頭に浮かんだことばをひたすら書いていく。自由連想文ってやつをやります。目安の時間は10分。
今回のはじめのキーワードは「電話」。
電話をするだけで、しあわせ。そんな風に思えることは、どれだけしあわせなことなのでしょうか。
本当は、会えればそれが一番良いのでしょうが、なかなかそうはいきませんから。そんなとき、電話越しでもいいから、ただ、声が聞きたい。そう思う。そう思える相手がいる。声を聴くだけで、今夜もぐっすり眠れそうな、そんなひとが確かに存在している。
それはきっと、とても素敵で、幸せで、素晴らしい、幸福なことです。たぶん。そうだといいな。
人によっては、電話というのはそんな幸せをつなぐためのアイテムであったり、あるいはまったくその逆で、絶望や不幸と密接に結びついた、地獄の扉が開いたことを告げる忌々しいドアベルなのかもしれません。
わたしにとっては、どうでしょう。あるいはそのどちらでもあるのかも。画面に表示される名前を見て、一喜一憂する自分がいます。
電話と言えば、もう今では当たり前のようにスマートフォンを指すようになりました。家電だって画面付きです。それが当たり前。ボタンしかついていない固定電話ですら見なくなりました。ダイヤル式なんて、もはやアンティークでしかありません。
そもそも今のデジタルネイティブ世代にとっては、固定電話を見たことがない、という人まで珍しくないそうで。え、黒電話とかじゃなくて、「普通の電話」だよ? なんて確認してしまうオジサンオバサンのなんと多いことか。
でも実際衝撃なんですよ本当に。自分たちにとって当たり前であったことが、今ではそうでない。固定電話なんて、ある方が珍しい。
公衆電話のイメージって、緑ですか、ピンクですか。私は緑ですが、たしか実家の近くの公民館に、ピンク色のダイヤル式の電話がありました。本当にこれで番号が打てるのか、と、不審に思いながら十円玉を入れて、がらがらがらがらダイヤルを回して、ちゃんと家につながって受話器から母の声が聞こえてきたとき、ちょっと感動したことを覚えています。
私はボタンの固定電話世代でした。そのうち画面が付くようになって、電話帳は紙のものではなく、機械の中に入っている電子データを指すようになりました。
紙のぬくもりについて、言及する人をたまに見かけます。小説界隈だと、他の分野よりも多いかもしれません。電子書籍では味気ない、やはり紙の感触とか、質感がないと読んだ気がしない、などなど。
ぶっちゃけ私としては、そもそも私がネット小説で育った人間なもので、電子書籍でも全然いいじゃん悪いことないじゃん。と思いがちなのですが、最近、やっぱり電子データだけというのは、弱いものだなと感じています。
一生ネットのおもちゃ、などというフレーズがありましたが、実のところネット上のデータは、永遠に保守され続けるものではありません。かつて存在していた膨大なデータも、今でさえ失われてしまったデータが大量に存在するのです。我々はかつて、インフォシークやジオシティーズの悲劇でそれを知りました。この先も、我々が永遠である保証なんて、どこにもありはしないのです。