せっかくなのでお題は「とら」
制限時間180分
あとは自由にやりました
僕の家では、家族みんなでイナカにあるおじいちゃんの家に泊まりに行くのが、年末の決まりだった。お父さんが運転するソリオの助手席に座って、東北自動車道を北に向かう。僕はいつも途中で寝てしまって、起こされる頃にはもう、周りの景色はぜんぶ白い帽子をかぶっているものだった。
おじいちゃんの家に着くと、車の音を聞きつけたおじいちゃんが飛び出してきて、車から降りたばかりの僕に抱き着いてくる。それから大きな声でたくさん喋りはじめるのだけれど、僕にはおじいちゃんが何を言っているのかさっぱりわからなかった。僕がわからないくらいだから、妹にだってもちろんわからない。お母さんは「私も結婚したばかりの頃は全然わからなかったけどね、そのうち耳が慣れるものよ」なんて言っているけれど、今でもこっそりお父さんに通訳を頼んでいることを、僕も妹も知っている。
何を言っているのかはわからなくても、久しぶりに会えて嬉しいのだ、ということくらいは僕にだってわかる。僕だってそうだもの。だから、ちゃんとおじいちゃんにぎゅっと抱き着き返して、それから家の中に向かうのだ。
おじいちゃん家の今には大きな仏壇があるから、まずはそこにいるおばあちゃんに挨拶をする。ロウソクの火を灯すのは、いつも僕の係だった。それからやっと、家の中の探検が始まるのだ。
毎年、夏休みと冬休みに泊まりに行っているのだから、おじいちゃん家の構造は、もう隅から隅までわかりきっている。だけど僕には、毎回探さなくちゃいけないものがあるのだ。
「とら~?」
名前を呼びながら、家中の扉を片っ端から開けていく。二階のすみっこの部屋から、順番に潰して追い詰めていくのがコツだ。
「とらー? どこだー? 出ておいでー?」
「でておいでー!」
後をついてくる妹といっしょに、押し入れの中まで徹底的に探していく。もちろん何かを引っ張り出したなら、ちゃんと元に戻しておかなくちゃいけない。なにやらプレゼントっぽい箱を見つけたとしても、妹の視界に入る前にそっと隠しておく。おじいちゃんは、あれでサプライズ的なモノが大好きなのだ。何を言っているのかわからないから、何のプレゼントなのかは全く分からないのだけれど。
「とーらー……」
抜き足差し足、足音を立てないようにして進む。どこかから物音が聞こえてきたら、すぐに気付けるように。普段嗅ぎなれないイナカのにおいがする冷たい空気の中を進み、物置、客間、書斎と回って、おじいちゃんの寝室に入ったとき、妹が声をあげた。
「あーっ!」
指差した先には、何の変哲もない招き猫の置物……の隣に、すました顔で座っている、縞模様の毛並みの猫が一匹。ちゃんと隣の置物にあわせて、右手を顔の横に上げていた。ぷにっとしたピンク色の肉球に、駆け寄った妹が手を合わせる。
「とらちゃん!」
「なー」
一声鳴いたこのトラ猫こそ、僕のさがしもの。おじいちゃん家の飼い猫のとらだ。足が太くて顔がでかくてずんぐりむっくり固太りな、ちょっと濃い目の茶トラの毛並み、御年二十歳のおじいちゃん猫である。
「おかーちゃーん! とらちゃんみつけたー!」
妹はとらとのハイタッチを済ませると、勢いよく部屋を飛び出していった。すぐにどたどたと階段を駆け下りる音が聞こえてくる。一方とらは目を細めて顔を洗っていた。僕とはハイタッチはしてくれないらしい。
招き猫と同じポーズで待ち構えていたように、とらはけっこう頭が良い。昔の僕はそれはもう散々からかわれまくっていたそうだ。まだ幼稚園にも入る前のことだからさっぱり覚えていないけれど、とらを追いかけては捕まえられずにギャン泣きする様子が動画に残されていた。
