エアスケブ「人を好きになると無自覚に甘いものをたくさんあげたくなってしまう舞田」
チョコレートの魔法
 昔からチョコレートに困ったことはなかった。いや、それは流石に誇張だとしても、毎年二月の十四日には老若男女問わず数え切れないほどのチョコレートをもらっていたのだ。
 翌月までに食べ切れたことはなく、家庭用の大きな冷凍庫にはバレンタインのチョコレートを保管するためのスペースが常にあったように思う。せっかく自分のために用意してくれたものを無碍にするような躾は受けていない。期限の短いものや冷凍保存のできそうにないものからいただいて、なんだかんだで夏頃までかかって消費していたようにも思う。
 そうしてたくさんもらった気持ちのお返しとして、ホワイトデーの頃にはホームパーティーのようなものを催して全員を招いた。たくさんもらった気持ちを返すという目的はもとより、そこで今まで知り合い程度でしかなかった間柄の人たちが仲良くなっていく光景を見るのが彼は好きだった。そうしているうちにその次の年に舞田類へ送られるチョコレートの数は倍々に膨らんでいったという次第だ。
 だから舞田にとってチョコレートを分け与えるという行為そのものが、「幸せのお裾分けの象徴」のように感じられるのだ。だってチョコレートはみんな大好きでハッピーになれる特別なスイーツだからね。
 おおよそそのような内容のインタビューを読み終えると、山下次郎は雑誌を机の上に戻した。多少は誇張されているだろうがあの舞田類ならば嘘であるとも言い切れない説得力がある。こんなとんでもないエピソードを出せる逸材なのだから、チョコレート会社のバレンタイン商品のPRに抜擢されたのも必然のように感じる。
 よく暖房の効いた事務所の休憩室ですする備品の珈琲は何よりも美味い。なんてったってタダで飲み放題だからだ。おまけに今はプロデューサーも社長も事務員の山村も出払っていて、まあつまり留守番を仰せつかっている山下一人きりでのびのびとしているのだから尚更だ。
 朝に少し撮影をしたくらいで、このあとはオフで予定もない。あのすきま風のひっきりなしに吹き込んでくる家に帰ってエアコンをつけるくらいなら、事務所でのんびり急ぎではない台本の確認でもしているのが今日の山下の気分だったのだ。
 羨ましすぎて逆に頭の痛くなるようなエピソードで疲れた頭をリフレッシュさせるつもりで、机の上の四角い箱からチョコレートをひとつつまんで口に入れた。見本でもらったばかりだというこの雑誌を持ってきたついでに舞田が寄越したものである。PRの仕事をしている会社のものではないのが気になったが、まあそんな気分の時もあるだろう。百貨店に入っているようなお高いチョコレートは備品の薄っぺらい珈琲の味さえ高級品のように底上げしてくれる気がする。まあ、気のせいだろうけど。
 インタビューの載った女性向けのファッション雑誌はそれ以外には山下にとってめぼしい記事もなかったので、途中で放り投げていた台本を取り出してまたそちらに集中する。ラジオ番組のミニコーナーの台本だが、本番まではまだだいぶ余裕があるので適度に休憩をはさみながらで良いのだ。
 これから先もコンスタントに仕事があるが、特に今日急いでしなくてはならない仕事はない。教師をしていた頃にも味わったことのない心の余裕のようなものを感じて、山下は一人上機嫌だった。
「失礼する。……なんだ、山下くん一人か」
「あら、はざまさん。おはようございまぁす」
 おはようの時間でもないのだがこういう挨拶が身に染みてくると芸能界に染まってきたなと感じる。これももちろんご機嫌の山下が勝手に感じているだけで、芸歴としてはまだまだ駆け出しのペーペーだ。
 特にこれといった反能もなく山下の向かいのソファへ荷物を置いた硲は給湯室に消えていき、しばらくすると珈琲を片手に戻ってきた。別に山下に話があるというわけでもないのだろう、その証拠に荷物から山下の眺めているものとおなじ台本を取り出して、筆記用具を持たずにぺらぺらと眺めている。
