「西瓜食いたいなぁ。オマエ用意しろや」
「はい?」
直哉様の唐突なオーダーにいかに従順な私と言えど疑問の返事をしてしまった。しかし直哉様はそんなことは気にも留めず続ける。
「せっかくやし弁当でも作れや。いつもの縁側で食べよ。台所貸せるようにしたるから」
貸せるようにする、というのは、私がこの家のほとんどの人間から疎まれているので人払いをしてくれる、という意味だ。
「かしこまりました。ありがとうございます」
ここまで言われて断れるわけがない。料理は得意というほどでもないが人並みにはできるつもりだ。しかし、直哉様が食べそうな弁当のおかずとはなんだろう。普段禪院家で作られる料理を食べている直哉様の舌を満足させられる自信はなかった。それでもピクニックみたいだな、なんて思うと少しわくわくした。
さっそくその次の日に私は調理場を借りて弁当を作った。庶民的な小さな弁当箱などはここにはなく、無駄に豪華な重箱の一つにおかずとおにぎりを詰めて、西瓜を冷やしておいた。お重は一段しか埋まらなかったが、二人分にはこれで充分だろう。それを持っていつだか花見をした──それ以外にも何かあった……?──中庭に面している縁側へ向かう。
直哉様は先にそこに居て、私が来るのを待っていた。
延長コードを使って扇風機をひっぱり出してきて風に当たっている。風鈴が時折風に煽られてチリンチリンと涼やかな音を響かせていた。
「お待たせいたしました、直哉様」
「おん、できたか」
私は縁側に風呂敷を広げ、どきどきしながら重箱の蓋を開けた。
「大したものはございませんが……」
「まぁせやろな」
直哉様は私がほぼ一般家庭の出だと知っているので、これは特に嫌味ではない。直哉様に割り箸を手渡し、彼がそれを割るとパキっと小気味の良い音を立てる。
「ただいまお茶をお持ちしますので、一度失礼しますね」
「おん」
私は一度ポットに用意しておいたお茶をとりに台所へ戻ることにした。重箱とポット両方を一度に持ってくることはできなかった。お茶は煎茶を昨晩水出しで用意して冷やしておいた。盆にポットとコップ二つを乗せてもう一度縁側へ向かう。
縁側へ戻ると直哉様はまだ弁当には手をつけずに私を待っていてくれたようで、弁当はそのままだった。
「お待たせいたしました。申し訳ありません」
私は慌てて盆と腰を縁側に降ろす。ポットからコップにお茶をそそいで、布製のコースターを敷いて直哉様の側に置く。そして自分の分も用意する。
「おおきに」
直哉様が穏やかに笑みながらコップに口をつけた。首を振る扇風機の風に当たりながらその額には汗が流れている。暑いのは嫌いだろうに、なぜ急に縁側で弁当を食べようなどと言い始めたのだろうか、私は少し不思議だった。
台所と縁側を行ったり来たりした私も汗をかいていて、ハンカチで軽く額を抑えるようにしながら自分もお茶を口に含む。
さて、というように直哉様が弁当に手をつけはじめた。まずは卵焼き。少し焦げ目がついたがそこそこ綺麗に巻けたと思う。
「なんやこれ、甘すぎるな。卵焼きは甘いほうが好きやけど、これは甘すぎ」
「申し訳ありません」
次はタコさんウインナー。私が高校生の時母がよく弁当に入れてくれていたものだ。
「なんやこれけったいなもん作るんやな」
「タコさんウインナーは初めてですか?こっちを下に向けて……そう、それがタコの足です」
私はタコさんウインナーを逆さに掴んだ直哉様に説明する。律儀に手首を回してその形を確認してくれたのが嬉しかった。
「ほーん。まあ味は普通のウインナーと同しやな」
「ふふ、そうですね」
次は鶏の唐揚げ。私は揚げ物が苦手なのでこれには苦労した。多分火は充分に通っているはずだが……代わりに少し焦げてしまったし、その分味も不安である。しかし作り直す時間はなかった。
「コレ唐揚げか? 随分色濃いな」
「揚げ物は苦手でして……申し訳ありません」
「唐揚げはもっとサクっとせんと。味も濃すぎ」
直哉様は私が作ったおかず一つ一つに文句をつけながら食べすすめていった。私は文句を言いながらも一つ一つきっちり食べてくれるのが嬉しくて、申し訳ありません、申し訳ありませんと謝りながら楽しくにこにこと笑顔になってしまった。
「ミニトマトは要らへん。俺嫌いや」
「そうだったのですね。申し訳ありません。残してください」
直哉様はミニトマトにだけは全く手をつけなかった。とは言え、トマトは洗って入れただけなので特段ショックでもない。
そしておかずを食べる合間合間に口をつけていたおにぎりについてはこう言ってくれた。
「オマエやっぱおにぎりだけはまあまあやな」
「ありがとうございます」
ここで以前花見をした時も、私は勝手におにぎりを作って持ってきたのだが、その時も直哉様は私のおにぎりをまあまあと評してくれた。私はそれが大層嬉しくて、今回もおにぎりは丁寧に作ってきた。おかずは全て貶されたがそれも本当においしくないと思っているわけではないことはわかるし──つまり直哉様なりの愛情表現だと思っている──直哉様がまあまあと言ってくれるのはかなり良いという意味だと私は勝手に思っていた。なので今回もまたまあまあと言ってもらえて私はにっこり微笑みながら汗のかいたグラスからお茶を飲んだ。からんと氷が音を立てる。
