恋なんて分からない。愛は知ってる。家族愛、親愛、友愛、その他いろいろ。みんなオヤジたちに、アニキたちに教えてもらったものだ。でも、恋愛、となるとみんなに教えてもらう訳に行かなくって、だから頭を抱えるしかない。
 ――恋。特定の異性(まれに同性)を強く慕うこと。切なくなるほど好きになること。また、その気持ち。
 ――慕う。相手に敬愛や魅力を感じて、付き従いたいと思ったり追い求めたいと思ったりする。敬慕する。
 ――敬愛。尊敬して、親しみの気持ちを持つこと。
 ――敬慕。尊敬して、慕うこと。
 ――尊敬。その人の人格・識見・業績・行為などを優れたものとして尊び敬うこと
『分からん言葉があったら、辞書を引くんやで。分からんことは分からんて、素直に人に聞くんはええことや。せやけど、オレらかて間違う。自分で調べて考えられるようになり』
 オヤジの言葉だ。だから、伊藤紗月は辞書を引いてみた。ますます分からない単語が増えた。ソンケイってそんな難しい言葉だったのか。そもそも辞書を引くこと自体に慣れていないこともあって、頭が痛くなってきた。
 大人になったらこの辞書の言葉ぜんぶを理解できるようになんのかな。とぼんやり思う。アニキは、むずい言葉は使わない。だけど、めちゃくちゃ頭がキレて、色んなことを知ってる。善兄はどうだろう。あの人もオレらに分かりやすい言葉しか使わない。けど、大人だもんな。全部は知らなくても、分かるのかもしれない。北斎はマジでネコみてぇにふにゃふにゃ喋るけど、物知りだったとしても不思議じゃない。玲央は……あのクソガキは、でも、本を読むのが好きだ。ファッション誌とかちゃらちゃらした本だけじゃなくて、教科書とか一通り読んで覚えてるタイプ。
 一人だけ子供になった気分で、辞書を投げかけてやめる。薄い紙の塊は、意外と重たい。こないだ勢い余ってアニキの招き猫を巻き込んでひっくり返ったばかりだ。モノにあたるのなんて、いっとう子供のやることだ。
 オレは、アンのことを好きなんだろうか。切なくなるほど? アンのことを考えると胸が痛くなって、もどかしくなって、オレがオレじゃないような心地になって、同時にオレ自身がむき出しにされたような気持がして、ワケがわからなくなる。これは切ないのだろうか。
 尊敬はしてる。してると思う。辞書に書かれた人格やどうちゃらは実感がわかないけれど、anZとして立っているアンは格好いい。あの隣に立ってやりたいと思う。
 親しみの気持ちを抱いているだろうか。親しくなりたいと思う。思っている。なんでもない幸せの形を与えてやりたいと、その一部を分け与えられたらと思う。当たり前にアンの生活の一部になりたい。アンがアンとして生きている世界を構成するひとつでありたい。オレがオレとして生きる世界の要素に、アンがいてほしい。
「紗月ちゃんが辞書なんて引いてる。めっずらし~い、図書室に居るだけでもオドロキなのに、明日は雨かな?」
 自身の考えに沈み込んでいたところに声がかけられる。反射で肩が跳ねた。ニヤニヤと笑った玲央がそこにいて、その手にはカタカナの名前が冠された詩集があった。
「るっせぇよクソガキ。テメェこそ何の用だよ」
 反射で怒鳴り声が出る。近くに居た誰かがこちらを迷惑なモノを見る目で見てくる。分かってる。図書室で大声を出す方が悪い。でも、だって。咄嗟に出た言い訳は言葉にならずに脳内でわかだまってぐるぐるする。八つ当たりのように玲央を睨めば、コワ~イ、と、全く怖がってない口調で笑う。
「高山ちゃんが困ってたみたいだから、おつかい?」
 高山、というのはクラスメートだっただろうか。どちらかというと欠席の少ない方で、つまり、真面目な女の子。口数が少なくて、前髪が長くて、俯きがちなやつ。あと女子にしては背が高い。
 玲央と接点なんてあっただろうか。こいつはもっと、声をかけるにしても”年上のオネーサン”の方が好みだったような気がしたが。
「失礼なこと考えてるね? サルのくせに」
 玲央は口元に詩集をあててフフンと笑う。そういう小癪な仕草が様になるやつだった。今から写真撮影だと言われたって耐えるだろう。まぁ、カメラを向けられた途端にこのこまっしゃくれた態度は雲散霧消してしまうのだろうが。