……そういえば、と思う。ビデオや写真に残されている昔の、それこそ僕が生まれる前のとらの姿は、今こうして僕の前にいるとらとちっとも変わらない。猫の二十歳なんて、人間でいったら100歳くらいになるはずなのに、ちっとも老けてる感じがしない。
僕はとらの前にしゃがみこんで、じっとその顔を見つめた。毛並みもつやつやしていて、とてもおじいちゃん猫とは思えない。
「おまえ、ほんとは妖怪だったりしない?」
僕がそうつぶやくと、顔を洗っていたとらはぱちりと目を開けて、オレンジ色の目で僕を見た。
「よく気付いたな」
「しゃべっ――」
僕の唇に、ふに、と肉球が当てられた。
「シー……」
僕の口を右前脚で押さえているとらのωから、空気が漏れる音が聞こえてくる。
僕がこくこく頷くと、とらはそっと脚を戻して、それからぺろりと鼻を舐めた。いちおうあたりを見回してみたけれど、書斎の中には僕ととらしかいない。
「……しゃべった?」
「まあな」
そっと小声で訊いてみると、はっきりとした返事が返ってきた。
「ってことはカケルには、俺の声が聞こえてるわけだな」
「き、聞こえてるけど……えっ、なんで? なんでとらが喋ってるの……?」
「誰とでも喋れるわけじゃないぜ。この家だとお前と、あとはタケユキ……お前のおじいちゃんくらいだな」
「そうなの?」
「まあな。それよりも……聞こえるってんならちょうどいい。ちょいと手伝ってくれ」
ぴょん、と僕の脇をすり抜けて、とらはあっという間に部屋を出て行ってしまった。とん、とん、とん、と階段を下りる軽い足音が聞こえてくる。
急いで部屋から出た僕が居間まで駆け下りたとき、とらは炬燵布団をめくりあげて、その中に潜り込もうとしていた。
「待っ――」
手を伸ばす。縞々の尻尾を掴んだ時、僕の体はぐっと引っ張られて、炬燵の中に落っこちていた。
そして、浮遊感。
「――!?」
おじいちゃん家の掘りごたつの中には、一度と言わず何度も潜り込んだことがある。妹とのかくれんぼもそうだし、とらを探しに入ったこともあった。中は意外と広いよな、と思ったものだけど……それにしたって、ここまで広くはなかったはずだ。
あたりを見回してみる。僕がいるのは、暗い色合いの板が張られた四角い穴の中だった。それが、ずうっと下まで広がっている。穴の広さは、炬燵どころか居間よりも広い。そして上下は、底も天井も見えないくらい広がっている。壁際に等間隔に掲げられた松明の火が、無限に続いているように思えた。
その空間を、僕ととらは真っ逆さまに落ち続けている。右手と尻尾で繋がりながら。
「なにここー!?」
「手を放すなよ、カケル」
叫んだ僕に対して、とらの返事は落ち着いていた。いっしょに落ちてる真っ最中だっていうのに、余裕綽々、という感じがする。
どっしり構えている人がいると――人ではなく猫だけど――こっちもちょっと冷静になれるものだ。僕は一度唾を飲んでから、とらに問いかけた。
「……だ、大丈夫なの?」
「俺に掴まってれば大丈夫だ」
「放しちゃったら?」
「ゲームオーバー」
「ひっ」
思わず、尻尾を掴んでいる右手にきゅっと力が入ってしまった。けれどもとらは素知らぬ素振りで、じっと穴の底の方、僕達が今まさに落下していく先を睨んでいる。
それから五秒ばかり落ちたところで、とらは、よし、と言った。
「そろそろだな。いいかカケル、せーの、でAボタンだ」
「へ?」
「目を閉じた方がやりやすいだろうな。とにかく俺が合図するから、そしたらコントローラーのAボタンを押すんだ」
「こ、コントローラー? どこにあるのさそんなの!?」
「心で押せ! お前もデジタルネイティブ世代だろう!」
「無茶言わないでよ!?」
「そらいくぞ! せー、の!」
「うわーっ!?」
どうすればいいのかなんて、さっぱりわからなかった。だけどとにかく言われたとおりに目だけはつぶって、それから――。
