見慣れぬ天井。ぱちりと目を瞬いて、覚醒。
 身にかけられたシーツからはタバコの匂いがする。少し視線を回せば睡眠薬のシートが無造作に放置されている。体を起こせば見慣れた顔。このベッドの持ち主が縁に頭をもたせかけていた。そんな姿勢で首を痛めやしないだろうか。と、思う間もなく彼が目を開く。
「おはよう」
 何がそんなに嬉しいのか、目じりを緩めて声をかけてくる。強面のわりに表情が甘いのはいけないところだと思う。いわゆるギャップというやつ。いくらだって優しい顔をして見せる。そんな、大事なものみたいに扱ってくるくせに、私のことは”特別じゃない”だなんて。
「よく眠れた?」
 思い出した。私の家のクーラーが壊れて、この熱帯夜には熱中症になりかねないと理由を付けて押し掛けたのだ。結局すったもんだの末、このひとは部屋を出て行ってしまったのだけれど。
 いつもより濃く感じるタバコの香りや自分のものでない男のひとの体臭に寝返りを打っていた記憶はあるけれど、いつの間にか寝入ってしまったらしい。恐るべき、健康な肉体。やっぱり日中しっかりばっちり訓練していると心地よく眠れる。
「羽風さんの匂いにドキドキしてよく眠れませんでした」
 言ってみる。おとめびーむ、きゅるるんっ。とはいえ表情筋に出てくれるほど乙女心回路は上手に発達しているわけではない。精一杯のかわい子ぶりっ子は、いつものように苦笑してかわされた。毎回毎回、悪さをするポメラニアンに向ける視線をこちらにくれるのはやめてほしい。
「そっか。シーツ新しく買い替えたほうがいいかなぁ」
 頓珍漢なことを言って立ち上がろうとする服のすそを思わずつかんで引き留める。このひとはこうやってすぐ散財しようとする。私が血盟を組むまで、どうやって暮らしてきていたのか、謎だ。そんなガバガバ金銭感覚で良くやってこられたものだと思う。
「冗談です。よく眠れました」
 にこり。口の端をあげてみせる。上手くできたかは分からないものの、意図は察せられたようだ。掴まれた服のすそはそのままに、羽風さんは動きを止める。
 ふと、強い酒の匂いが鼻をくすぐった。そういえばさっきから、結構しっかり香ってきている。出所は、私の指のその先。今まさに動きを止めた彼で間違いない。
「お酒、飲んでたんですか?」
 聞いてみる。このひとが結構な安酒のみだというのは知っていたけれど、どうもそれとは違う香りな気がしたので。私の知らないところでそういう機会があったことへの探りを入れる、といったらあまりに可愛げが無さ過ぎるだろうか。上等だ。
「んー、監督官のサコダさんって知ってる? あの人に誘われて」
 俺らのことは知ってたみたいだけど、こっちは知らないからびっくりしちゃったよねェ。なんて笑っている。どういう成り行きなのだろう。先輩だということは分かるけれど、羽風さんを誘う理由は分からない。
「どんな話したんですか?」
 見上げたままなのも首が痛い。ベッドの端に腰かけてすそを下に引けば、羽風さんはさっさと床に腰を下ろした。『おすわり』みたいだ。なんて思って少し可笑しくなる。
 佐古田さんのことは詳しく知らないけれど、見た目年齢は羽風さんと同じくらいの男性だった気がする。ふつう、の話をする羽風さんの姿が想像できなくて問うてみれば、羽風さんは首を傾げた。
「どんな、ってまぁ……あ、菫さんが可愛いって言ってたよ」
 なんですかそれ! どういう流れでそうなったんですか! そして羽風さんはなんて答えたんですか! 色んな問いが脳内でぐるぐる回って大変なことになった。なんとか喉元でせき止めて、一つ息をつく。
 どうせ、可愛い、というのは、可哀想で可愛いとかその辺だろう。実力不足をかわいいねと鼻で笑う仕草を、私はよく知っているはずじゃないか。そんな人たちのことなんて、今はもう知ったこっちゃないけど。
「でも、相方さんの方がよっぽど大事っぽかったけどね。ずっと惚気られてたよ。可愛くないのが可愛いー、みたいな」
 指を一つ立てて考えるように唇をなぞる。たぶん、私の前でなかったらタバコに火をつけていたのだろうな、と思う瞬間。
 むずがゆくなる。私の前ではタバコを吸わないこととか、そういう、大事にしようとしてそのくせボタンを掛け違えているひと。
 会話を続け損ねて、黙り込んでしまった。何の話をしたんですか、という問いに『佐古田さんが何を話したか』は出てきても『羽風さんが何を話したか』が出てこない。
 はぐらかされているような気がする。どちらの話題も、私に言及する余地は十分にあったはずだ。
 しかし、その話題に対する反応を、羽風さんは教えてくれない。
 知りたい、と思う。どう見られているんですか。私のことどう思っているんですか。可愛いですか、大事ですか、それとも、可愛くないですか。特別に思ってくれませんか。
 声に出せば、否定されると知っている。だけど、いつまでものらりくらりされているのは気に食わない。一万回問い続ければ、絆されるかもしれないと思う。それが思春期の無謀と一蹴されるものだとしても。
「羽風さんは、私のこと可愛いですか」
 目を合わせてみる。数拍。羽風さんの胸板がゆっくり上下して、呼吸しているのだと分かる。それ以外は微動だにしなかった。瞬きもせずにこちらを見つめ返して、それから。少し天を仰ぐような仕草。
「そうだねェ。菫さんは可愛い女の子だと思うよ」
 逃げを打たれた。そう思う。微妙にはぐらかされた。そう思うのに、じわじわと嬉しい。胸がぽっぽと温かくなって止まらない。だって、褒められたことに変わりはない。うっかり目線を外すことを許してしまったのだって、仕方ないと思う。
「今回はそれで許してあげます」
 いつか特別な意味で可愛いと、大事で仕方なくて自分だけのものにしてしまいたいと、触れたいと思っていると、そう言わせてみせる。そう決意を新たにして拳を握りしめた。
「そろそろ起きますね。ベッド、ありがとうございました」
 立ち上がる。今日は良い一日になりそうだ。
***
クーラーの修理業者が忙しくってこれから三日間菫さんは羽風さんの部屋に泊まることになりました。
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さよなら、またね、おはよう、おやすみ
初公開日: 2021年06月21日
最終更新日: 2021年06月21日
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羽風さんが菫さんにおはようとおやすみを言いたいだけの話