ホロネス 続き
男は黙って聞いてるだけだった。横目でジロリと見つめた、長い睫毛の先には透明な雪の雫が乗って、その重みに微かに揺れている。シャープな頬の曲線を沿うように、濡れた雫が伝い、男の濡れた前髪はいつの間にか、数本額に垂れ下がっている。明るい光に照らされた髪の色はやはり浮世離れした奇抜なカラーリングだが、差し色の暗色とのコントラストが美しい。ああ、まじまじと見ると、綺麗な男だ。
街並みは時々道路を挟んだ向かい側の歩道に人が一人二人と歩いているだけで、車道を行き交う車は時々路面に溜まった霙雪を跳ね上げながら通り過ぎていく。灰色の景色に立ち込める淀んだ雲が街の光を閉じ込めて、淡い赤紫に空を染め上げていた。ざわざわ、と鼓膜を僅かに震わせる雑音が私には波の音のように聞こえて、視界では少し先に見えた街路樹の枝葉にかけられたイルミネーションの光が蛍のように、空中を飛び交っている。掴めそうな光に時々手を伸ばして、握り締めてみるけど、ゆっくりと開いた手のひらの中には何も無い。
取りこぼしたバッグの中身は未だ、数十メートル先で散らばったまま取り残されている。私は沈黙の中でまた、バッグの中から大きなテントウムシがもう一匹隠れていやしないかと期待していた。お伽噺のように、ある日突然現れた煌びやかで空想的な生き物が、私を何処かに運んでくれやしないかと。
浮き立つような気分とそこはかとなく感じる虚脱感は隣合わせで、辛うじて形の残るひび割れだらけの身体に充満していくようだ。
病院の待合室で、順番待ちをしている幼児のような落ちつかない気分で、私はきょろきょろと目玉だけを動かして、隣の男を見つめたり、時々、目の前を通り過ぎる鉄の塊を眺めたりした。
正直、スン、とした澄ました表情で道路の向こうを見つめる横顔を見ていると、私の話なんてさして興味も無いように思えて、もしかして、コイツ私の話なんて最初から聞いてないんじゃないの?なんて疑問がわいてくる。しかし、それが私にとっては随分気が楽だった。
すっかり、この男のことも自分のことも何とかする気が失せてしまったのだ。どうせ飽きたらそのうちいなくなると思った。
「まだ居るつもりならなんか話して聞かせてよ。」
「あン?」
「あんたのことでも、何でもいいよ。なんか話して。」
「お前に聞かせられるほど面白いことなンて無ぇよ。」
「そう?」
「お前は?」
「あんた顔が良いから女の身の上話なんてそれこそ面白くなんて無いでしょ。」
「飽きたな。」
「ほらね。」
「他に話すことなンて無ぇんだろ?」
だから、私は、このあまりにも不遜で何にも興味が無いみたいな顔をした男に少しだけ、自分のことを話して聞かせることにした。
ちっとも、呼んだ気配の見えないタクシーが来るまでなんて、自分を誤魔化して。
夏は、嫌いだ。ギラギラと照り付ける太陽も、湿っぽくて暑苦しい空気も、私の気持ちなんてお構いなしな自分勝手な幼馴染も、全部全部、嫌いだ。
「なくしもの、したって言ったでしょ。」
「ん。」
「見つからない方が幸せなこともあると思うよ。」
「お前がそう思うってだけだろ。」
「そーかもしれないね。だって、探してたものが昔とおんなじ形でそのまま転がってるとは限らないじゃん。」
少なくとも、あの頃の私はそう思っていた。だから、失くしてしまったのか。いや、失くしたんじゃない。自分から手放してしまったのかもしれない。
ふと、話し始めた時に出た言葉に男は微かに目を見開いた。私自身、こんなことを話すとは自分で思ってもみなかった。
「私もずっと前から失くしてるからわかるんだ。」
なにを?とは男は私に問いかけなかった。前を向いても、視線を隣にずらしても、彼はただ真っすぐ漠然と滲んでいく景色の中に降り積もる微細な雪の欠片を眺めているだけで。
「昔っから、ずっと一緒だった子が居てね。……まあ、仲良しか?って聞かれるとそうでもなかったと思うんだけど。」
「へえ。」
「子供の頃、一人で公園に居るから声かけたのが最初。なんか、面倒くさそうな顔してたなァ、あの時。」
「はは。で、ソイツがどうしたって?」
「ほんとひどいヤツでさぁ。女ったらしだし、平気な顔で嘘吐くし、そこらへんで勝手に喧嘩して知らない間に青痣作ってるわ、しばらく見ないと思ったら豚箱ぶち込まれてるわ。マジで、子供のころから碌でもない大人になるって決まってるようなさ。」
細くたなびく記憶の糸を、途切れないように慎重に辿っていく。昔のことだけはやけに鮮明に思い出せて、ぶくぶくと泡のように浮かんで消える記憶の断片は、名残惜しいと感じるには些か不謹慎で碌でもない出来事ばかりだった。
湧きあがるのは、時折脳裏に浮かぶその子へのしょうもない愚痴で、隣の男は何がおかしいのか噴き出したように眉を寄せると、肩を揺らして笑った。
「笑わないでよ。ほんとにひどいの。人が怒ってもツラッとしてて、全然響かなんだからこっちのほうが馬鹿みたい。…………でも。」
