もろともに をるともなしに うちとけて 見えにけるかな あさがほの花
 ふと、歩みを進めていた足が止まった。
「先輩?」
 唐突に立ち止まった私を、振り返った侑が怪訝そうに呼んだ。
 ある家の前のことだった。侑の呼びかけは聞こえていたけれど、私はすぐに応じられなくて、ただじっとそこを見ていた。
 別段変わったところのない、普通の一軒家だ。表札にある名前はよくあるものだったけれど、それだって私の知人の家ではない。
 なら、なにを見ていたのかと言われれば、
「朝顔が咲いてるなぁって」
 鉢に突き刺さった支柱に絡み付く朝顔に目が釘付けになったまま、私はようやく口を開いた。
 青とピンクの二輪が、支柱を介して互いに絡み付くようにしてささやかに咲いていた。
「あぁ。そうですね。それがどうかしました?」
 それだって特別な物じゃない。家と同じく至って普通の朝顔。
 ただ、少し萎れてきてるだろうか。今は昼だからもうそろそろかもしれない。
 それを、眺めていた。
「自由研究の課題で朝顔の観察をしたことがあってさ」
「あー。わたしもしましたねそれ」
 侑も同調する。夏休みの自由研究の鉄板だから、おかしくはない。
 実際、当時の私もそんな理由でやった。比較的楽だし、悪目立ちせずに済むからって、そんな消極的な理由で。
「それで、お姉ちゃんにやり方とか書き方とか教えてもらったの。……そのあとだったな。お姉ちゃんが亡くなったのは」
 会話が途切れる。
 じぃじぃと、蝉の合掌がひんやりと響いた。
「あの時、お姉ちゃんに教わったこと、覚えてないの。ちゃんとしたから聞いてはいたんだよ。でも、課題が終わったら忘れて、そのまま。そんなことを思い出しちゃって」
 目を細めながら、二輪の朝顔を見つめる。
 だって、それが日常だったから。なくなるものだと、思ってなかったから。そんな些細なことを忘れてしまった。
 お姉ちゃんがどんな顔で、どんな声で、なにを言っていたのか。
 そんな大事なことすらも。
 それに気付いた時、どれだけ愕然としたか。
 突然の死は記憶することさえ許さないのだと、その時初めて知った。
 だから。私は……。
「なんか、不思議だな。侑にお姉ちゃんのことを話してると、ちょっとだけ楽になる気がする」
 ふ、と小さく息を緩める。
 多くを語ってるわけではない。今思い出したばかりの記憶の一部でしかない。なのに、湧いてくる自己嫌悪が和らぐのを感じている。
「……誰かに聞いて欲しかったんじゃないですか。ずっと一人で抱え込んでたら、そりゃあそうもなりますよ」
 私の言葉に、侑はなんでもないようにそう返す。
 漏らす弱音を肯定も否定もしない。
 それが、心地よい。
「そうかも。……ふふ」
「今の、笑うポイントありました?」
「ううん。やっぱり侑が好きだなぁって」
 眉をひそめる侑に、私は首を振って笑った。
 侑は、朝の容花でしかない私の両面を見ても、特別に思わない。
 だから私は侑が好き。そんな想いをより強くする。
 それが私なりの特別。
 自分で積み上げたものがない私の――それだけが、私だと胸を張って言えるもの。
「あんまりそう言われると、段々軽く思えてくるんですけど」
「むしろ深くなってるんだけどなぁ、侑のせいで」
「そうですか」
 釈然としない様子で侑は目を逸らす。
 再び私たちは歩き出す。他愛のない会話を交わしている内に、いつもの分かれ道まで来た。ここまでこんなに近かったかな。ゆっくりと歩くには、少しばかり遅かった。
 仕方ない。合宿までの充電を、と思っていたけれど、これ以上我が儘は言えない。
 振り返った私は、笑顔で侑に手を振った。
「それじゃあ侑、今度は合宿で」
「はい。それじゃあ」
 ぺこりと頭を下げた侑は、すぐに帰り道を歩き始める。それを見送ってから、私も道を進んでいった。
 もうすぐ合宿があって。劇の練習をして。お姉ちゃんの命日が過ぎて。文化祭の日が来る。
 ……私、ちゃんとやるからね。
 お姉ちゃんとして舞台を成功させるよ。
 お姉ちゃんを知る人が、お姉ちゃんを忘れないように。
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