「ごめんね。君とは付き合わない」
 込み上げてくる吐き気を呑み込み、勇気を振り絞って伝えた告白を、いつもと同じ優しい声が切り伏せた。
 分かってた。分かってたことなのに……悲しくて。
 顔が歪むのを見られたくなくて、俯く。目と鼻がツンと熱くなって、熱が零れそうなのを必死に堪えた。
「それは、やっぱり私が女だから?」
 震える声で私は問いかける。
「君が女の子だからじゃないよ。私はただ――」
 真っ直ぐ見れない。答えを聞きたくない。
 なのにその声の引力に逆らうことができなくて、私は彼女の顔を見た。
「誰に告白されても付き合うつもりないだけだから」
 そう言って、彼女は――七海さんは、困ったように、けれど優しく微笑んだ。
 /
 はぁ、と知らず知らずの内に溜め息が零れ出た。
 家に帰ったあとさんざ泣いたものだから、涙はすっかり出し切ったようだけども、悲しみと寂しさには打ち克てない。
「どったん、由香」
「ううん、なんでも」
 ただ学校にまで持ち込んでしまえば、友達からそう訊かれるのも当然で。私は慌てて首を振った。
 なんとか納得はしてくれたようだけども、空元気を出すだけでも気鬱になる。私はまた溜め息を吐いてしまった。
 ……七海さんに振られた、なんて言えない。
 だって私は女で、彼女も女。女同士。
 普通じゃない。少なくとも、私の周りでは。
 私だってこれまではそんなこと考えてもみなかった。それまでは男しか好きになれないと思っていたのに、七海さんを意識してからは彼女しか目に入らなくなった。
 それを最初に意識するようになったのは、どの出来事からだったろう。
 私にとっては初めて落ちた恋だった。
 それまで考えたこともなかった恋の形。自分が変なのだろうか、とネットで調べてみて、そういう性的指向もあると知った時はどれだけ安心しただろう。
 同時に、それが七海さんに受け入れられるか分からなくて、どれだけ不安になっただろう。
 誰にも相談もできなかった。一人で抱えて、悩み抜いて悩み抜いて、ようやく勇気を出した告白だった。
 ……その結果がこれだ。現実は優しくも甘くもなかった。
 あれからちょっと気まずくて、七海さんと距離を置くようになってしまった。気を遣う七海さんの優しさが、私にはちょっぴり痛かったから。
 でも、たとえ七海さんも私と同じ性的指向だとしても、私と七海さんとじゃ付き合うなんて土台無理だったろうなと思ってた。
 ……だって彼女の隣には、いつも佐伯さんがいるのだから。
 一年生の間では「生徒会夫婦」と言われるくらいに阿吽の呼吸の二人。テストじゃ一位と二位が定位置で、体育でも競い合っているし、生徒会の業務でもアイコンタクトでやり取りできるんだとか。
 きっと、七海さんが好きになるのは佐伯さんみたいな人なんだろう。
 私が佐伯さんに勝るところなんて一つもない。
 だってあの佐伯さんだ。お嬢様みたいにきれいで文武両道。
 佐伯さんになら負けても仕方ない。諦めが付く。
 だから――諦めよう。この恋は。
 そう昨日から何度も出した答えを、自分に言い聞かせるように考えていた。
 /
 あれから一年以上が過ぎた。
 七海さんとは別々のクラスになったのは不幸中の幸いなのかどうなのか。
 けれど私は未だ新しい恋を見つけられず、ただただ前の恋を引きずっていた。
 気が付けば七海さんを想ってる。見かければつい目で追ってしまう。
 未練がましいなぁと思うけれども、意外にも私は諦めが悪かったらしい。
 それでもクラスが別だから会う機会も少なくなって、七海さんばかりに焦点が当たっていた心もそうではなくなる。段々と心の整理も付いてきたのだろう。
 このまま思い出になっていくんだろう。そう思ってた。
 二学期の期末試験の前。勉強疲れで遊びに出かけていた私は、帰りの電車に乗ってだらだらとスマホを眺めていた。
 ふと顔を上げると、目の前――正確には斜め前の降車口付近に七海さんが立っているのに気が付いた。
 目を奪うほどに長く輝いている黒髪。コートと後ろ姿というのもあって、一瞬勘違いじゃないかって思ってしまったけれど、一緒にいる子と話している声は間違いなく七海さんのものだった。
 間違えるはずもない。その声にいつも焦がれていたのだから。
「劇団のクリスマス公演が近いですね」
「休日はほとんど稽古なんだよね。しばらくは遊びに行けなくなっちゃう」
 もう心の整理が付いたと思っていたのに、彼女の声を聞くと埋火が煽られてしまう。
 どうやらどこかに遊びに行ってたらしい。そういえば市民劇団にスカウトされたとかなんとか聞いた気がする。
 文化祭の劇の時も思ったけど、やっぱり七海さんはすごいんだなぁ、と聞き耳を立てていた。
 一緒にいる子は、誰だろ。どこかで見た覚えはあるんだけど……。
 記憶を探りながら私は彼女から視線を離せないでいて――
「寂しいなー」
 むくれるような声が、耳を滑り落ちた。
 ……寂しい?
