ハルが「お婆ちゃんの七回忌があるの忘れてた」と言い出したのは、夏休みに入ろうとする頃のことだった。
 夏休みどうしようか、とハルの部屋でだらだらと相談していた折、SNSの着信に目を落とした彼女が、突然そんなことを言い出したのである。
「あら、そうなの。いつ?」
「お盆に、だね」
「そう」
「仕方ないのですっぽかします」
 どうしてそうなるのか。
「どうして?」
「わたしの一番は沙弥香先輩だから」
 そう、愚直なまで真っ直ぐに言われるのは嬉しい。気恥ずかしさと、それと上回る熱が胸の奥から湧き上がってくる。
 けれど、それはそれとして。
「それならちゃんと行った方がいいわ」
「えー、沙弥香先輩と一緒に遊びいきたいのにー」
「それ以外の日でも遊べるでしょ。それにどうせ帰省ラッシュでどこも人で埋まってるんだし」
 そんなところにわざわざ突っ込んでいく趣味は私にはない。それがいいんだけど、とハルが言うんだったら一考の余地もあったけれど、流石にそんなことはなかったようで、むむむと言葉に詰まっていた。
「だってつまんないよ。一回忌や三回忌ならまだしもさ」
「大事なことよ。それと一回忌じゃなくて一周忌ね」
「そーなの?」
「そうなの」
 一応、家柄として法事には親しんでいたから訂正を入れると、ハルは首を傾げた。
「なんで周と回で違うの? それに三回忌って一周忌の次の年だったと思うけどなんで?」
「……今度調べておくわ」
 理由までは知らなかったので誤魔化すようにしてそう言うと、「訊いたことも忘れちゃうと思うけど」とハルは笑った。
「どの道私もお盆は家にいなくちゃいけないから、遊びいけないわよ」
 もはや時代遅れとはいえ本家という立場ではあるのだ。挨拶回りをしなくちゃいけないし、親戚も大勢押し寄せてくる。
「あー。お嬢様だから?」
「私をなんだと思ってるの?」
 説明すると、「本家って?」という言葉が返ってきて、今更ながらに隔世の感を思い知ったのであった。
 /
 そんな口約束を忘れてしまっていた私は、帰省するハルから名残り惜しむようなメッセージが届いて、連鎖的にそんなことがあったなと思い出した。
 思い出したついでに調べてみると、一周忌は亡くなった日から一年経ったことを表し、三回忌が亡くなってから二年目に行うのは、亡くなった日を一回目としてカウントしているからだそうだ。
 何故そんなややこしいカウントをするのか、と思ったけれど、そもそも年の数え方でさえややこしい数え方をする国なのだからそういうものなんだろう。
 とりあえずその旨を教えてみると、やはりすっかり忘れていた様子のハルは軽い調子のスタンプを送り返してきた。
 お盆とお正月は忙しい。両親が挨拶回りに向かい、祖母がお得意様との歓談を交わしている以上、次から次へと挨拶にくる親戚筋への対応は一人娘の私がしなければならない。こればっかりはお手伝いさんに任せるわけにもいかない。
 これが辟易とするのだ。わたしは興味を持てないから誰が誰だか全然覚えられないし。
 かといって、このままでいいわけじゃないのだろう。
 佐伯家本家の一人娘としては。
 まだ、先のことではあるけれども。
 もうすでに気が重く感じられる。
 この時も、そうだった。
「美人さんになったねぇ、沙弥香ちゃん」
 そう笑って手を握る伯母は、小さい頃から可愛がってくれた人だった。旅行に連れていってくれたり色々くれたりしてくれていたものだから、名前を憶えている程度には恩義も親しみも感じてる。
「ありがとうございます。おかげさまでここまで成長できました」
「またそんな。ウチのコスメはどう?」
「いつも使わせていただいてます。特にこないだのリップがよかったです」
「そう? それならよかった」
 だから、親戚が引っ切り無しに訪れてくる中で、伯母と会って話をするのは数少ない楽しみであったし、憩いの時間でもあった。
「ところで沙弥香ちゃん、今いい人はいないの?」
