自傷行為ときいて、あなたはどんな状態のことを連想しますか?
自分の手首を切るリストカットがすぐに思いつくでしょうか? 調べると結構あるんですよ、ライターや煙草の火で自分の肌や髪の毛を炙ったり、爪で血が出るまでひっかき続けたり、摂食障害とか。まぁとにかく、自分で自分の体を傷つけること全般、ってことなんだと思います。
でもそれって、体にだけでしょうか? 心にも『自傷行為』……あると思いませんか?
私はね、夕方の時間が一番好きなんです。黄昏時のあのアンニュイな空気感に身を浸していると、身も心も軽くなったような気持がして、とても楽しい気持ちになるんです。夕日が当たった電車の車体、キラキラ光って美しい。ほんのりと橙色に染まったビルの窓。それらを眺めていると、嫌なことなんて忘れてしまえると思うんです。
嫌なこと……、どんなものがあるか、ですか? いやぁ大したことないですよ。嫌な取引先に当たったとか、同じ部署にいる上司がひたすら後輩への悪口を止めない、だとか。電車で気の強そうな女性に足を踏まれて言い返せない、とかも、まぁ小さなことですが、私にとっては嫌なことにあたります。あ、すべて今日あったことです。
でもそんなことは、誰にでもありますよね。そんなことが起こる度に、ナイフを振り回したり、大声で怒鳴り散らしたりは出来ないじゃないですか。……まぁ、やってる人はいますけど。それでも、私達のような普通の人間にはできない。だから、そんなときは言いたいことやりたいことをゴクリと飲み込んで笑顔を作ります。
『はい、その通りです』『確かに、そうですね』『とても勉強になりました!』、色んな意味で顔を喜びの表情に歪めます。そうすると事態は、面白いくらいにさらりと流れていきます。嘘はコミュニケーションの潤滑油なんですね。
悲しくないか? そうですね、悲しくないといえば嘘になりますし、大変じゃない、しんどくない、も嘘になりますね。あはは、笑っちゃいますね。でも、そこで言い返しても報復しても、上手いこといかないのが世の常です。何事も諦めが肝心じゃないですか。自分のことを分かってくれる他者なんてどこにもいるわけないんですよ。だから、適度に嘘をついて、心を押し込んで、流れに身を任せます。そっちのほうが楽なんです。
……自傷行為。その話でしたね。
「現在、山手線界隈で起きた人身事故の影響で遅れが生じており、当駅に到着までの目途がたっておりません――」
私は、駅員室に怒鳴りこむ人々をかきわけて、遅延証明書をもらいます。帰宅ラッシュですから、沢山の人が迷惑被っているわけです。スマートフォンで少し調べてみますと、あぁ、私と同世代、30代前半の男性が飛び降り自殺を図った模様です。自傷行為の行く果て、自殺ということです。私は、心の中で羨望が湧き上がるのを感じました。
よかったな。死ぬことができて。
……けれど、その感情も無視します。その感情は持っていると危険なので。
私には、自分で死のうとする決意に行動力がありません。歯向かいながらも生きようとする力が無いのと同様に、自分のことを破壊しようとすることができないのです。何事も考えないようにするので精いっぱいです。自動的に死へと近づく感情は自分で無かったことにしてしまうのです。
だからこそ、今日も私は私を無視します。私の感情をなかったことにして、飲み込んでしまいます。けれどそれには無理があって、どこかしらに溜まっているんでしょうね。それこそ、私が30数年で蓄積してきた鬱屈な感情は、どこにも消化排泄されずに、今も体を蝕み続ける毒素にでもなっているのでしょう。それが、自傷行為、と定義されないのは、みんなもやっている普通のこと、だからでしょうか。常人が当たり前にこなすことだからなのでしょうか。いっそのこと自傷行為という形や病気にでも現れてくれればいいのに。そうすれば、大手をふって壊れることができるのに。
あぁ、いけない。そんなことを考えていては、いけない。
不満が爆発し続ける駅のホームで、ふと顔を上げた。美しい夕日に照らされたスーツ姿の人々が眉間にしわを寄せて、足早に歩き去っている。黄昏時のここちよい空気に身を浸る人は、自分含めて、いない。もうすぐ夜が来る。電車は来ない。
今日も、良い日でしたね。