「よし、着いたぞ」
――とらの声が聞こえたとき、僕の足の裏には、靴下越しにしっかりとした木の床板の感触があった。
目を開けると、僕ととらは大きな建物の中にいた。去年お父さんの厄払いに行った大きな神社の、これまた大きな本殿を思わせるような、広々とした板の間だった。
扉や窓は全て閉められていて、部屋の四隅にはかがり火が焚かれている。そのほかに明かりはなかったから、あたりは薄暗い。
「おーい。もう下ろしてくれー」
部屋を見回していると、とらの声が聞こえた。僕が尻尾を掴んでいるせいで、逆さづりになってしまっている。
「あ、ごめん」
僕が手を放すと、とらは顔面から着地した。
「ぎにゃっ!」
「あ、ごめん」
「いてて……勘弁してくれよトシなんだからよ……」
とらはのっそりと起き上がり、それから部屋の中心、何もない暗闇に向かって声をあげた。
「明かりくらい点けたらどうだい? そう暗くっちゃア、心持までますます暗くなっちまうだろう」
すると、暗闇の中に火が浮かび上がった。四隅のかがり火とは違い、何もない空間の、僕の背よりも少し高い位置に、ただ赤い火だけが揺れている。
そうして現れた火は、ひとつだけじゃなかった。ぼっ、ぼっと音を立てながら、次から次へと火が増えていく。
「鬼火ってやつさ」
とらがヒゲを揺らした。鬼火はどんどん数を増していき、部屋の中を明るく照らし出し、そうしてはっきりと見えるようになった部屋の中心に、そいつらはいた。
「……なめ猫?」
「よく知ってるなカケル。お前それの世代じゃないだろ」
それは、黒い詰襟の学生服を着た二足歩行の猫達だった。ざっと見て三十匹はいる。
そのうちの一匹が口を開いた。
「来てくれたのだな、とら!」
額に「猫年何故不来断固抗議」と書かれた鉢巻を巻いている、アニメ声でしゃべる三毛猫だった。
よく見てみれば他の猫たちも、「不当十二支我絶対不許」「猫至高動物他皆糞糞糞」などわけのわからない文字を鉢巻や襷にあしらっていた。中には大きな旗を持っている猫もいて、それには「猫年要求」と書かれていた。
「お前がいれば百人力、いや、百猫力だ! 皆で力を合わせ、今年こそ猫年を勝ち取ろう!」
にゃあ、とかわいらしい声で鳴いた三毛猫は、しかしその右前脚にかわいくないものを持っていた。猫サイズの薙刀だった。
彼女――たぶんメスだと思う。女声だし三毛猫だし――以外の猫たちも、めいめいきらりと白刃が光る物騒な獲物を携えている。
「ね、ねえ、とら……」
僕はその場にしゃがみこんで、とらに耳打ちした。
「なんなの、これ」
「討ち入りだ。毎年恒例でな……来年の干支の担当を討って猫年を作ろうとしてるんだ」
「正当な行為である!」
三毛猫が声を張りあげた。
「詳細は日本昔ばなしあたりを参照してもらいたいが、本来ならば我々猫にも十二支を担当する権利があったのだ!」
そうだそうだ! と、賛同する声が三毛猫の周囲の猫たちから上がった。声をあげるうちに盛り上がってきたのか、気付いたら皆で円陣を組み、武器を持った前脚を突き上げている。
ネズミに死を! という言葉も聞こえてきた。あまり穏やかではないようだ。
「ねえ、とら。これ……かなり危ないやつじゃない?」
「そうなんだよ。だからお前に手伝ってほしかったんだ」
「いやいやいや! 手伝うって、無理だよそんなの。僕剣道なんてやったことないよ!」
「何も難しいことをしてもらおうってわけじゃないさ。……今度は、Bボタン連打だ」
「えぇ……?」
「ほら目を閉じろ! 要領はさっきと同じだ、大丈夫、お前ならできる!」
「あーもー!」
もうどうにでもなれ、という心境で、僕はぎゅっと目を閉じた。それからイメージする。
ゲームをやっている僕。手の中のコントローラー。とにかくがむしゃらにBボタン……!