 なんだか七海さんらしくない言葉に、思わず二人を注視する。
「期末テストも近いですけど勉強できてます?」
「時間見つけてやってるよ。侑こそ数学大丈夫?」
 なにかが引っかかる。ぞわぞわと腹の底からいやなものが這い上がってくる。
『まもなく遠見、遠見』
 登校の時いつも降りる駅に停車すると、一緒にいた子が七海さんを振り返って別れを告げる。
 それになんでか安堵した。
「侑」
 その子を、七海さんが呼び止めた。
 振り返ったその子に、七海さんは手を差し出して。
 絡めた指を、名残惜しそうに離していくのを――私は見た。
 ……なに、今のは。
 車両の扉が閉まる。窓ガラスに七海さんの顔が反射する。
 それは、初めて見る笑顔だった。
 ――どうして?
 どうして? なんで? まるで恋人にするような触れ合い、まるで恋人に向けるような笑顔。
 知らない。そんな七海さんを私は知らない。
 知らない。七海さんをそんな風にさせるその子を、私は知らない。
 どうして佐伯さんじゃないの? どうして「誰に告白されても付き合うつもりない」なんて嘘吐いたの?
 どうして――私じゃだめだったの?
 そんなんじゃ、私は……私は……。
 ……気が付けば、七海さんはもういなくなっていて、私は降りる駅をとっくに過ぎていた。
 /
 二度目だというのに、相変わらずの緊張感があった。
 以前と同じ場所で、私は立ち尽くしている。
 呼吸が浅い。それは結果が分かってるからだろうか。
 きっと、だめなんだろう。それでも、頭ではそう分かっていても、私は答えが欲しかった。
「――ごめんね、遅くなっちゃって」
 そうして、彼女は来てくれた。前と同じ言葉とともに。
 久し振りに真正面から向かい合う。
 ――やっぱり、七海さんはきれいだった。
「久し振りだね」
 見惚れていた私に、七海さんが再び口を開く。
 私は落ち着いてるんだろうか。パニックになってるんだろうか。それすらも分からないけれど、返した声は震えてはいなかった。
「うん。ごめんね、呼び出しちゃって」
「大丈夫だよ。……それで」
 七海さんが私を見る。その手には、私の手紙が握られていた。
 その中身は、前よりも端的な言葉だけ。
 一度伝えているから、私の伝えたいものはシンプルなものだけしかない。
「七海さん。私、あなたが好きなの。付き合って欲しいの」
 だからだろうか。二度目の告白は、最初の時と違ってスムーズに口から溢れ出た。
 呼び出した理由が分かっていたであろう七海さんの表情は……変わらない、困りながらも優しい笑みを浮かべていた。
「……二度目だね」
「うん」
 私の頷きに、七海さんはゆっくりと息を吸い込むと、真っ直ぐに私の目を見返した。
「……ごめんなさい。私は君とは付き合わない」
 ……分かっていたこと。分かっていた答え。
 前と同じ言葉に、けれども私は納得できなかった。
「……どうして? 私も女だよ? なんで私じゃだめなの?」
 叩き付けるように、私はか細い声で感情のままに問いかける。
 言って欲しい。言って欲しくない。聞きたい。聞きたくない。
 ぐちゃぐちゃの心を抱いたまま、それでも私は七海さんから目を逸らさなかった。
 七海さんはそこで初めて驚くように目を見開いて……そのまま視線を落としたあと、吐息と共に目を瞑り、そしてもう一度私を見た。
 口を開く。呼気が零れる。
「好きな人がいるの」
 その、言葉を聞いて。私は。
「……………………そっかぁ」
 ……私にはもう、そう言う他に言葉がなかった。
 とうとう私は認めてしまったのだ。
 私はあなたの一番にはなれない。
 私にあの笑顔が向けられることはないんだ。
 ――私はその場で泣き崩れる。もうとっくに出し切ったはずの涙が次から次から溢れてきて、堪えられなくなってしまった熱がぼろぼろと地面に零れ落ちる。
 七海さんは、私が泣き止むまでずっと、黙って傍にいてくれた。
 ……ああ。そんな優しさが、私は好きでした。
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