「紗月ちゃんじゃないけどさー、一度ご飯食べたらトモダチみたいな? 高山ちゃんには一回、ご飯奢ってもらったことあんの。だから、オンガエシ」
 順序の微妙にちぐはぐな喋り方。口元に本があてがわれたせいで玲央の小さな顔は殆ど隠れている。それにしても、ほぼ接点のない女にメシを奢ってもらうこいつのちゃっかりさには舌を巻くしかない。
「そーれーで、サルは何調べてたのっと」
 話を露骨に逸らされた。それは理解したけれどこちらのガードが足りない。つい口ごもってしまう。それを見逃す玲央ではなかった。目がきらりと煌めく。ねぇねぇねぇと纏わりついてくる。
「恋が……分からなくて」
 ついには白状させられてしまった。畜生! 玲央の猛攻は止まない。
 ――恋って、それって、アン・フォークナー? まだ自分の気持ちが分かんなーいとかドーテーくさいこと言ってるの? あのねぇサル、恋かどうかなんて悩んでる時点でそうとう”好き”ってことじゃん。じゃあその”好き”には自信持っていいんだよ。そんな種類で紗月ちゃんの行動って変わるの? 変わらないでしょ。だから、いいんだよ。恋が分からないままでも、進みなよ。
「まずはデートからだね」
 捲し立ててから、玲央はしゃらっとした顔で言ってのけた。思わずのけぞる。
「こ、告白もしないうちからデートになんて誘えるかよ、そんなチャラついた」
「はいまずそれが間違い。何度かデートしてお互いの好感度を高め合ってから告白する方が成功度高いんだから! サルはさぁ、今現時点で自分がアンにアタックして成功率どれくらいだと思う? もうダメダメのダメだよ。ひのきのぼうで魔王に挑むよりダメ。良く知らない、口は悪い柄も悪い頭も悪い男に迫られたら誰だって怖くて逃げちゃう。まぁアンの場合怖くてっていうより単に身の丈に合わないってフラれるだけだろうけど。
 でもさ、紗月ちゃんの良いとこもあるじゃん、身内には優しいとか? 意外と根性あるとか。そういうとこを知ってもらってから告白した方が成功率上がると思わない?
 だから、まずはデートしてからなの」
 勢いに圧倒されてしまった。お、おう。と頷いたオレはそのまま玲央の勧めでプラネタリウムを予約してクラブCANDYでアンの出待ち(?)をすることになった。帰り際にパッと約束してその日は引け、というのがアドバイザー玲央(玲央自身が自分でそう言っただけでオレ自身はアドバイザーなんて呼んでやるつもりはない)の言葉だ。
「ァアアアン! あのさぁ、今度の土曜日って空いてるか? ぷ、プラネタリウムの券、もらったんだけど」
「ヘ? ボク? いいけど……」
 決死の言葉は、思った以上にあっさりと承諾された。ボクもう眠いから詳細は改めて連絡するね、なんて連絡先交換まで済ませてしまって、腰が抜けるかと思った。
――※※
 プラネタリウムの席は思ったより柔らかかった。前日寝不足だったこともあって、意識が飛びかける。星の名前、星座の由来、この町の歴史。そんなものが頭を右から左に抜けていく。
 だから、気が付いたら隣にいるアンのことを見ていた。香水の香りがふわりと顔って、座席に背を預けているから髪の毛が少し乱れている。
 それを軽く梳いて整えていられるようになりたかった。現実のオレは指一本動かせずにいたのだけれど。
 アンを眺めていたらプラネタリウムは一瞬で終わってしまった。
「ねぇ、チラチラ見てた?」
 口の端に笑みを浮かべてアンが問うてくる。恥ずかしくて顔から火が出るかと思った。
「悪い」
「いーよぉ、見られてるなーって思っただけ。ねぇ、この後どうする? おひるごはんでも食べよっか」
 心臓が口から出るかと思った。驚きすぎて。大丈夫、財布にはアニキからもらった軍資金が入ってる。ニヤニヤ笑いのアニキが「甲斐性見せたりや~」なんて言って捻じ込んできたやつだ。
「あぁ! アン、なんか食いたいもんあるか? 奢るぜ」
「あっは、太っ腹。じゃあ雷麺亭行こ。天津飯食べたい気分」
 プラネタリウムに行って、昼飯を食べて、これは大分デートなのではないか?
