このひとの眠りはいつも浅い。だから、珍しいと思った。
 すやすやと静かな寝息。枕元に放置されている錠剤のシートは常人なら救急車を呼ぶくらいな量だけれど、吸血鬼はそれくらいじゃ痛くも痒くもないことを知っている。から、ほっぺたをつついてみる。起きない。穏やかな呼吸音。よく眉間に寄せられている皴が消えて、どことなくあどけない。
 酒の匂いがきつい。窓を開けてもいいだろうか。と考えて遮光カーテンのことを考える。不用意に光を当てると起きてしまうかもしれない。せっかくの機会に、それは随分もったいないことだ。つんつん、ふにふに。まだ起きる気配はない。
 一通り頬へのいたずらを終えてから、どうしようかと思う。今日は非番なのでちょっかいをかけにきたわけだが。彼の寝顔なんて滅多にないものを拝んで、それからのことを思いつかない。起こすのはもったいないし、さりとてマジックペンの類も持ち合わせていない。顔にいたずら書きした程度で彼も怒りはしないだろうが、ベタにベタが過ぎてつまらない。
「ん……」
 寝息が少しふわふわと浮いて、彼が身じろぎをする。やはり結構な酒の匂いがする。寝る前に随分と強めのものを呑んだらしい。
 たまにこういうことをしている、と聞いたが、証拠を見たのは初めてだ。私が訪れるときには、その痕跡はいつも隠されていたから。
 少しは、気を緩められているのだろうか。だとしたら良いのだが。
 身じろぎをしたせいでズレたタオルケットを直してやろうと身を乗り出した。髪が彼の鼻先を掠める。
 腕をつかまれた。と、思う間もなく腕の中に引き込まれる。胸元に捕まえられて、首筋に牙が、触れる。
 ぎゅ、と思わず目をつむった。しかし、いつまで経っても覚悟していた痛みは訪れない。
 恐る恐る瞼を開くと、呆然とした顔の彼が目を見開いていた。
「おはようございます……」
「お、は、よう」
 動揺して短くぶつ切りになった言葉。それでも律儀に挨拶を返してくれるのは性分なのだろうな、と思う。
「なにか美味しい夢でも見てました?」
 この固まった空気をなんとかしたくて、冗談を投げかけてみる。食べられる、と思ったのは事実だった。骨の髄まで貪られると、そう、心臓が跳ねた。
「ん、んん……」
 歯切れの悪い返事。とりあえずぺいっと剥がされてベッドの端に座らされる。いつまでも抱きしめてはくれないらしい。羽風さんも起き上がって、彼の方は床に座る。彼の部屋に来るときは大概この構図だが、正直どうかと思う。家主の尊厳とか、無いのか。無さそう。
 じっと見つめていると、気まずげに目を逸らされる。何か疚しいことでもあるんですか。と重ねて問えば、ついにがくりと項垂れてしまった。
「菫さんの夢を見てました。でも、詳細は勘弁してください」
 なぜか敬語になった羽風さんが白状してくる。私の夢、というのは、どういう種類の夢だというのか。詳細は勘弁しろと言われてできるようなものでも無い。
 身を乗り出したのに、押しとどめられてしまった。安酒の匂いが鼻に突き刺さる。
「ごめんね、シャワー浴びてくるし……着替えたらお出かけしよっか」
 匂いに顔をしかめたのがバレたらしい。宥めるついでに話を逸らされた。それでも、今日この場所を訪れた目的からすれば大正解であるのは間違いない。
 不用意に抱きしめられたせいで皴の寄った衣服を整えて頷く。
「はやめに戻ってきてくださいね」
 抱きしめて、食べられちゃうみたいな夢。その中身を知るのは、少し怖かったり。でも、いつか、夢よりもっと凄いことだって、してしまえるのだから。
 根拠のない自身を抱いて、水場に行く彼を見送る。
「いってらっしゃい」
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おやすみ
初公開日: 2021年06月29日
最終更新日: 2021年06月29日
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