櫛を、贈ってもいいかと。
そう聞かれたのは何の時だったか。
浴室を使って、絡まないように髪を乾かしている時だった気がする。
頭の後ろで熱くないようにと少し離したところから温風を送りながら、風の音に紛れて聞こえた言葉だ。
それに自分はなんと答えたのだったか。
お好きなようにと言ったのか、それともあなたが下さるものならばとでも言ったのか。
贈り物だと言われたそれは、しっくりと手に馴染む艶やかでぬくもりのある柘植の櫛。
使えば使うだけ艶が増すのだと。
「——楽しそうですね、正義」
「あれ、何か聞こえたか?」
「鼻歌が」
「うわ、ごめん、つい」
「いえ。続きをどうぞ」
風の音に乗って微かに聞こえる楽しげな歌につい笑ってしまえば、背後の気配が不思議そうにドライヤーのスイッチを切る。温風から冷風に切り替えて、ゆっくり髪を梳いていくのはこちらに贈られたはずの柘植の櫛。贈り物だと言いながら、その櫛を使っているのは専らこの贈り主だ。
「どうぞと改めて言われると恥ずかしいな」
照れくさそうに軽く咳ばらいをして、では、と歌い始めるのは先程の鼻歌ではなく言葉の乗ったアリア。殊更丁寧に持ち上げられる髪と、梳いていく櫛。
それを聴きながら、夢見心地に目を閉じる。
確かにこれは、自分に贈られた櫛なのだと。