去年と違って今年の十二月は、師走の呼び名の如き忙しなさはなかった。
 入試がなければいくらも楽というもの。あの独特の緊張感と焦燥感、隙あらば勉強という過密スケジュールはもう二度と味わいたくないものだ。
 それだけ勉強しても、大学入学式の時に新入生代表には選ばれなかった。上には上がいたのだ。
 結局は、高校で広がったように思えていた視野も、大学という視野で見ればまだ狭量だったということ。自分の力量は、目標を持って本気で取り組む人には敵わないのだと、改めて実感した。
 唯一の取り柄とも言えた勉強がその様ではどうしようもない。
 だけど勉強自体は好ましいわけで、相も変わらず惰性のように学びを深めている。好奇心という猫は奔放であった。
 さておき、去年よりはマシと言っても、私の場合は入試を除いてもそれなりに忙しい。
 親類の挨拶への対応やお歳暮、年末の掃除や支度といった家のことを細々と手伝っている。正直、サークルにも入っていない私は暇なので、そのくらいの手伝いならと駆り出されるがままだ。
 今日はそうしたこともなく、暇を持て余してしまった私は、読み止しの本を携えてEchoに向かうことにした。
 家から一歩出ると、途端に北風が吹き付けてくる。寒い。元より日本家屋のウチは広々としてるのもあって冷たい空気なのだけれど、外は風があるものだから余計に。仕方なしに足を急かした。
 からん、と軽い鐘の音色。温もりが出迎えるのと共に、「いらっしゃい」と都さんが私の姿を認めて微笑んだ。
 ぐるりと席を見渡すとそれなりに混雑している。もうすぐ念願叶って二階席の拡張工事が始まるのも納得の混み具合。そのあと人を雇い入れるそう。
 「あなたもバイトしない?」と声をかけてもらったし、割と本気で考えてみたけれど、遠慮した。
 何故って――
「あ」
 ふと、混雑の中に見知った顔を見つけた。
「あ」
「佐伯先輩」
「おぉ、おっひさーっす!」
 小糸さんとその友達二人……に元生徒会二人を加えた大所帯だ。みんなで頭を突き合わせてうんうんと筆を走らせていた。
「久し振りね。……ああ、受験勉強?」
 立ち寄り覗いてみると、見覚えのあるテキスト群。
「です。今日は図書室が混んでたから」
「一人じゃ勉強なんてやる気起きないから一緒にやろうぜーって。それと槙が関西の方行くらしくて。今の内に思い出作っとこーぜー的な」
「そうなの」
 勉強会か。思えば私はその手のことは全然してこなかった。私にとって集中できる環境じゃないから。
「私は一人の方が捗る……」
 もっとも、同じ意見の人もいたようである。叶さんは不機嫌な顔を浮かべて、じろりと堂島くんを見やった。
「そんなこと言うなよこよみー」
「助けてくださいよーセンセイ」
「堂島くんは見捨てようかな……」
「えーっ、槙ー俺見捨てられたわー」
「うるさいよ堂島」
 元生徒会メンバーはこの三年間で、より一層と仲よくなったようである。
 あんまり邪魔するのもなんだしと踵を返しかけたところで、不意に堂島くんの目がこちらを捉えた。
「佐伯先輩、教えてくださいよー! こいつらひどいんですー!」
 予想外の呼びかけに足が止まる。わざとらしい甘え声に渋面をなんとか堪えて振り返ると、五人の視線は私に集中していた。
「佐伯先輩、気にしなくていいですよ」
 小糸さんが気を遣うように手を振る。相変わらず気が利く後輩だ。この二人と一緒だと気苦労が多かったに違いない。
 けど、まぁ。
「……別に、いいわよ」
 今日の私は暇なのだから。後輩の面倒を見ても構わない。
「マジっすか! あざっす!」
「堂島くん以外だけど」
「って俺じゃないんすかーい!」
 小声で叫ぶという器用な真似をする堂島くん。
 私はいい先輩だったんだろうか。少なくともこの歓迎ムードは、嫌な先輩じゃなかったってことなんだと思うけれど。
 とりあえず都さんに相席する旨を伝えて、空いてた一席に腰を下ろす。三人は黙々と問題集に向き直ったけれど、堂島くんと日向さんは次々と私に分からない問題を訊ねてきた。
 ……いや、いくらなんでも分からないの多すぎるでしょ。
「今年も劇、やったらしいわね?」
 小休止に入ったところで、ふと思い出した話題を振る。
「はい。後輩たちもノリがよくって」
「先輩も見にきてくれりゃあよかったんすけど」
「知った時には終わってたもの」
 文化祭やってるなーとは思ってたけど、劇までやってるとは思わなかった。終わったあとたまたま会った箱崎先生と話す中で聞いたのだし。
「はー。にしても一年があっという間……」
 と、叶さんが机に突っ伏すようにして溜め息を吐いた。同じく、日向さんが突っ伏す。
「このまま加速してったら一年が一日になりそう……」
「ごめん朱里、訳分かんない」
「春にはどうなるんだろうね」
「志望校受かってるといいけどなー」
 ……春。春、か。
 言葉を聞いて、ついと視線はあの子に向く。難しそうな顔をして数学のテキストを睨み付けている、夕陽色をしたあの子。
 つく、と感傷が心に沁みる。
 傷に触れても、あるのはかさぶたのようなざらつきばかり。痛みはすれど、もはや鈍く。けれどづくづくと確かに訴えてる。
 後悔はない……いや、あるけれど。後悔だらけだったけれど。
 私が選んだ道が、間違いだとは言いたくなかった。
 結果は伴ってくれなかったけれど。やれるだけのことはやったし、なにより想いは届いてくれたから。
 ……とはいえ、隙間に吹き付ける北風は意識してしまうもので。
 心を満たすような温かな春は、まだ私に訪れていない。
 来年の春には、私にもそんな春がくるだろうか。
 五人がシャーペンを走らせる細やかな音と、お客さんの雑踏とを耳にしながら、私はふと未来へと想いを馳せた。
 その中に、一つ妙な視線が。
 誰かと思えば……えぇと……そう、日向さんだ。小糸さんの友人の。
 彼女から向けられる視線には、少しばかりの警戒が見て取れる。
 覚えがないはずなのに、覚えのある視線。
 彼女の視線の原因は分からないのに、向けられた視線の色だけは分かってしまう。
「佐伯先輩、気にしなくていいですよ」
 小糸さんが気を遣うように手を振る。
 別に、暇なのだから後輩の面倒を見てもよさそうなものだけれど。
 実家から通っているから、この子ともちょくちょく会ってるけど。
「……」
 何故、今になって感傷がぶり返るんだろう。
 そこに余計な気遣いまでもが雑ざって見えるのは、疑心暗鬼が過ぎる。
 きっと、外の寒さと――彼女の視線に中てられたんだろう。
「」
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