ケタケタと笑い声を上げる男の仕草に私は少し恥ずかしい気持ちになって咳ばらいをした。でも、と言いかけた言葉の先にあるものは、私が今まで誰にも打ち明けることもできず、形になる前に消えてしまったものだった。
「でも、………好きだったんだと思う。」
言葉にして、初めて、私は夏が嫌いなほんとの理由を考えた。
どうして、あの日の出来事を今まで厭だと思い出さずにいたのか、なにとなく分かったのだ。そうか、私は、きっとあの子のことが好きだったのか。
幼い頃の未熟な私が理解できる感情を、時間が経つにつれて麻痺するように私は忘れていった。あの頃もきっとこの気持ちに気付いていたはずなのに、どうして今まで忘れていたんだろう。
ツン、と心臓に針を突き刺したような鋭い痛みはまるで今までずっとそこに在ったかのように、みるみるうちに面積を広めて、胸の塞ぐような感覚に鼻の奥が熱くなる。
私が黙ると、彼も水を打ったように笑うのを止めて急に、唇を閉ざした。
視界はじんわりと滲み始めて、真っすぐ前だけ見詰めた先にある景色の光が乱反射してきらきらと光っている。冷え切った頬には両の目から零れた無機質な涙が通り、燃えるような熱さをもたらしていた。なんで今更こんな古い傷が開いて、痛み始めるのだろう。これが厭だから、私はずっと口を閉ざして、記憶の隅に追いやっていたんじゃないのか。
なにも分からなくなっても、こんな腹の足しにもならない苦い記憶だけご丁寧に覚えているおめでたい脳みそを、脳天かち割って巻き散らかしてやりたい。
「好きだからって何かしてあげたわけじゃないの。ソイツ、女の子にすごいモテてたし、私のことなんてそんな目で見てなかったと思うから。」
「……勝手に決めつけてンなぁ~。」
「私自身、きっとそんなもんだったんじゃないかな。だってさ、」
だってこれ以上ないくらい好きだったら、きっと今頃失くしてなんていないんじゃないかって思うし。
「ひどいこと言っちゃって、それっきり会ってない。」
「それがお前の失くしもの?」
「そう。……怖かったの。」
怖かった。そう口に出すと、男が首を傾げる微かな物音が隣で響いたような気がした。
「いつも無茶苦茶やって、周りのこと全然省みなくて。そーいうとこが怖かった。」
「お前に関係ないのに?」
「……なくしちゃうのが怖かったの。なくなっちゃったって知るのが怖かった。」
記憶の中ではその子が何をやっても私に何か甚大な被害が及ぶことなど一つも無かった。人を殴って怪我をさせても、警察沙汰になっても、それはどこか私にとって蚊帳の外のような出来事で、その子自身を怖いと思ったことなど一度も無い。けれど、時間が経って、私が大人になるにつれ、その事実が少しずつ私にとって恐ろしいものとなっていったのだ。
「いつか、死んじゃうんじゃないかと思った。」
ぼろ、と両目からまた一つ大粒の雫が零れて、唇の上を流れ落ち、顎を伝うと膝の上に並べて乗せた手の甲に当たる。震える唇に染み付いた雫の痕が舌に触れると少しだけ塩辛い。
『××ちゃんの葬式なんて行きたくないもん。』
捨て台詞のように言い放ち背を向けた夏の日のことを鮮明に思い出す。
兄弟そろってベンチに座るあの子とその弟に背を向けて、足早に歩き出した時、歩を進めるごとに燃えるような怒りは次第にやるせなくてひどく空しい気持ちに変わり、目の前に続く横断歩道を渡り切ると、その先に見えるコンクリートの路面と揺れる蜃気楼の先に見える景色が歪んでいくのを感じた。
両の足が一歩踏みしめるごとに重たくなって、胸につかえた激しい痛みに堪え切れずに引き結んだ唇が開き、子供のような嗚咽と共に止めどなく涙が零れて止まらなくなった。
うざってぇから失せな、と言われたことも悲しかったけれど、それよりなにより、あの子が自分のたった一つの命すら何でもないことのように粗末に扱うことが許せなくって、悲しかった。例えば、あの事件で死んでしまったのが他の誰かじゃなくてあの子だったら私はどうなっていたんだろう。
死んだら死んだだ。そーいう順番だったってだけ、なんて言ってほしくはなかった。私がどうしてあんなにも腹を立てていたのか考えてほしかった。
もしも自分が、と。そう思った時、ほんの一瞬でも私のことを考えていて欲しかったのかもしれない。そんなあの子の態度を目にした時に私のことなどどうでもいいとはっきり分かってしまったのだ。早い話が告白する前に失恋したということ。
「もしも、ソイツが死んじゃったとしても、私が知りさえしなければ死んだことにはならないじゃない。」
ホントに可笑しな話だけれど、私は失くしたものが失くなる前に、それがどうなってしまうのか知るのが怖くて手放したのだ。
カット
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カットモードOFF
01:04
居留守
一時間くらいやります
50:33
鳥頭三歩
通りすがりです、こんばんわ
50:49
居留守
こんばんは~
56:16
鳥頭三歩
長いとは??