 きっと硲も山下とそう変わらない状況なのだろう。硲の視線が台本から離れた一瞬に山下は机の上のチョコレートの箱を傾けて硲へと差し出した。真四角の箱にが十字に仕切られて四個のチョコレートが入っている。山下はふたつしか食べていないので、まだ半分こが可能だった。
「はざまさん、これるいにもらったからどうぞ」
「ん、いや。気持ちはありがたいが遠慮する。それは君がもらったものだろう」
 こう見えて硲は結構甘いものを食べる。断ることもないだろうと思っていたので目を丸くしている山下をよそに、硲は鞄を漁って一冊の雑誌を取り出し机の上に広げてみせた。それは先ほど山下が舞田から受け取った、あのインタビューの載っている雑誌だった。
 少し嫌な予感というかその先の展開が予想できたので眉を下げる山下に、硲が山下と舞田にしかわからないくらい微かに頬を緩ませて四角い箱を取り出した。案の定それは舞田がくれたチョコレートの箱であり、硲が蓋を開けてみると既にひとつばかり減っていた。
「私も同じものを朝のうちに舞田くんにもらっているんだ。君がコーヒーと一緒に楽しんでいたので、私も真似をしようと思ってな」
「なあんだ。俺だけ特別にもらったわけじゃないのね」
「そういうことだ」
 舞田からもらったチョコレートだなんて言って特別ぶって差し出した自分が何だか照れくさいような気がして山下がくすぐったそうに笑っていると、仕事を終えたプロデューサーともふもふえんの三人が帰ってきた。にわかに活気づいた事務所の空気は山下ののどかな休憩時間が終わってしまったことを表していて、おかえりなんてかけた間延びした声に誘われるように四人の人影が休憩室に押し寄せた。
「あっチョコレートだ! 赤くてピカピカしててかわいいね」
「舞田くんからもらったものだ。ひとつ食べてしまったが、三つあるから君たちで分けたまえ」
「えっ、いいの? みちおせんせいやさしーい!」
 硲が自分の分の箱を差し出すと、姫野はうさぎが跳ねるように喜んだ。しかしすぐに何かを思い出したように手袋をした両手を頬にあてて、可愛らしい唇を突き出してみせる。
「でもでも、それってみちおせんせいがもらったものでしょ?」
「せっかくもらったものを僕たちが食べちゃうの、なんか悪い気がしちゃいます……」
「うーん、チョコは食べたいけどプレゼントだもんな」
 小さいのによくできた子供たちだなあなんて、既にふたつ食べてしまっていて彼らに分けることのできない山下はそのやりとりを眺めていた。そうしているうちにまた誰かが帰ってきた音がして、なんだかもういつもの賑やかな事務所の風景だ。
「ミスターたち、ただいま!」
「渦中のるいが帰ってきちゃった」
「カチュー?」
「るいせんせい、チョコレートいっぱい持ってるぜ!」
 戻ってきた舞田に事の顛末を伝えるより先に、橘が舞田が提げている紙袋の甘い匂いを嗅ぎ取った。チョコレート会社のロゴが入った紙袋の中にはたくさんの板チョコやチョコ菓子などが入っていて、舞田は上機嫌にそれを差し出す。
「打ち合わせでもらったんだ。事務所のみんなで食べてよ!」
 チョコレートはハッピーの象徴だから、なんてインタビューで言っていたのと同じことを言いながら菓子を配る舞田はまるでバレンタインデーから来たサンタクロースだ。このあと数日かけて事務所の人間にチョコレートが配られるのを横目に見ながら、山下はそれでもどうして自分と硲のチョコレートだけは別のブランドのものだったのかと誰も気づかないような角度で首を傾げた。
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初公開日: 2021年08月01日
最終更新日: 2021年08月01日
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