12話 パドック
曇天の下、パドックではたくさんの観客に見守られて競走馬たちが周回していた。
レース前に馬の出来栄えや調子を確認する。
馬主や調教師、騎手、関係者が一同に会するのがこの場所だ。
一般庶民の観客も馬と関係者を間近で見れる。またとない機会だ。
関係者はみな正装で、社交の場を楽しむ。
この日は雨がぱらつき、優雅な傘が次々と花開いていた。
評判の皇女の姿を一目見ようとする人、噂の伊達男ウィリアムがどんな男か見定めてやるという輩もいる。
それは周りを取り囲む観客だけではなく、関係者たちも同じだった。
紳士淑女、ともにちらちらと皇女であるメリーに視線を投げかけてくる
もちろんメリーも華やかなドレスを身にまとっている。ティアラの代わりに花と羽を組み合わせたユニークな帽子にした。ぱっと見て、皇女とわかりにくくするためだが、逆にロイヤルブルーの青い髪はどこに行っても目立つので、変装的な衣装はそれほど意味をなさなかった。
「やりにくいわね」
メリーは華やかな帽子の下でつぶやいた。
紺色の大きな傘を持ち、隣に立つのは先日の落馬事故でケガをした右腕にギプスと包帯を巻き付けて袖が妙にふくれているソルティーだった。
三角巾で吊すわけにもいかず、かといって外すわけにもいかず、見た目は悪いが仕方ない。
落馬事故は新聞報道されてしまい、関係者は事情を知っているだけに、メリーへの挨拶の枕詞にされてしまう。
「私はちょっと恥ずかしいです」
話のきっかけに自分の失敗が使われることを照れ臭いと伝えるがメリーの耳には届いていなかった。
目の前に金獅子(きんじし)が現れたからだ。
堂々した周回に、文句の付け所もない。
馬を引いている厩務員が逆に金獅子に引っ張られているくらい迫力があった。
ちらっと横目で疾風(はやて)を見ると、あっちこっちとよそ見ばかりして落ち着きがなく、比べるまでもない。
「センセイ、わたしにもわかるわ」
金獅子の凄みが伝わってくる。
自然とこちらが笑顔になるような、力強さ。
フジー調教師も相槌をうってくれる。
「状態は非常にいいです。レースだとわかっているようで、おとなしいですが気合い充分です。逆に疾風は」
「あれはあれで……見ればわかる」
ジト目になって、疾風に目を向ける。
かの馬は謎の笑みを浮かべて、尻を振って馬糞を落とす。
メリーとソルティーは思わず顔を覆ってしまった。
「あれにお姉さまが乗るのよね」
本当に品がない、とぶつぶつつぶやいているうちに、騎手たちが控え室から出てきた。
これから馬の周回を止めて、実際にまたがって、馬場へ向かう。
いよいよレースが始まるのだ。
金獅子に割り当てられた番号は⑳。目印は桃色の帽子だ。
緊張した面もちのリュミエールの金髪の上に、桃色の帽子が乗っている。
手には王冠の刺繍の入った鞭をたずさえていた。
隣に照れ笑いを浮かべるミストの姿があった。こちらは白色の帽子だ。
メリーの姿を認めて、手を振ってくれる。
メリーは作り笑顔で、ささやかに手を振り返す。
その後、調教師と一言から二言だけ話をして、さっさと馬に乗ってしまった。
ミストがまたがると、疾風はしゃきっと背筋を伸ばすように真面目な姿勢をとる。
そして、また周回を始める。
すでに騎乗命令がかかっているので、騎手は素早く馬に乗らなければならない。
が、金獅子に目を移しても、リュミエールの姿はない。
「どこをほっつき歩いているのかしら」
メリーがこぼすと、ソルティーがそっと教えてくれた。
騎手同士で話している。
リュミエールと、相手は白い帽子の背の高い男性。
ウィリアムだ。
握手をして、別れていた。
「なにやってるのよ、もう」
時間がないのに、とつぶやく。
他の馬の周回が始まっていた。それこそ、銀狼と金獅子だけが騎乗していなかった。
小走りにリュミエールは金獅子に向かい、騎乗してしまう。
「殿下、失礼します……!」
ソルティーが意を決して、メリーの手をとる。
なにをしたいかはメリーにだってわかったから、抵抗もせずに引っ張られていく。
ソルティーがパドックの真ん中から、紳士淑女の人の波をかき分け、小さな体を最前列まで押し出した。
メリーが戸惑っている間にはもう、目の前を金獅子とリュミエールが周回してきた。
息が詰まった。
彼は澄んだ顔で「行って参ります」と馬上から頭を下げていた。
なにも言葉が返せなかった。
ただ、黙ってうなずいた。
返事がないことにリュミエールは不満に思ったかもしれない。
会話は出来なかった。
傘の下で、そのリュミエールの美しい横顔をじっとみつめていた。
目の前を通り過ぎてしまう瞬間、彼は微笑んでいたようにも見えた。
『ご期待に応えてみせます』
そう聞こえた気がした。
あの時の言葉をもう一度。
余韻に浸る間もなく、⑳番の次の馬が目の間を通る。
一番最初に戻って、①疾風が歩いてきた。
疾風は気持ち悪いほどの笑みで、早く走りたいとばかりに脚をちゃかちゃかと動かしていた。
鞍上も笑顔でメリーに手を振る。
「緊張感なくなりますね」
ソルティーのつっこみも、もっともだった。
そして、その次の馬は。
②銀狼。そして、鞍上はウィリアム=サドラー。
彼はメリーに気づいていないのか、まっすぐに前だけを向いていた。
その表情に緊張の色が見え隠れする。
憎らしいはずが、冷静に横顔を眺めることができた。
「不思議ね」
ソルティーに向かって、つぶやいた。
「今ならウィリアムにヤジとばせるわ。リュミエールにはなんて言葉をかけたらいいか、ぜんぜんわからなかったけど」
ソルティーはそれを聞いて吹き出しそうになっていた。
なんとかこらえて、リュミエールの口調を真似て、
「おやめください、皆が見ています」っと声色まで似せてみた。
二人でくすっと笑った。
そして、胸に手をおくと、心臓の鼓動が早鐘のように鳴っているのがわかる。
レースが始まったら、いったいどうなってしまうのだろう。
馬が次々、馬場へ向かっていく。
最後の一頭がパドックを出たとき、ソルティーが促した。
「殿下、そろそろ参りましょう。ヒートが最高の席をご用意しております」
ソルティーに背中を押されて促され、メリーはこくんと頷いた。
Next corner
ここまで。