56:55
居留守
これ、夢小説の一部なんですけども、この文章の前に二万字ほど本文がありまして……
58:23
鳥頭三歩
オリジナルと既存キャラのお話という認識でOK?
58:34
居留守
そうですね
59:00
鳥頭三歩
OK
76:57
鳥頭三歩
何か短くするの手伝えるとこあります?
79:06
居留守
う~ん……どこか削ろうとも思ったんですが、書いてる当人からすると全部必要なとこなんだよな…と思い……難しいです、
79:55
鳥頭三歩
単語を短いものに変えるというのはどうでしょうか。
80:28
居留守
例えばどんな感じですかね?
81:34
鳥頭三歩
ほんとに些細なところなんですが、一か所だけ重複表現が気になる部分がありまして……。
82:07
鳥頭三歩
「ずっと一緒に居た子が居てね」は、居た が二回あるので、
82:32
鳥頭三歩
「ずっと一緒だった子が居てね」にするとちょびっとだけシンプルになるかな~と。
82:45
居留守
なるほど!!ありがとうございます!
83:43
鳥頭三歩
重箱の隅をつつくようでなんですが、個人的に短い文章で書くのが好みでして。なんか役に立てれば幸いです。
84:22
居留守
いえいえ、中々聞く機会が無いのでこちらも嬉しいです。
84:33
鳥頭三歩
ありがたいです~
85:32
鳥頭三歩
ちょっと書き連ねてみます? もちろん取捨選択は任せますです。
85:48
居留守
よろしくお願いします!
86:09
鳥頭三歩
ありがたやありがたや。最後の方からさかのぼって見ますね。最初からがいいでしょうか?
86:28
居留守
どちらでも!お手数でなければ!
87:34
鳥頭三歩
まあその~ 完全に好みの問題なので、文章が駄目だ~っていう指摘ではないので、よろしくです。長文書ける人は尊敬する。
88:01
鳥頭三歩
それでは冒頭の方から……。
88:47
鳥頭三歩
それはそうと、私はキャラクターの表現を書くのが超絶苦手なので、なかなかロマンチックでいい文章ですね。
89:05
鳥頭三歩
>男は黙って聞いているだけだった。
89:24
居留守
めっちゃ照れます……ありがとうございます。アドバイスまでしていただいてほんと申し訳ないです…。
89:43
鳥頭三歩
チャットできると意見交換出来ていいですよね~
90:03
居留守
ですね。
90:52
鳥頭三歩
>男の塗れた前髪はいつの間にか、数本額に垂れ下がっている。
91:36
鳥頭三歩
>2段落目
92:12
鳥頭三歩
>>一人二人と歩いているだけで~ とあるので、「静かに思えた」は省いてもよさそうですがどうでしょう。
93:54
居留守
一人二人で静かなの分かりそうなもんですね。
94:26
鳥頭三歩
街並みの情景はロマンですねぇ。
94:48
居留守
雰囲気は大事ですよね
96:07
鳥頭三歩
>3段落目:私は沈黙の中で、バッグの中に大きなテントウムシがもう一匹かくれていやしないかと期待していた。
96:22
鳥頭三歩
または「期待している」
99:08
鳥頭三歩
>~ かろうじて形の残るひび割れ誰明けの身体に充満していくようだ。
99:53
居留守
ごめんなさい。ちょっと時間切れになってしまったので終了します!
100:11
鳥頭三歩
あら、もうこんな時間っすね。どうもです~。ロマンあふれるなぁ。
100:28
鳥頭三歩
お疲れ様です~。
100:32
居留守
明日も仕事だもんで…せっかくアドバイス頂いたのにごめんなさい!
100:50
居留守
お疲れさまでした!ありがとうございます♡
101:09
鳥頭三歩
いえいえ、一例なので採用するもしないもお好みです~。それではお疲れさまでした。
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初公開日: 2021年10月27日
最終更新日: 2021年10月28日
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