人は変わると言っても、本質的なところは中々変わってくれやしない。
 例えば、私はそれまで好きになってきた人とは違う人を好きになった。
 でもこれは好みが変わった……とは違うと思う。あの子はどっちかと言うとかわいい系だけど、好みで言えば未だ美人な人を目で追ってしまう。
 彼女の熱意に絆された、と言うこともできるかもしれない。けれど彼女に対するこの気持ちは好きとしか言いようがなく、だからこそ私も告白を受け入れたのだ。
 そうして私たちは付き合い始めた。二度目の交際は、あの時のような不安が忍び寄ることは今のところない。幸せそのものだ。
 話を戻して。人は変わっても中々変われない。
 だからこそ私は、からん、とEchoのドアを開いた。ドアベルが鳴り響き私の入店を報せると「いらっしゃいませ」の合唱。店内は中々に慌ただしげだ。
「いらっしゃい」
 その中で、カウンターから店員の働きぶりを見守るように立っていた都さんが、私に気付いて笑いかけてくる。
「カウンター、いいですか?」
「どうぞ」
 都さんはすぐに察したように空いていた端の席を勧める。私もそこに腰を下ろし、ブレンドコーヒーを注文した。
「ちょっと時間かかりそうだけど、いいかな?」
「えぇ。大丈夫です」
「じゃ、コーヒーだけ先に出しちゃうね」
 そう言って都さんは店員といくつか言葉を交わしてから、ブレンドコーヒーを手ずから淹れ始める。
 ……私がEchoに来てカウンター席に座り、ブレンドコーヒーを頼む時というのは、もっぱら都さんに相談したいことがある、ということだった。
 この習慣は最初から続いてきたもので、お店が繁盛してバイトも雇われてからというもの、以前より話しにくくはなってきたけれど、隙を見てはこうして都さんに悩みを打ち明けてきた。
 その分、お客として注文はしてるから、ちょっとは売り上げに貢献してるとは思ってるけども、それでも都さんへのお礼には足りないものの、都さんがその方がいいと言ってくれてるから、それに甘えさせてもらってる。
 都さんも同じような人間として、話を聞いたりしたりする相手が欲しいのかもしれない。
 すぐに出されたコーヒーを一服しながら本を開く。しかし文字は網膜に映ることなく、何度も目から滑り落ちていく。
 しばらくするとバイトや客足が落ち着いたようで、都さんがカウンターの向かいに座る。そうして肘を付くと前のめりに顔を寄せてきた。
「お待たせ」
「いえ。お忙しいのにすいません」
「いいっていいって。それで?」
 本を閉じる。ずっとシミュレーションをして覚悟をしていたのだけれど、やはりいざ言うとなるとぐっと言葉が痞えてしまう。
 しかしそれではなんのために都さんの時間をいただいてるのか分からなくなる。
 私は細く息を吸い込み、一瞬呼吸を止めると、吐き出す勢いそのままに言い放った。
「――お泊り、って、なにを持っていけばいいんでしょうか」
 私のその問いかけに都さんは――ぽかん、と口を開けたかと思うと、徐に笑い出した。
「いや、ごめんね。真剣そうだったからなんだろうと思ってたけど」
「わ、笑わないでくださいよ」
「ごめんごめん。真剣な話ではあるね、確かに」
 そう言いながらなおもくつくつと咽喉を鳴らしている。
「まぁ、自分の着替えと歯ブラシと化粧品とか用品は最低でも持ってった方がいいんじゃないかな。今時じゃ必要な物は夜でも買いにも行けるしね」
「で、すよね」
「あ、着替えは2セットは持ってった方がいいかも」
「そ、そうなんです?」
 色々と動揺すると、都さんは再び咽喉を鳴らして笑った。
「半々かな。お泊りって、今度の連休?」
「はい、まぁ、その、ちょうどあの子の誕生日があって、それで」
 そういう口実で、初めてお泊りすることになった。すでに家族にも友達の誕生日だからと伝えてある。大学生様々だ。
「なるほどね。でもてっきりもうお泊りくらいはしてるのかと思ってたけど」
 しかしその指摘に、言葉が詰まる。
「家にお邪魔することは何度も。けどお泊りは……」
「そっか。生真面目だね、本当」
 都さんはそう優しい目で見つめてくる。けれど。
「……ちょっと違う気がします」
「うん?」
 ああ。墓穴を掘ろうとしてる、と分かる。
 けど、ここまで有耶無耶にしてきたけれど、結局言わないことには相談にもならない。一息を吐いた私は、口を開いた。
「私にはキスの先が全然想像できなかったんです。知識としては知ってても、それが自分と結び付かなくて」
 ……前がキスで終わってしまったから。その次が、そこにすら至らなかったから。
 キスで私はゴールした気分すらあった。
 だけど、そこに踏み込んだらその先にも道が続いていて。思っていたよりも自分の視野が狭かったことを自覚した。
