0801エアスケブ「アイス」
主犯格の男
 玄関の扉を開けると真夏の日差しで炙られた空気がぬるりと這い出してきたので、硲道夫は思わず顔をしかめた。カレンダーが八月に切り替わり、十四時の気温は三十五度をとうに越している。猛暑日は今日で三日連続だと天気予報が告げていたし、この暑さが数日は続くとも言われていたように思う。出身が海風の爽やかに吹く淡路島だったこともあるが、彼が子供の頃はどこだってこんなに高温の予報が出るような気候だったことはなかったと記憶していた。
 そもそも三十度を越えたのだって真夏の盛りの一、二週間くらいのもので、毎日冷房をフル稼働させないと健康被害がでるほどまでは暑くなかったはずである。大人になって少し暑さにも弱くなった自覚もあるが、それにしたって数値を見ても近年の夏は厳しいのだ。
 日当たりの良い部屋はその分こうして太陽の熱をこもらせてしまう。意を決したように薄暗く暑い室内に足を踏み入れると、足元にまとわりつくような熱気がかき混ぜられてより暑く感じられた。遮光のカーテンを引いていてもこの時間には毎日ここまで暑くなっているのだと思うと、薄く冷房をかけるか換気をして家を出た方がいいのかもしれない。
 思案を巡らせながらひとまずは手にしていた日傘を玄関先に置いて、チェーンをかけた玄関扉に小さな三角の木片を噛ませて隙間を開けた。それなりの高層階に位置している硲の自宅は風の通り道を作るだけでもそれなりに涼しく過ごすことができる。玄関からほとんど直線の位置にあるリビングの窓を開けると、真夏の熱風がずるりと質量を持って吹き抜けていくようだった。
 そうだ、風を通してそれなりに涼しくなれるのは、それ相応に爽やかな風が吹くときだけなのだ。室内にこもっていた空気さえもしのぐような熱風に自然とため息をついてしまうと、その拍子にこめかみから顎をつたって汗のしずくがぽつりと落ちた。
 熱風とはいえとりあえず空気の動きがあれば多少は気温は下がってくる。今はもうただの蒸し風呂みたいなものなので、外とほとんど変わらないくらいまでましになったら冷房をつけよう。それから軽くシャワーを浴びて汗を流して、身支度を整えたら夕方からのオンライン打ち合わせの準備をしなくては……
 考え事をしながら熱に浮かされた頭でぼんやりとこの後のスケジュールを整えながら、ふと気がつくと手洗いうがいを無意識に済ませたそのままの流れで冷凍庫を開けていた。いつか舞田が買い込んできてしまわれているファミリーサイズの氷菓を一本取り出して封を開ける。行儀が悪いのはわかっているが自宅である気安さでアイスを口に咥えながら、定位置に置かれている冷房のリモコンを操作した。
 普段の厳格な様子から意外に思われることもあるが、硲とて甘いものは嫌いではない。適度な糖分の摂取は頭を使う上で必要であるし、歳の離れた妹や同僚の影響で口にする機会も多いのだ。低い唸りを上げてフル稼働し出したクーラーから吐き出される冷風を直接浴びられるような位置に突っ立ったまま氷菓をかじるのは、舞田や山下の影響だ。行儀が悪いと散々文句を言っていた硲だって、この猛暑からほうほうのていで帰宅すれば合理的な涼み方に思える。
 何も操作をしていなくても熱を持っている携帯を取り出して確認すると、舞田からメッセージが来ていた。昼の仕事が押してしまい帰宅するより硲の家の方が近いので、夕方の打ち合わせはこちらで出席したいとのことだった。彼ら以外にも大勢のアイドルを管理していて多忙なプロデューサーとの打ち合わせにビデオチャットを用いるようになったのはここ最近のことだが、こうして各自で落ち着ける場所を確保しなくてはいけないのは果たして便利になったのだろうか。
 舞田に了解の返事をしながら舞田のスケジュールも頭の中で逆算する。きっと舞田もまた汗みずくでやってくることは想像にかたくない、彼もシャワーを浴びる時間をとれるように、手早く汗を流してこようと食べ終えた氷菓の棒を捨てた。
 それから何日か過ぎたある夏の夜、舞田と山下が硲の家にきたときのことである。次の日の仕事が三人一緒に朝のニュース番組に出る仕事であり、入り時間が早いことと硲の家からの方がアクセスが良いこともあって二人を泊めることにしたのだ。早朝というよりほとんど深夜に近い時間に家を出なくてはいけないが、三人で行動すればタクシー一台で済むのも大きな理由である。
 一泊用のちょっとした荷物を手にやってきた二人は、一足先に帰宅していた硲に礼を言って上がり込んできた。夏の夜、仕事を終えてそのままやってきた二人は汗をかいていて、夕飯どきのこんな時刻であっても下がらないがいきおんを物語っていた。
「お邪魔しまーす」
「I'm home!」
「ああ、あがってくれ」
 勝手知ったる様子で上がり込んだ二人は、催促されずとも手洗いうがいを済ませてリビングにやってきた。他愛のない会話をしながらいつもの位置に荷物を置く山下を横目に、舞田は元気よく冷蔵庫を目指す。アイス食べて良いかい、なんて言いながら慣れたように冷凍庫の引き出しを開けているものだから、こちらもすっかり慣れている硲もいちいち止めたりはしない。それに冷凍庫のアイスの在庫は、おおよそ舞田が購入して貯蔵しているものである。
「ミスターたちも食べるかい? Oops! 一本しか入ってないや!」
 俺こんなに食べちゃったっけ、なんて舞田はしきりに首を傾げているが、心当たりのある硲は山下の何か言いたげな視線から逃れるように明後日の方へ顔を背けた。
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初公開日: 2021年08月01日
最終更新日: 2021年08月01日
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