし、薬草などの知識も身に付けた。だが園芸用の花と楽器の名についてなど、今まで興味を持ったことがない。
「いや、ふと気になっただけだ。そこまでしなくていい」
 ヒュンケルはポップを振り返り、微笑む。窓から差す光が複雑な色彩を抱く瞳を美しく輝かせる。ポップはしばしの間ぼうっとヒュンケルを見つめていた。そしてハッと我に返る。
(こいつに見惚れてた? まさか)
 顔のいい奴は無駄に顔が良くてむかつくな! と勝手な文句を心の中で唱える。書きかけの書類を抽斗に片付け、大きく音を立てて椅子から立ち上がる。
「んなこと言われても、訊かれたこっちの方が気になっちまうぜ。書庫行くぞ」
 くい、と顎で扉を示すと、ヒュンケルはにこりと楽しげに笑った。
「すまんな」
「気持ちの入ってねえ謝罪なんていりませーん」
 二人は連れだって王城内の書庫へ向かう。
「お前が弾いていたのはヴィオラではなかったかな」
 また唐突に問いかけられ、ポップは「違うよ」と首を振る。
「あれはバイオリン。形はほとんど一緒だけど音域が違うんだ」
「ヴィオラも弾けるのか?」
「いやあ、どうだろ。大きさが変わると感覚狂うからなあ。元々おれもちゃんと習った訳じゃねえし」
 そうか、とヒュンケルは頷く。彼が言うのは先だってレオナ主導で催された仲間内の集まりでの話だ。
「たまにはあったかいところでのんびりリフレッシュしたい!」
 春の気配よりもしぶとく残る冬の厳しさを感じることの方が多かった月の初め。多忙を極めた姫君の言葉を受け、急遽大戦時の仲間達がデルムリン島に集められた。ルーラを使えるポップとダイが世界中を飛び回り、それぞれの故郷や新天地で暮らす戦友達に声をかける。最終的にはアバンとフローラ夫妻まで加わり、大変賑やかな集まりとなった。
 焚火を囲んで皆で団らんしている際に、ポップはふと思い立って故郷の村に飛んだ。飲み屋の店主に頼んでバイオリンを借り受け、ひとっ飛びで島へと戻る。不思議そうにしている友人達にニヤリと笑い、軽快な曲を奏で始めた。皆が歓声をあげ、手拍子を打ち、思い思いに踊り出す。ポップはバイオリンの弾きながら、焚火の周りをくるくると回る。皆もポップの後を踊りながら着いてくる。明るい笑い声が島中に響き、怪物達も楽しそうに雄叫びをあげていた。
「あんな特技があるとは知らなかったな」
 穏やかな目で見つめられ、ポップはほんのりと頬を染める。
「特技ってほどじゃねえよ……飲み屋の親父さんが独学で覚えたとかでさ。祭りのときなんかに弾いてたんだ。それをちょろっと習っただけ」
「少々習っただけであれだけ弾けるのなら大したものだ。元々音楽の素養があるのだろうな」
 兄弟子からこんなに手放しで褒められたことがあっただろうか。ポップの頬はますます熱を孕む。真っ赤な顔を晒すのが恥ずかしくなり、ぷいっと顔を背ける。
「な、何だよ。おめえがおれを褒めるなんて嵐になるんじゃねえの?」
「お前はいつもそう言うな」
 ヒュンケルはくすくすと笑う。最近の彼は性格がずいぶん丸くなった。きっとこちらの方がヒュンケル自身の本質なのだろう。突っかかるのが馬鹿らしくなり、ポップは視線を兄弟子へと向ける。
「……ありがとよ。おれくらいの腕でもみんなが楽しむのに役に立てたら、って思ったからさ」
「ああ……そうだな」
 ヒュンケルは遠い目をする。常春のような穏やかな島での賑やかなひとときを思い出しているようだ。
「あの日は……本当に楽しかった」
「!」
 ポップは目を見開いた。ヒュンケルから「楽しい」という言葉を聞く日が来るなど思ってもいなかったからだ。いつも自身の罪と使命を重く背負い込んでいる彼が、あの時間を楽しいと思ってくれていた。その事実がポップの心に温かな火を灯す。
「……楽しかったか?」
「ああ、とても」
 ポップの問いにヒュンケルは笑顔で頷く。ポップの部屋でビオラの鉢植えを見つめていたときも、同じような優しい目をしていた。花の名前をきっかけに、ポップが奏でた弦の調べを思い出してくれていたのだろうか。
「……また、みんなで集まろうぜ。そろそろあったかくなってきたから花見とか」
 いいな、とヒュンケルは素直に返す。
「そのときは、またバイオリンを弾いてくれるか?」
 柔らかな視線に問われ、ポップは曖昧に頷いた。
「また飲み屋で貸してもらえたら……」
「毎回借りるのは手間だろう。一挺購入するのはどうだ。何ならオレが買ってもいい」
「はあ!?」
 今日のヒュンケルは驚くことばかり口にする。ポップは口をあんぐりと開ける。
「んなの、もったいねえって! おれ自分の楽器持つほど上手くねえし、そもそもそんなに弾く機会もねえしよ」
「そうか……では」
 ヒュンケルは顎に手を当て考え込む。そしてしばしののち、名案を思いついたというようにパンと手を打った。
「皆に聴かせるための練習、ということでオレに聴かせてくれないか。オレの部屋で保管しておくので、お前は弾きたくなったときに好きに訪ねてきてくれればいい」
「えええ……」
 何でそうなる、とポップは頭を抱える。ヒュンケルはにこにことこちらの返事を待っている。そんなにバイオリンの音が気に入ったのだろうか。何故ポップが彼の部屋に演奏に行かねばならないのか理解に苦しむが、こんなにも楽しげにしている姿を見ると無碍に断るのも申し訳無く感じる。
「たまにでいいなら、いいよ」
 城で借りている部屋は隣同士だ。騒音で周囲に迷惑をかけることも無かろう。ポップの言葉にヒュンケルは笑みを深くする。
「そうか……ありがとう。楽しみだな」
「……そうかい」
 書庫に向けてヒュンケルは機嫌良く歩き続ける。初めて見る兄弟子の様子に面食らいながらも、ポップの心も浮き立っていた。
(次に故郷へ帰ったときは飲み屋の親父さんに頼んでバイオリンを借りよう。そしてあのとき弾いた曲の他にもいくつか練習をしておこう。こいつが、ヒュンケルが好みそうな曲を)
 そんなことをこっそりと計画する。
 静かな廊下に二人の足音だけが響く。そのリズムはあの日ポップが奏でたメロディをなぞっているようだった。
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