「うん」
「でも、きっとあの子はそうじゃない。キスの先もしたいのかな、と」
 元々、ちょくちょくおじさんくさいような発言をしていたというのもあるけれど。
 前に一度、事故で彼女が私の上に覆いかぶさったことがあった。
 その時、一瞬瞳によぎった熱。
 それを見て、気付いたのだ。
 あの子はすぐにそれを引っ込めて、取り繕った笑顔で立ち上がったけれど、それを見逃すような私じゃない。
 そしてそれが、その目が――不快ではなかった。
「それで?」
「我慢させたくもないですし、私は、その、いやでもないですし。ただ、これまでそういう素振りもなかったのに、そう言い出すのもなんか……」
 折角、憧れの沙弥香先輩としてちょっと我慢してきたのに、今度は逆にそれが枷になってしまってるというか。
「ははぁ」
「……それで、ですけど。そういうの、切り出し方とかあるんでしょうか」
 だいぶ要領を得なかったんじゃないかと自分でも思うけれど、言いたいことは都さんに無事伝わったらしい。
 けれど都さんは腕を組んで苦笑を浮かべていた。
「あー。難しいよねぇ」
「む、難しいですか、やっぱり」
「難しいよ。特に一番最初はね。理子なんかもうガチガチだった――、と」
 淀みなく動いていた口が止まる。そうして覆い隠していた手が、一本だけ指を立てた。
「これ、内緒ね」
「まだ物足りないんですけど」
「私が理子に怒られちゃうから」
 これ以上口を割ってはくれないようだ。残念。
 まぁ、話の本題がそこではないのは確かだ。思わず釣られて意識が逸れてしまったけれど、むしろ逼迫してるのはこちらの方。
「……ムードはさ、大事だけど、でも大事じゃないんだよ」
 言葉の続きを待っていると、いくらか悩んでる様子だった都さんは、ゆっくりとそう切り出した。
「はぁ」
「最初ってのは思い出に残りがちだしさ、いい雰囲気でできるのが一番いいよ、そりゃ。でもそうできるとは限らないし、それでムードだけ考えるようになったら本末転倒だよ。そもそも一番最初なら、相性が悪かった、ってオチもあるかもなんだし」
 経験したことがあるのだろうか。都さんの言葉は私の想像以上の出来事が込められていた。
「それは……怖いですね」
「でも怖いからって動けなかったらそこまでだよ。この話はね」
 ……それは。
 やっぱり私が中々変われない部分で。だからこうして相談に来たというのがあるものだった。
「結局それもコミュニケーションなんだ。お互いがそれを分かってればいいんじゃないかな」
「コミュニケーション……」
「意外?」
「正直」
 そういうのは真っ先に欲望がイメージされてしまう。実際間違いでもないんだろうけど、コミュニケーションという側面はこれまで見えたことがなかった。
「一人善がりになってしまうんじゃ、それこそ一人でしたら? ってなるでしょ。人と人の営みなんだから」
 けれどその説明に納得する。確かに、そういう意味ではコミュニケーションの一環だ。
 ただ。
「……余計に難しい気が」
 私はそういうのが苦手なのだ。表層的なやり取りなら問題なくできるけれど、そういうのは。
「あぁ――なるほど」
 するとなにか納得がいったかのように都さんは呟いて。
「きっと、気持ちを大事にし過ぎて、表に出すのが苦手なんだね」
 私の心を、そう切り開いた。
 鋭利な感触に、胸の内がひやりと冷える。
「……そう、ですね」
「そういうことに慣れちゃったのかもしれないけど、相手はそんなこと言ってくれなきゃ分からないよ」
 幾分突き放すような、珍しい都さんの強い言葉だった。
 ……慣れ、か。確かにそうだ。
 先輩の時もそうだった。燈子の時もそうだった。
 私は、私の気持ちを言葉にして出したら、壊れてしまうかもしれなくて。それが怖くて、ずっと大事に胸の内に抱き締めていた。
 それだけだった。だから、私は望む結果を得られなかったのだろう。
 だけど、だからこそ、今こうしていられる。失敗してから得られた答えと出会いがあった。
「……はい」
「ん。ちょっとお節介が過ぎたかな?」
「いえ。ありがとうございます。努力してみます」
「少しは力になれたのならよかった」
 その時、レジからお客さんの声が。都さんが立ち上がり、こちらに小さく手を挙げてから、レジへと向かう。再び一人となって考える時間を得た。
 ……そうね。まず差し当たり。
 あの子に「好き」と伝えよう。たくさん、たくさん。これまで我慢してきた分を。
 あの子への誕生日プレゼントに。……私へのプレゼントに。
 未だ、キスの先は見えないけれど。
 うん。なるようになる、といいな。多分。
 コーヒーはすっかりぬるくなっている。
 春が、もう来ていた。
カット
Latest / 118:12
カットモードOFF