 信じられないくらいとんとん拍子に事が進んで、心臓が早鐘を打つ。全身の血管が破裂しそうだ。
 天津飯を食べるアンはとびきり綺麗だった。生きることは食べることだと、オヤジはいつか言っていた。生きる姿の美しいアンは、食べる姿もやっぱり美しいのだと納得する。
 この美しい生き物を、強く抱きしめたいと、そんな気持ち。頭を振ってその思考を追いやる。脳内には玲央の「がっついたら嫌われるよ! 引いて! 引いて! めちゃめちゃ引いてからちょっと押すくらいの加減でいくんだよ、いーね!」という言葉が巡っていた。
「アン、あのさ……このあと」
「ボクはショッピングに行きたいなぁ」
「荷物持ちでもなんでもするぜ!」
 引くとか無理だ。めちゃくちゃ前のめりになってしまった。アンがほんのり笑う。綺麗だ。
――※※
 夕暮れが影を長く伸ばしている。足は歩き回ってくたくたで、でもそれ以上に心が満ちていた。色んな服を見て回るアンは綺麗で、どんな服も似合っていた。色々なアクセサリーはどれも分からなかったけれど、アンが合わせるとどれもその輝きを五倍にも十倍にもするように見えた。
「買った買ったー!」
 ご満悦のアンはどこか少女のようなあどけなさを頬に刷いていた。今日だけで知らないアンを沢山見て、もどかしいような、どうしようもない、オレがオレでなくなるような、逆にオレ自身がむき出しにされるような感触はいや増すばかりだった。
 両手にぶら下げた買い物袋の分だけ満足を胸にためて息を吐く。
 アンに知ってもらう以上に、アンのことを沢山知ってしまった。今日だけで夢見心地で、この日が永遠に続くなら、それはそれで幸せだと思った。
 でも、でも、と、自身のうちにある欲動が息をする。
 この肩を抱きしめたいのだ。細い体を暖めてやりたいのだ。
 足を止めたオレに、アンが2、3歩進んでから気が付く。振り向いて、どうしたの? と首を傾げる。髪の毛がサラリと落ちて、顔に影をかけている。
「アン、あのさ……オレ」
「ごめんね」
 
 言葉を制されて、黙るしかなかった。告白はやはり先走っただろうか。だから、断られたのだろうか。今日一日楽しかったのはオレだけで、アンはつまらなかったのだろうか。
「キミ、たぶんボクのこと好きなんだよね。でも、ボク……男なんだ」
 騙すつもりじゃなかったんだけど、女の子じゃないんだ、ごめんねと、続く言葉の意味がよくわからなかった。
 ――恋。特定の異性(まれに同性)を強く慕うこと。切なくなるほど好きになること。また、その気持ち。
 脳内に以前引いた辞書の言葉がよぎる。特定の異性、まれに同性。
 まれに、の意味は分からなかった。伊藤紗月が読めたのは、同性でも恋は抱けるのだということだけ。
「なんでごめんなんだよ。俺が好きになったのは、抱きしめてやりたいと思ったのは、肩を並べたいと思ったのは、背を伸ばしたアン・フォークナーで、高らかに歌うanZで、オンナノコじゃない」
 言った。声はもしかしたら震えたかもしれない。緊張が喉を絞めて、いつもの半分も言葉がでなかった。アンが目を瞬かす。
「キミはストレートだと思ってた」
「なんだそれ……オレは紅茶じゃねぇよ」
「ふふ、そうだね」
 アンが笑った。今日見た中で一番晴れやかで美しい笑顔だと思った。何か身構えていたことがすべて心配いらなくなったような、無邪気な笑み。
「なぁアン……いつか、抱きしめていいか」
「それは今だっていいんだよ」
 キミがボクを好きで、ボクのことを受け入れて、ボクが君を受け入れるなら、抱きしめ合うのは、いつだっていいんだよ、と、アンは言う。
 一番星が、空に瞬き始めていた。
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向き
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ただ君に晴れ
初公開日: 2021年09月24日
最終更新日: 2021年09月24日
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コメント
ぱららい紗アン
【短編】メタフリ
『UNDERTALE』のメタトン×フリスクの二次創作小説を完成するか気が済むまで書きます
直線
灼・冬駿/満ちては欠ける
冬駿理不尽痴話喧嘩部の入部届です。
end