なんとなく配信。終わりまでやるかは未定。だらだらやっているのでずっと見ていてもさくさくは進みません、多分たまに覗くくらいで充分。
チャットは見てはいますが返事はしません、悪しからず。
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秋によばれたひとのはなし
庭に面した縁よりも二階の肘掛け窓の方が季節を感じられると知ったのは、階下に降りることすら億劫になった身体の都合故だった。
横着して腰を下ろしたまま硝子窓を開け放てば、それだけで花の匂いが吹き込んでくる。香りの元は道を挟んだ向こう側にあるというのに、まるで真下から枝を伸ばしているかのようにはっきりと立ち上っていた。強い日差しと暑さの直後、木枯らしと雪化粧の少し前。待つのにも名残惜しむのにも短すぎる季節は、その儚い日々を命の限りに伝えようとするかのように主張する。どれだけ声高に叫ぼうとひたすら翳りゆくばかりの無常が幾多の感情を動かしてきたのだろうかと、夕に溶けゆく鱗雲を眺めながら思った。
高欄に雨の雫がぶら下がっている。通り雨でも過ぎたのか、見下ろせばその名残がそこかしこにあった。細かな土埃が地面に落ちて、手を伸ばせばそのまま切り裂けそうに透明な秋の空気が満ちている。雫に移った花の命が一度落ちてそれからまた漂って、湿度を得たぶんだけ強く香る。ただ風に吹かれるよりも土に吸われた方が生き永らえるのは、草木も人も同じなのかもしれない。
黄金色の香りごと吸い込めば、肺の中にも秋が満ちた。まだ受け入れられるだけの余力を残していることに少しの感動を覚えつつ、これもじきに失われるのだと思うといっそ知らなければよかったとも考える。季節が巡ることに興味など覚えなければ、未練を生むこともなかったかもしれないのにと。
風の流れる方へと手のひらを立てる。指の間を通る凉風を感じながら、これが毒なわけなどないだろうと思う。生活を改善する気もなくこのまま都会に居続ければ命を縮めるばかりだと医者は云ったが、これを毒だと認識する身体の方がおかしいに決まっている。純粋なものだけ吸って吐いて生きていけるわけなどないのだから、人の肉体も精神もそれに耐えうるように作られていなければ道理が合わない。美しいと思えるものにさえ拒否反応を起こすのなら、それはもう生きているとは言えないのではないだろうか。
最後の春だとは思わなかった。最後の夏だとも思わず、連日烈火のごとく鳴き交わす蟬の声を遠くに聞きながらいつかの海を眼裏に見た。先日両の手を鮮血に染めてはじめて、この秋が最後だとはっきり悟った。最後の冬はこれから訪れるものではなく、記憶の隅に僅かばかり残る昨年の暮になるのかもしれなかった。
そう簡単に変われるはずがない。季節が巡る速さに人は追いつけない。いつだって置いていかれるばかりで、過ぎたものしか目にすることは叶わない。
次の咳で、次の喀血で死ぬかもしれないと言われたところで、これまで何十年とやってきたことを捨てられるはずもない。そもそも捨てる気もなかった。終わりを遠ざけるために生き方を制限されるくらいなら、最後まで自由でありたい。
この病で死ぬのは、どうやら自らの血で溺れて死ぬに等しいらしい。最後にこの胸を満たすものが花の香でも長年吸い込み続けた紫煙でも愛した人の言葉でもなく、己の喀いた血だというのはなんとも無様であるなと病の味のする咳をする度に独り思った。それをいっとき忘れるために、こうして別のものを飲みたくなるのかもしれなかった。
高欄の真下をくぐる姿を認めて灯を消した。間もなく聞こえた階段を上る軋んだ音に、申し訳程度に羽織の袖を払って待ち構える。
通り雨にやられた、と湿った髪を振りつつ現れた男の広い肩からも、黄金色の花の香りがした。似合わないなと思いつつも、その香をこうして起き出してまで待っていたようでは何も言えない。
――また、吸ったのか
花の香に呼ばれただけだと返すのがここ最近の口癖であった。
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おしまい。ありがとうございました。