「うわあああっ!?」
三毛猫の声が聞こえた。それだけじゃない。他にもにゃーにゃーわーわー悲鳴が聞こえる。それから、ガラガラと何かが崩れ落ちる音。
「何故だ!? とら、貴様ッ……裏切るのか!?」
「悪いな。俺は最初から寅側なのさ」
「お、おのれええええっ!」
やたらとドスの利いた悲鳴(アニメ声)が、最後の大音声だった。猫たちの声は掻き消えて、代わりに聞こえてくるのは風の音。それとカタカタと足元が揺れる感覚。そして頬を撫でる熱い風。
「ねえ、とら! これ僕いつまで秒間16連射してればいいのかなぁ!?」
「おう、もういいぞ。目を開けてみろ」
心のコントローラーを投げ捨てて瞼を開いてみれば、目の前には火の海が広がっていた。僕ととらが立っている場所を除いて、建物はすべて炎に包まれてしまっている。
それは天井も例外ではなくて、今にも焼け落ちてしまいそうだった。
「わーっ!? と、とら! これマズいんじゃないの!?」
「大丈夫だ。まだ脱出できる!」
「いやでも、逃げ道! 逃げ道どこにもないよ!?」
「あるんだな、これが……とうっ!」
とらは、その場でひらりと跳躍した。ちょうど僕の顔の高さまで飛び上がったところで、器用に体がくるりとひねられる。背中側から、お尻を一番下にして落ちていき、そして床に達する寸前、素早く尻尾が振るわれた。
「せいっ!」
ドカンと轟音。そして僕の足の裏から、がくんと床の感触が消える。
とらの尻尾を叩きつけられた床板は、木端微塵に砕け散っていた。その向こうには、真っ暗な闇が広がっている。
「お、落ちるーっ!?」
「大丈夫だ。このまま帰れ――熱ッ! 尻尾火傷した!」
僕ととらは、そのま闇の中へと真っ逆さまに落ちていった。とらの尻尾の先には燃え移ってしまったらしい小さな火が付いていて、懸命に前脚で叩いて消そうとしている。
一方の僕ももう何が何やら、わけのわからない展開にさっぱり頭が付いていけなくなっていた。しかもあたりは暗闇で何も見えないし、やたらと風が強いのか、さっきからぐらぐらと強く体を揺さぶられている。
できることといえば、目をぎゅっとつぶり、体を丸めて耐えるくらい。それでも、体はがくがくと揺さぶられ続けた。
がくがく、がくがく――。
「……ちゃん。おき……」
――どこからか、聞き慣れた声が聞こえた。
*
「おにーちゃんおきてー!」
「うわーっ!?」
妹に体をがくんがくんと揺さぶられていた僕は、肩まで炬燵に埋まった状態で目を覚ました。
「……あれ?」
「おにーちゃんおきた?」
「え? いや……あれ? なにこれ、ゆめ? え?」
「おにーちゃんまだねてるー!」
「あわわ揺らすなななな」
ねぼけてるー! と、楽しそうに叫びながら僕を揺らし続けようとする妹との死闘を経てから、僕はなんとか炬燵から這い出した。
見慣れたおじいちゃん家の居間。壁にかけられた時計を見れば、到着したときから、既に二時間ばかり経過していた。
「年の最後にすごい夢見ちゃったな……」
「ぐっすり寝てたわねー。晩ごはんの前にお風呂入っちゃいなさい」
「はーい。……あ、そうだ母さん」
母さんに返事をしてから、そういえば、と気付く
「とらはどこ?」
「どこって、そこにいるじゃない」
ほら、と母さんが指差す先には、仏壇の前の座布団の上で丸くなっているとらがいた。足が太くて顔がでかくてずんぐりむっくり固太りな、ちょっと濃い目の茶トラの毛並み、御年二十歳のおじいちゃん猫。その尻尾の先端がちょっと焦げているように見えるのは、僕の気のせいだろうか。
さっき見た夢は、いったいどこから夢だったのだろう。僕はとらの前にしゃがみ込んだ。目を合わせようと思ったけれど、とらはずっと目を閉じていた。眠ってしまったのかもしれない。
僕は、そっととらの耳に顔をよせた。そして他の誰にも聞かれないように、小さな声で言ってみる。
「……ねえ、とら。おまえ、じつは喋れたりする?」
とらは大きく口をあけて、くあ、とひとつあくびをした。
<了>