『北の御山』の山中に突如として出現した温泉。
そこを訪ねたシャッターは、ぱさりと衣を脱ぐと近くの木に引っ掛け、置かれていた桶で軽く体を清めるとそのまま湯の中に体を滑り込ませた。
大きな岩を地に埋め込み、ぐるりとくり抜いたようなその天然の湯船に浸かってほう、と息を吐いたシャッターは、瞬間ぎゅっと視線を鋭くして湯煙の奥を睨む。
すると──。
「そんなに警戒してくださりますな、南の姫宮。俺ですよ」
──からからという笑い声と共に、ざぶりと誰かが寄ってくる。
シャッターはその声に微かに目を細め、それから一つ溜め息を吐いた。
「北の御老公、貴方でしたか」
彼女の嘆息と同時に姿を現したのは、湯の中に燃えるような橙の尾を九本揺蕩わせている若い男。
その正体は、この辺りで最も永い命を持つ化生。
九尾の大狐仙のトレパンである。
彼はゆったりと尾を揺らしながら、シャッターから程近い場所に座って目を細める。
「いやはや、たまにはひとりで湯など楽しもうと思っておったのですが、あまりにも強い気配を感じて思わず隠れてしまいましてな。お陰で気を張らせてしまってようで、申し訳ない」
「いえ、私こそ私の目を掻い潜れる者などこの辺りでは貴方しかおられぬことを失念しておりましたよ。傍に誰かいる、と気づいた時点でそれが十中八九貴方であることを思い至らなかった私も間抜けです」
穏やかに会話を交わす二人。
するとそこでシャッターが何かを思い出したように岩陰に手を伸ばすと、そこからひょいと徳利を取り出した。
柔らかな笑みが、彼女の口元に浮かぶ。
「湯に浸かりながら楽しもうと思っておったのですが、よければ」
「おお、これはありがたい。是非とも」
するり、するりと二人は酒を呷る。
雪のように白かった肌に赤みが差したのは湯のせいか、はたまた酒のせいか。
と、そこでトレパンが口火を切った。
「姫宮。まこと、坊は愛らしゅう育ったと思われませんか」
「……ええ。とても愛らしく、健やかに育ちました」
僅かな緊張が走る。
掌中の珠の如くに大切にしている少年の話題を出され、互いが互いの意図を探り合うように視線を交わす。
「……では、最近坊の周り。里でちらほらと見かけるようになった者達のことは、どう思われますかな」
瞬間、微かにシャッターの表情が強張った。
まるで獣の毛が逆立つように、滑らかだった肌に一瞬真紅の鱗が浮かび、それからすうっと消えていく。
「……あの連中。我らが同族、人ならざるものの血の匂いを振り撒く者共のことですか」
「ええ。それに、見慣れぬ者達もまた入って参りました。この里は今、大きな変わり目を迎えておるようです」
語るトレパンの口調に硬さはない。
だがその尾がじわり、じわりと光を纏い始めているのを、シャッターは見逃さなかった。
「今日こうして御老公がここへ参られたのは、この事を話すためでしたか」
「いえいえ、俺はただ湯を楽しみに来ただけですよ」
「そうだとしても、私がいつもこの曜日になれば湯を浴びに来るというのは最早周知の事実。それに合わせたのではありますまいか」
静かに問えばトレパンは「これは参った、お見通しですか」と笑うと一転、するりとその顔から笑みを抜け落ちさせた。
「いかが、いたしましょうなぁ。こちらとしては坊の住む里をあまり血で汚したくはないのですが、しかし害されるのを座して待つなど言語道断」
「然り。まあ、見慣れぬ者共は別に放っておいても構いまわないでしょう。あれらからは同族の匂いもする。ここは人ならざるものの集う里でございますから、彼らが新たに加わるというなら迎えればいいし、歯向かい好き勝手に暴れると言うなら潰せばいい」
「なるほど。ではもう一方の話なのですが……最近、嫌な噂を聞きつけましてな」
「嫌な噂?」
シャッターが眉根を寄せれば、トレパンはぱしゃ、と湯を弄びながらゆっくりと頷いた。
「『怪異狩り』。あやしの者たち、人ならざるもの達を狩るもの達が、この辺りをうろついているという噂です」
その言葉を聞いてシャッターは苦々しげな顔になる。
が、すぐに大きく息を吐くと、ゆらゆら揺れ動く赤い目でトレパンをまっすぐに見据えた。
「『怪異狩り』であっても、何も仕掛けて来ぬうちはこちらも手出しをすべきではないでしょう。ただ住まいの入り口は固く閉ざしておく必要はありましょうが……それに、もし向こうが手を出してきたら」
「遠慮は、いらんでしょうなぁ」
からから、と軽やかに笑うトレパン。
シャッターはその言葉に頷くと、集落の方角へと目をやった。
「手を出さぬのならそれでよし。牙を剥くなら総力を上げて叩き潰す。それが我らの生き方です」
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アイザリス
いらっしゃいませᕕ(Uᐛ )ᕗ
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書きたいものを書きたいだけ02
初公開日: 2021年08月20日
最終更新日: 2021年08月20日
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