 温かな感情が、その一言で冷水を浴びたように冷え込む。
 ――いい人。
 無論、付き合ってる人のことを指す隠語だ。
 ただ、それが指すのは――男の人。
「……いいえ。残念ながら」
「あらそう? でも沙弥香ちゃん美人なんだから、その内できるわよ」
 そう言って、優しく手を撫でてくれる。
 その優しさが……少し、しんどい。
 だって私には応えられないことだから。
 同じようなやり取りは何度もあった。大学生になってから特に顕著になったように思う。
 仕方ないとは思う。私は本家の生まれで、その境遇に甘んじて生きてきた。
 愛されてきた、と私は思ってる。わがままらしいわがままはそんなにしてこなかったと思うけれど、それでさえ家族はいやな顔一つせず私の要望を受け入れてくれたのだ。
 両親はそういうことを直接言ったりはしない。ただ、周囲の期待は、すでに私を跡継ぎと見ている。
 そんな中で、私が好きになれるのは、女の人だけ。
 ……気鬱だ。伯母に言われたのが、思ったより効いてる。ほとんど被害妄想のようなものなのに。
 来客の波が引いて、ゆっくりとした時間が取れるようになると、自然と溜め息が零れた。
「お疲れ様」
 しわがれながらもなお毅然とした声が投げかけられる。振り返ると案の定、祖母が佇んでいたものだから、思わず背筋を伸ばした。
「面倒だろう。若いお前にとっちゃこんな因習はさ」
「あ、うん、いや、その」
「だがまぁ、大事なことだよ。お前は賢いから、そういうことも分かってるだろうが」
「う、ん」
 実際、大事なことだ。コネクションはあるだけ手札が増えることになるから、絶えず交流を持って維持しないといけないし、あればたとえ継がなくても役に立つ。
「とはいえ、今や家柄というものの意味も薄れてしまったからね」
 そう祖母は溜め息を吐く。今や個人主義の教育を受けた世代が現役世代の多くを占めている。私もその一人だから、そうした方が親しみやすい。
「駅前の和菓子屋があったろう」
 唐突に、祖母はそんな話題を振った。
「うん」
「あそこのお嬢が家から出たんだと。あそこは産んだのが遅かったからね、もう弟子を取るのも難しいからと店仕舞いするそうだ」
 「すぐじゃあないそうだが」と付け加える祖母に、私は言葉を返せなかった。
「最近はこういうのが多くなって、寂しいもんだよ。私にゃね」
 ……私たちのような家には、歴史がある。それに付随した繋がりがある。
 それを手放したという話を聞いて……勿体ないと思ってしまった。私もそうしたいと思っているのに、つい。
 同時に思う。その行動力が、勇気が――少し、羨ましい。
「お前は、どうしたいんだい」
 そんな内心を見透かしたように、祖母は昔と変わらない鋭い眼光で私を見つめてくる。
 ……私は……、
「……私は……分からない」
 曖昧なまま答える他なかった。
 ……決して継ぎたくない、というわけじゃない。
 ただ。
 家を継ぐということは、存続させなければいけない。
 つまり――異性と結婚をし、子を儲けねばならない。
 それが私にはできない。いいや、したくない。
 だから……苦しい。
「私は昔の人間だから、継いでくれて曾孫まで見れたら嬉しいがね。お前はもう大人だ。家はいつかは必ず絶えるもんさ。お前が背負うようなことはないよ」
 祖母はそんな私に、滔々と言い聞かせる。
 分かってる。分かってるけど。
 臆病な私にはその決心さえ難しい。
「家を出たっていい。一人でもいい。好きな男でも女でも作ったっていい」
「おっ、えっ」
 急に図星が飛んできたので狼狽えてしまった。
「どしたい。私らの時代だってそういうのはあったさ。その前だってあった。おかしなことじゃない」
 そう語る祖母の顔は、どこか遠くを見ていて。
「でも、どうなっても、顔は見せて欲しいもんだね」
 けれど、その視線はすぐに私へと向けられた。
「……うん」
 それだけなら、できそうな気がする。
