※IF時空 渚と風南が映画に行くだけ
 空が抜けるほど青かった。嵐の次の日はいつだってそう。
 渚の手を取って、風南は歓声を上げた。夏の匂いのする空気を胸いっぱいに吸い込んで、楽しげに笑う。渚の手はいつだって風南より少しだけひんやりしている。手を繋いでも均質にならない体温は、一人と一人を際立たせて、けれどそれが心地よい。
「私、映画って観たことないの。夢みたい!」
 まるっきりはしゃいだ子供の風情をして、風南は繋いだ手を揺らす。それを振りほどくでなく、渚は口元だけで笑った。
「私はあるよ。誘われてだけど」
 はじめて同士じゃなくて残念だね。と、唇だけでそっと告げる口調は、しかし冗談めいている。渚は渚でこの機会を楽しみにしていたのだと、それを風南に向かって言葉にすることはないのだろうけれど。
「いーの。あたしと映画に行くのははじめてでしょ」
 風南は、映画館への道のりをずんずんと進む。片手には慣れないスマートフォン。地図アプリをあちらこちらに向けながら、わりに迷いのない足取りで歩んでいく。
 おすすめ! と表示のある、少し道のりが長いけれど曲がり角の少ない道。風南が選ぼうとしていたのは、そちらだった。
「……こっち」
 そちらだった。のに。不意に渚が風南の手を引いた。地図アプリの青丸が、取り残されて点滅する。建物と建物の隙間、細い路地へと二人は歩を進めてゆく。目を丸くする風南に、渚はまた口元だけで笑いかける。
「こっちの方が、近道」
 いざなった割に先導はせず、渚はそのまま繋がれた手を揺すった。
 風南は先ほどちらとだけ見えた映画館の看板と、現在地点を線で結ぶ。方位とおおよその方向だけが分かる。細く、暗く、曲がり道の多い、先の分かりづらい道。
 終点だけが見えて、経過の予測がつかないそれは、まるで渚自身のようにも思える。
 近道、という言葉を疑いもせず、風南は足を前に進めた。風南の人魚姫は、手を引かないと立ち止まったままでずっとそこにいるだろう。
 だから、風南は渚の手を引く。それがどのような道であろうと、二人で歩むなら、風南にとっては何も変わりがない。
「今日の映画は歌姫が出てくるんだってね。でも、渚さんの方がずっと綺麗で歌も上手だと思う」
「映画に出るような人と、比べちゃだめだよ」
「私ね、カラオケにも行ってみたいの。渚さんの歌を、マイクで聞いてみたい」
「カラオケは煩いから好きじゃない」
 手を繋ぐ。揺らす。会話はあちらこちらに飛んで跳ねてまとまりがない。渚の言葉は淡々として冷たく、はしゃぐ風南とは対照に見える。
 けれどその絡めた熱、夏の日差しよりあたたかなそれを、渚は放してやるつもりなんてない。
 突き放してまだ離れようとしないこの愛は、蒼は、渚のものにしていいらしいから。
***
みそにへのお題は『手放すつもりも、ないですけれど』です。
#shindanmaker
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偽りの愛で腹を満たして
初公開日: 2021年07月28日
最終更新日: 2021年07月29日
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