口論と言うにはささやかな言い合いが起こったのは、燈子と一緒に暮らし始めてから二日目の、就寝時のことだった。
本当のところ、問題自体はすでに双方ともに把握していたはずだった。だけど二人してついついうっかりと忘れてしまっていたのだ。
「点けたまま!」
「消そうよ!」
怒鳴り散らしてるわけじゃないけど、互いにむむむと意地になっている。
……とどのつまり、寝る際の照明をどうしよう、ってことだった。
思えば合宿の時、そんな話に一度はなったけれど、その時は多数決の力によってなんとか燈子を丸め込めたのだ。しかし二人暮らしともなればそうはいかない。
「そんなこと、一人住まいの燈子宅に通い詰めてる時に気付かなかったの」なんて佐伯先輩なんかからは嫌みを言われそうだけど。その、なんと言うか、大体やることやって寝てるからお互いあんまり気にしてこなかったというか……。
実際昨日がそうだった。だからこそ、二日目の今日になってこうして揉めてるわけで。
……うん、よろしくないな。これ。
まだ互いにちょっと意地を張ってるだけだから牽制じみたやり取りだけで済んでるけど、あんまり長引くと感情が昂って寝付きが悪くなる。ていうか折角の同棲なのに二日目で喧嘩まで発展させたくない。
ふぅ、と一息。
「ちょっと飲み物持ってくる。燈子は?」
「……じゃあホットミルクで」
燈子も同様のことに思い至ったらしい。とりあえずわたしはベッドから立ち上がって、リビングへと向かう。
新居の中はまだまだ新鮮で、こんな時でもうろつく昂揚感が湧いてくる。まだ新品のにおいが残る冷蔵庫を開けて、ペアのマグカップに牛乳を注いでレンジでチン。
……あー、うん。やっぱり変なことに意地を張ってたなぁ、わたし。
こんなになっといてなんだけど、別段拘るようなことじゃないはずだ。一度冷静になれば意地になってたのが不思議に思えてくるくらいだけど、多分リモコンを取り合ってる内にヒートアップしかけてたんだろう。実家でも怜ちゃんとそういうことがあった。
怒りも苛立ちも後悔もない。あるのは反省だ。なんにせよ、行き着くとこに行ってしまう前に踏み止まれてよかった。
とりあえず妥協点を探っていこうか、と考えたところで、牛乳が温まったことが知らされる。
マグカップを二つ手に寝室に戻ると、燈子はダブルベッドの上で正座してしゅんと項垂れていた。
「はい燈子、ホットミルク」
「うん。ありがと」
わたしもベッドに腰を下ろし、二人揃ってミルクに口を付ける。温かく柔らかい味が胸の蟠りをほぐしていく。
「……ごめんなさい」
少し間を置こうか、とタイミングを計っていたら、先に燈子の方から気落ちした声で謝ってきた。
「こっちこそごめん」
出遅れたけどわたしも謝罪の意を返す。
「ムキになっちゃった」
「わたしも。それで、どうしよっか」
ひとまず方向を前向きな検討に変えようと話を振ってみると、燈子はうーんと考え込んだ。
「やっぱり私は点けてる方が寝やすいんだよね。だから少なくとも、次の日舞台に出なくちゃいけない時はそっちの方が……」
ちびちびとカップに口を付けながら、燈子。
まぁ燈子には万全の状態で舞台に臨んで欲しいから、わたしの方もそれには異論がない。
「ん、分かった。じゃあ次の日の予定次第って感じでいいかな」
「うん、それで」
応急処置的な取り決めだけれど、あっさりと決めることができてホッと胸を撫で下ろす。きちんと話し合えばこれで済む。やっぱり争いは不毛だったのだ。
「それで明日はどうだっけ」
「あるね、早速」
「分かりましたよ、舞台役者さん」
わたしは諦めて豆電球まで灯りを落としていく。
「それじゃあ、おやすみ」
「おやすみぃ、侑……」
そのまま一緒に布団の中に潜り込む。昨日貪った燈子の熱がすぐ傍に感じながら、わたしは目を瞑る。
……。
…………。
……………………。
うん。やっぱり寝付けないわ、これ。
どうしても豆電球の眩しさが瞼の裏をちかちか照らしてくるのが気になってしまう。これで燈子はよく寝られるものだ。
わたしの方は幸いにも明日の予定がないとはいえ、燈子のためにも朝食の支度をしなくちゃいけない。そういう意味で本当はわたしも燈子が舞台に上がる前日には早く寝たいところなんだけど、これは遅くなっちゃいそうだ。慣れるかなぁこれ。慣れるといいんだけど。
しばらくもぞもぞと寝返りを打ちながら微睡みを待っていたけれど、残念ながら遠いままだ。
どうにも眠気を持て余してしまって、わたしはなんとなしにぼんやりと薄目を開いた。
焦点がぼやける。にじむような薄暗い橙色の世界の中で、目の前に燈子の寝顔がぼぅと浮かび上がる。
燈子はもう寝てしまったらしい。寝てるというのになんて整った顔だろう。すぅすぅと規則正しい呼吸が、時折わたしの顔を擽る。
……ああ、うん。ちょっとだけ訂正しよう。
静かに頬を綻ばせる。
小さな灯りを点けて寝るのもいいかもしれない。なにせ、好きな人の寝顔を見ながら眠りに就けるのだから。