西の低い空を、蛾眉の月が行く黄昏時。
今日の任務は当初予想していたよりも遥かに簡単な祓除で、はやく帰路につくことができた。
公共交通機関を乗り継いで、屋敷の最寄りの駅で蘭太と電車を降りたら、あとは歩いて家まで向かうだけだ。
「…足元、気をつけや」
「なんか、今日の直哉さん優しくて怖いですね」
明日、槍でも降るんですか。
蘭太がふざけて左の肩を小突いてくる。
そんなんやないわ、と返して僕が目を向けた先は、街灯の少ない寂しい景色が続くばかりで、昔話でよく言うところの妖怪が出てきそうな妖しささえある田舎道。
「お前、弱視やろが。僕、なんであんな雑魚相手に時間かけ過ぎたんやろ…おまえももっと早うできんかったんか」
「…それ、気遣われてます?けなされてます?」
両極端な台詞を並べられては、どう反応していいかわからないのは当然だろうが、これがいま自分の持つ感情のすべてなのだから仕方ないだろう。
真希に両目をやられて以来、視力のほとんどを失った蘭太は、任務さえこなせるものの、光の伴わない場所が最大の弱点となってしまった。常人には何でもないことも、こいつにとっては命取りとなりうる。
「内容の割に時間食った、それに腹立ってるだけや」
元、御三家の二人が本気を出せば瞬殺であったに違いない。
それなのに、互いの動きをはかり過ぎて妙な遠慮が働いた。これが、そのざまだ。
なにが悲しゅうて、大の男二人、野郎の足元を気にしながら一緒に歩かなあかんねん。
道端の小石を蹴りながら不満を隠そうともせずに歩く姿は、まるで少年のようだと笑われる。
頬を膨らませた僕に、立腹の理由を暗に察していた蘭太も苦笑してごめんなさいねとつぶやくから、それ以上の毒はもう吐けない。
「ありがとうございます、直哉さん」
「…なにがや」
「いえ、とりあえずは感謝を伝えておこうと思いまして」
「…感謝、とか気持ち悪いから。そんなもんいらんし」
それこそ明日槍が降るで、とわざと吐きそうな素振りを見せながら、半歩先を歩く僕の歩調は速すぎず、遅すぎずに淡々と家路を行く。
細々と続いていたその道の先に、ようやく屋敷の門の灯りが揺らめいた。
そして、出迎えに待つ二人の女性の影が揺らめくのを見留て、ようやく安堵に体が弛緩するのを感じる暇もなく脇を駆け出した蘭太にぎょっとさせられる…これが最近の流れになりつつある。
「おい、走んなや蘭太!おまえ自分の事なんもわかっとらんなっ?」
「だって、あの子が待っててくれてるんですよ!一秒でも早く行きたいでしょう!」
もうすぐ三十後半のおっさんが女子高生相手になに言うてんねん、とは口が裂けても言えない。
一足先に門へとたどり着き、大仰に女中見習いの少女の両手を笑顔で握る蘭太には、もうつっこむ気力さえ出なかった。げんなりと肩を落としながら遅れて門をくぐった僕に、もう一人の女性が…妻が笑顔を手向けてくれる。
「お戻りなさいませ、直哉さん」
「…うん、ただいま」
僕の気遣い返してや、と呟く声も、やはり拾ってくれるのは妻だけで、その対象はといえば、すでにオフモード丸出しで少女と連れ立ち自室に戻る途中であるから遣る瀬無さは振り切れてしまった。
背後で、妻が従える神将の笑い声が響いていたが、それもまた言い返してやる気力さえ起らず、手の平を振って笑うなと跳ねのける。
「食事にされますか?お風呂にされますか?」
「とりあえず風呂。西の部屋に酒、持って行っといてくれるか」
「わかりました」
ゆっくりしてきてくださいと送り出され、重い足取りを湯殿の方へと向けつつ傾きかけた月を見上げれば、昔、幼い頃にもこうして誰かのために心を砕いていた記憶が不意によみがえる。
その人は、あの月のように鋭い双眸で、しかし、虚ろな光を宿して、いつもどこか遠くの虚空を仰いでいた。