 ……あぁ、そうか。祖母も祖父も、もう長くはないのか。
 今更になって実感した二人の時間に私は、できればこの人たちを裏切りたくないな、と思った。
 /
「ただいまー、沙弥香先輩」
 一週間振りくらいにハルの部屋に入ると、そう言ってきたので面食らってしまった。
 ただいまって、そもそもここは私の家でもないのだけれど。
「……お帰り、でいいのかしら」
「いいんじゃない? はいこれお土産ー」
「ありがと」
 お土産を受け取って、コーヒーを淹れる。よく飲むものだから、購入して持ち込んだ物だ。
 ……だからあんなことを言ったのか。今更のように思い至り、一人得心すると同時に恥ずかしさを覚える。
「いやー、疲れた疲れた」
 ごろんごろんと自由に振る舞うハルに思わず苦笑が浮かぶ。
「こっちもよ」
「ずっとじっとしとかなくちゃいけなかったし」
「それって疲れるのかしら」
 座りっ放しが疲れるとかそういうのなら分かるけれど。この子の場合、動き回れないのが疲れると言いたいのだと思う。どういうことなのかさっぱりだ。
「それに付き合ってる人はいるのかーって五月蝿くて」
 続けられた言葉に、私は一瞬息が止まった。
「……そうなの」
 何度も聞いた言葉。ハルにさえ申し訳なさが浮かびそうだった。
「だから女の人と付き合ってますって言ったら静かになっちゃった」
「……えっ」
 しかしあっけらかんとしたハルの言葉に、一瞬理解が遅れてしまった私は、間の抜けた声を上げてしまった。
「あ、沙弥香先輩の名前は出してないよ。流石に迷惑だろうし」
「いや、そういうのじゃなくて、えぇ……?」
 私には考えられないことだったから、どうにも思考がフリーズしてしまってる。
 すると、ハルはごそごそと鞄から古めかしいノートを取り出して見せてきた。
「実家からお婆ちゃんの日記が出てきてさ。お婆ちゃん、女学校に通ってて、その時に女の人と付き合ってたんだって。それを直前に読んでたからさ、思わずがーってなって言っちゃった」
「そ、そう。……その、お婆様は、どうなったの?」
「卒業と同時に結婚させられて、そのまま疎遠になったんだって。それはそれでお爺ちゃんと上手くいって幸せだったっぽい。ただ、その人のことを時々思い出してたみたいだよ。宝箱に入れたビー玉みたいに」
 日記をぱらぱらと開きながらハルが語るのを聞いて、私は。
「私は……思い出なんかになりたくないな」
 そう、ぽつりと零した。
 ハルの視線が日記から私に移る。決して悪く言ってるんじゃないのだけど、罪悪感に駆られて言葉を付け加えた。
「いい話だとは思う。けど……私には……」
 ――その出来事を、仕方のない過去のことだと諦め、思い出として美化して、向き合うこともないまま風化させたように思えてしまう。
 ある意味で――あの先輩のことが思い出された。
 すれ違って、そのまま。あの人の中ではとっくに思い出へと昇華されてしまってるのだろうけど。
 思い出の中に置いていかれてしまった私は、どれだけ苦しんだか。
 もちろん、私が高望みしてるだけだとは分かってる。ハルのお婆様の場合は時代が許さなかったというのも。
 分かってるけど。それでも。
「そうだね」
 ふと、ハルが手を重ねてくる。
「……ハル?」
「わたしも宝箱に入れられっ放しはいやだなぁって」
 そう言って、ハルは私をじぃと見つめた。
「沙弥香先輩」
「……うん」
「まだ、一緒にいてくれる?」
 ハルの、闊達とした声が訊ねてくる。
 ……付き合って一年経ってなお、その視線から熱を感じる。熱が生まれる。
 それを、手放したくない。熱を感じていたい。
「まだ、あなたと一緒にいたいわ。ハル」
 重ねた手を合わせて、指を絡める。
 笑う。二人向き合って。
 せめて今ばかりは離さないように。
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