天井まで届く本棚が整然と並ぶ図書室。薄明かりで照らされた室内、毛足の長い絨毯を踏みしめて進む。目的の本は一番奥に、隠されるように仕舞われていた。大きな革張りの本を引き出し、その場に座り込んで本を開く。あまり行儀は良くないが、どうせ見咎める人間はいない。そっと表紙を持ち上げ、ページを捲る。
『──そうして、我が一族はこの地に住まう事となった。先にここで暮らしていた愛すべき友人と、ともに』
これは、この屋敷に移り住んできた当時の当主の日記だ。成人してから毎日を記してある。どんなに些細な事でも書き留めているところを見るに、随分と几帳面な人だったのだろう。短く簡潔に、理路整然と書かれた文章で綴られたそれを読めば、私の一族がどうしてこの地に流れ着いたのか、何故人の目から隠れるように暮らしているのか、一目瞭然だった。
そして、前に読んだ時には気にもしなかったが、ここに書かれている「友人」には覚えがある、気がする。違和感が無いように書かれているが、どうにも描写がぼかされているのだ。当人の名前すら書かれていない。それに気付いてしまえば、当主が何を隠そうとしたのか分かる気がした。それを踏まえて再び日記を読み返す。
曰く、その「友人」は病の為にここで独り暮らしていたのだという。追放された先祖は、彼の治療を請け負う代わりに共に暮らす事を提案し、相手もそれを承諾した。そこからは不思議な共同生活について書き続いていた。ぱらぱら、とページを捲っていく。
『今年に入ってようやく薔薇が咲いた。深く、鮮やかな赤だ。しかし、棘が異様に鋭い。素手で触れるのは止めておいた方がいいだろう。咲いた事を彼に報告したら、安堵したように笑っていた』
『彼が大怪我をした。原因は教えてくれなかったが何となく察しはついている。本人からの抵抗はあったものの怪我の程度を鑑み、荒療治だったが治療を施した。一命は取り留めたようで安心する。医者の言う事は聞くものである』
『彼から古典演劇を教わる。今の体になる前は、流れの劇団に所属していたのだという。時どき言葉の端々や立ち居振る舞いが演技がかって見えるのは、その頃の癖なのかもしれない。……頼めば、女の子向けの演目も教えてもらえるだろうか』
家族と過ごす日々の記録の間に、「友人」との交流が記されている。読むだけで分かる程の、穏やかな日々。
しかし、この日記は不自然に途切れている。
『ここでの生活にもだいぶ慣れた。周囲の植生も興味深いから退屈しないし、なにより愛すべき娘と夫と、友人がいる。とても充実した日々だ。明日は何をして過ごそうか』
このページより後ろは白紙が続く。正しく言うなら、千切られたページが一枚。それ以降は白紙だった。書き損じたのか、誰かが持ち去ったのか。最後の日付を指でなぞる。
私が知っているのは、この翌日に日記の書き手である当時の当主──曾祖母は捕らえられ、火炙りにされた事だけ。まだ老人とは言えない歳のはずだ。長く平穏な日々を送っていた人が、どうして処刑されてしまったのか。今を生きる私には計り知れない事だった。
それよりも私が気になったのは「友人」の正体だ。やはり、私の知っている人で間違いないのだろうか。聞いたら答えてくれるだろうか……。
視線を落とし、思考の深みに落ちる。だからだろうか、背後からの足音に気付かなかった。ふ、と視界が陰る。
「床に座り込んで読書とは、随分と勉強熱心だね」
上からの声に顔を上げる。見慣れた顔が見慣れた笑顔を作っていた。
「よくここが分かったわね」
「あんたの事なら手に取るように、っていうのは冗談。薔薇の芳香を辿ればすぐに分かったよ」
「ああ、手入れの後に来たから。本に移っちゃったかしら……」
私を見下ろしていた色違いの瞳が私の手元を見る。
「それは?」
「曾祖母の日記。ここに来た時の当主よ。ねえ、もしかしてここに書かれてるのってあなた?」
私の問いを聞いた瞬間、ほんの瞬きの間だったけれど。彼が僅かに何かを堪える表情をした気がした。笑顔に隠された思ってもいないものを見て、大きく数度瞬きをしてしまう。
「さあ、どうだろうね」
それだけ言うと、彼は外套を翻してしまった。
「ちょっと、」
「ああそうだ、言いたいことがあったんだった」
三歩先で振り返った彼の顔は、変わらず微笑んでいた。追いかけようとした足が思わず止まってしまう。
「暫くは屋敷から出ない方がいい。庭の手入れも控えた方がいいね」
「そんな事出来るわけ無いじゃない」
「でもそうした方がいい。……他でもない、あんたの為にね」
再び踵を返すと、彼は仄暗い闇の中に消えてしまった。
一方的な忠告のその理由も聞けず、私は一人取り残されてしまった。