「やっぱ暑いな。もうちょい早うやればよかったやろか」
「西瓜は暑いほうが美味しいですよ」
「せやな」
直哉様は今日は甚平を着ていて、首にタオルをかけていた。そのタオルで度々汗を拭う。扇風機は直哉様側にあって、私に直接風が当たらないように気を遣ってくれていることも気付いていた。これは、私が以前冷房で体調を崩したことがあるからだ。
私は団扇でゆらゆらと自分の顔を扇ぐ。
「ではそろそろ西瓜をお持ちしましょうか」
「おん、頼む」
「よく冷えているはずです。切ってまいりますから、少々お待ちくださいね」
私はまた立ち上がって台所へ向かった。
私が来た気配を感じ取ると、逃げるように人が離れていくのがわかった。私は自嘲気味に笑いながら、それでもこれは直哉様が采配してくれたことだし、ありがたく調理場を借りた。
大きな西瓜一玉を一人で切るのはなかなか骨が折れたが直哉様をお待たせするまいとなんとかこなした。勿論全部を食べはしないだろうから、縦に切ったものを今度は横に切って細かくして食べたい部分を食べたいだけ食べられるようにした。直哉様は、おそらく大きな西瓜にそのまま齧り付くようなことはしないだろうとなんとなく思った。それはそれで好きだけども、と一人で勝手に想像してふふと笑いをこぼした。
私は西瓜をいくつか皿に乗せて縁側へ戻った。
「お待たせいたしました、西瓜をお持ちしました」
「おん。真ん中の甘いとこ、種取って」
「かしこまりました」
切った時も中心の甘い所を食べてもらえるようにしたつもりだったが、種までとるように言われるとは思っておらず私は甘えられているようで楽しくなりながら種をとった。一緒に持ってきていたスプーンで、さくさく、と見える限りの種を取り除いていく。
「どうぞ」
小さな皿に一切れの西瓜を乗せて直哉様に渡す。直哉様はしゃく、と一口囓って甘いな、とこぼした。
「禪院の方が直哉様のために用意してくださったのですから、高価な西瓜なのでしょうね」
「そうなんか。知らんけど。オマエも食べや」
「ありがとうございます。それでは頂戴します」
私は西瓜の端の方を取って食べた。それでも充分に甘くて驚いた。やはりかなり質の良いものなのだろう。
「美味しいですね」
「おい、種残っとるやん」
直哉様が顔を顰めながらぷ、と皿に種を吐き出した。
「それは、申し訳ありません」
私はその光景がおかしくて、また笑いをこらえきれずに言った。
「なにわろてんねん」
言いながら直哉様も笑っていた。
嗚呼、なんだか、陳腐ながらひと夏の良い思い出になりそうだと心があたたまった。
「ところでオマエ、その団扇なんなん」
「これですか? 好きなバンドの団扇ですが」
「なんやねんそれ。男写っとるやん。こっちにし」
直哉様はわざわざ立ち上がって近くの部屋に入ると、上等な和紙が張られた大きな団扇を持ってきて、私のプラスチックの団扇を取り上げた。全く以って、こんなところにまで嫉妬してしまうのは愛らしいと思ってしまう。
「ありがとうございます。お借りします」
あの団扇も気に入っていたのだが捨てられてしまうかもしれない。しかし、直哉様が気に入らないのであればしかたないか、と私は早々に諦めた。
好きなだけ西瓜も食べ終わって、風鈴の音を聞きながら二人まったりとした時間をすごした。私はそろそろ片付けをしようかと重箱の蓋を取ろうとして、ミニトマトだけが残されているのに気がついた。他は全部食べてくれた──勿論自分も食べたが──と思うと嬉しかった。
「こちらは私がいただいてしまいますね」
言いながらミニトマトに手を伸ばそうとすると、先に直哉様にその一つを奪われてしまった。
嫌いと言っていたのでは? と疑問に思っていると、直哉様はミニトマトのへたを取って、その唇に緩く咥えてから私の顎を掴んでぐっと引き寄せた。トマトが私の唇に触れて、私はそれを受け入れるため口を開く。
ころ、と口の中にミニトマトが入ってくる。ついでに直哉様が私の唇をちゅ、と吸って離れていく。いきなりのことに私は赤面してしまった。きっと暑さも手伝っている。
「チョロ。トマトみたいに真っ赤やで」
私はトマトを咀嚼してしっかりと飲み込んでから、言った。
「トマトみたいでは、お嫌いですか」
少し寂しくなって上目遣いになったのが効いたのかもしれない。直哉様は一瞬目を瞠って、ふいと中庭の方を向いてから
「……好きやけど」
と呟いた。その頬は僅かに赤く染まっている。
「直哉様も赤くなってらっしゃいますよ」
「やかましぃな。オマエは好きなんやろ」
「えぇ、勿論」
悠々と団扇で扇ぎくすくす笑いながら言うと、仕返しとでもいうように残りのトマトも全て口移しでキスされた。