礼なんていらないと言っているのに。
部屋に戻ったファウストは、やれやれと肩を竦ませる。腕にさげたバスケットを、少し複雑な気分で眺めた。
しかし、せっかくもらったものだ。無駄にするわけにはいかない。複雑に絡む思考をうち切って、静かに息をする。
「《サティルクナート・ムルクリード》」
そっと唱えた呪文が、薄暗い部屋の中に廻った。ちいさくやわらかい風が、あちこちから吹き込んで、ファウストの魔法となる。
それは、部屋を、いっとき明るくさせて。
部屋の真ん中のあたりに、ちょこんとしたテーブル。向かい合うかたちに、椅子がふたつ。
テーブルの上に喚び出され、まどろむティーカップが、目をこすりながら起き上がるようだった。
そんなふうに、ひとりでに動き出す。ふたつのカップが、白磁色の、花柄のティーポットを連れてくる。
あたたかい紅茶の香りが漂った。バスケットをテーブルに置いて、ファウストは、ひとつ吐息した。
もうそろそろだろうか、と。ドアを横目に見た、ほとんど同時に。
「どうも、こんにちは」
――コンコンと、ノックの音。眠たげな声。ファウストは、ひそやかに笑った。魔法の小鳥に、ドアの鍵を開かせる。カチャリとドアノブがまわされる。
「呼んでくれればいいじゃないですか」
部屋に入るなり、ミスラは口を尖らせた。誰に言われるまでもなく、当然のように、椅子にどすっと腰かける。淹れたての紅茶が湯気をはなつ、すっかり目覚めのティーカップを、「いただきます」と言うなり呷る。
ファウストは、目を細める。向かいの椅子にゆっくりと座り、自分のティーカップを両手に持ち上げた。
「……どうせ」
熱々の紅茶の湯気を、ふうっと軽い息で流しながら。猫舌のファウストは、慎重に、紅茶をちびっとだけ飲む。
「呼ばなくても嗅ぎつけて来るだろう」
「そうですけど、納得はいきませんね」
バスケットの中には、手作りのクッキーが入っている。お礼だ、と渡されたもの。さまざまなかたちがあるらしい遊び心を、ミスラは何ひとつ気にせず噛み砕く。
もぐもぐとクッキーを頬張りながら、ミスラは文句を続けた。
「わざわざ呼ばれたいんですよ。わかります? ファウスト」
拗ねた子供、そのものの眼差し。むすっとした常磐色の瞳をうけて、ファウストは苦笑する。
「そう。それなら、すまなかったね」
「はい。次はわざわざ呼びに来てください」
「大人しく呼ばれるのを待つわけでもないくせに」
ファウストはティーポットの取っ手を握った。ミスラが、「なんですか」と不機嫌そうにする。ポットを傾け、ミスラのカップにおかわりを注いでやって、ファウストは首を振った。
「なんでもない」
ほら、と、揺れる紅茶の水面へと、視線を落として。まんまとつられるミスラが、「どうも」と言いつつ、真新しい紅茶に口をつける。
「なんでしたっけ? まあいいや」
「ああ」
喉が潤ったのか、ミスラは急に機嫌をなおした。猫よりも天気よりも、気まぐれでマイペースなミスラだ。
「このクッキー、もうちょっとこう、消し炭くらいにしていいですか?」
「だめ」
――そんな、ふたりきりの、ひそやかなお茶会。
穏やかな昼下がりの話。
end.♡♡