2-3
サブタイトル案「船上のプロポーズ」
話は青空賞の数ヶ月前にさかのぼる。
縁の無い相手から、不思議な招待状が届いた。
招待主はサドラー海運の御曹司ウィリアム。
最近のパーティに出没する羽振りのよい実業家だ。
なんでも爵位を受け継いだらしく、貴族の仲間入りをしたと噂がある。
真相はどうでもよく、皇室主催のパーティに参加となったら、とっくに身辺調査が入る。
カタチだけでも怪しい組織ではないはずだ。
また、それを調べるのはリュミエールの仕事ではなかった。
しかし、招待状となれば別だ。
こういった招待状はごまんと届く。
皇女本人がすべてに対応できないから、重要なもの、縁のある人、本人の気が向いたものだけに出席する。特に初めて手紙のやりとりする相手の場合、わざわざ受け取り主である皇女マリアヴェールにいちいち読んでいいかの確認をしない。
逆に、皇女殿下の目に入れても差し支えないかのフィルタの役割がロイヤルガードの業務だ。
無表情に封を切って、手紙に目を通す。
ぴたっとリュミエールの動きが止まった。
美しい金髪に端正な顔立ちの澄まし顔。
その表情を変えずに、不思議な招待状を金銀細工の施された盆に移す。
青空の色と評される青い髪、海を映したといわれる、鮮やかな青い瞳。
皇室の中でも皇位継承権を持つ青を受け継いだ、いわゆるロイヤルブルーのひとり。
その皇女が十三歳の時、見た目が麗しいからという理由で側仕えに指名したロイヤルガードがリュミエールであった。
姉をはじめ親しいものにメリーと呼ばせているのに対して、リュミエールは当初から殿下という呼称を変えない。
当の殿下からすると、その真面目さを気に入っているという。
この日は朝からやはり真面目に時間通りに事務作業をする|側仕えの騎士を脇目に、午前の予定はなにもないからと当の皇女は執務室の窓際の安楽椅子にて難しい顔をしながら読書をしていた。
爽やかな風が豊かな青い髪と戯れ、穏やかに揺らいでいる。
最近の流行は推理小説だ。
読んだ後、内容をかいつまんでリュミエールに話すのが楽しいらしい。
どんでんがえしもトリックも全部話してしまう。
彼は読書中の彼女に声をかけることはなく、サイドテーブルに積まれた本の横に何通かの手紙を乗せた盆を音もなく置いておく。
緊急性を要しないものだったので、声を掛ける理由がない。
だが、今日という日は読んでいた本が今一つだったのか、リュミエールの存在に気づいたようで、本を閉じた。
姫君は一通の招待状を読んで、一言。
「これ、行きましょう。すぐに返事を書くわ」
結果として、その一通の招待状が騒動の発端となった。
帝都から少し離れた港に、黒塗りの馬車がやってきた。
港には巨大な帆船が鎮座していた。
桟橋に近づくにつれて、馬車の窓からもカーテン越しに、その存在を感じられた。
後部座席にいるメリーに向かって、助手席のリュミエールが案内する。
「あれが、母君の名を冠したプリンセスサンフラワー号です」
亡き母の通称を冠された、帆船。
白い帆を張り、堂々と優雅な姿。
その船の前で若い男が出迎えた。
メリーが馬車から降りてきたタイミングを見計らって、出迎えの男が羽根付き帽子を脇に抱え、姿勢良く立ち上がる。
彼の緊張した眼差しをリュミールは冷静に観察した。
年頃はリュミエールより上。
リュミエールに負けず劣らず端正な顔立ち。
流行の刺繍を取り入れた装飾のあふれるシャツに紺色のマントを羽織って、腰にはサーベルを差している。
靴先が三日月型に反っていた。
彼以外はみな同じ地味な船員服のため、異常に目立っていた。
「ウィリアム=サドラーです。殿下のご足労に感謝いたします」
待っていられなかったのか、メリーがリュミエールに手を取られて馬車から降りている最中に名乗りをはじめる。
焦っている相手によくあることとメリーは表情を変えない。
「出迎えご苦労様。案内をお願い」
「はっ。本日はお日柄もよく、絶好の航海日和でございます」
メリーはつかつかとウィリアムの前を通り過ぎ、
「素敵な船ね」
プリンセスサンフラワー号を眼前に控え、率直な感想を述べる。
「この度、僭越ながら我が社において全面改装をおこないました。内装も大変美しく仕上がっております。ぜひご覧になっていただければと思います」
ここまで来る途中に、メリーはリュミエールにこの船の思い出を話した。
物心つくころに見た、大きな帆船。
でも、いたるところが傷んでおり、母の名が付くのにこれでは母が可哀想だ。
そんな感想を持ったことを懐かしげに話した。
そんな前提もあるものだから、想像するよりはるかに美しく、雄大な姿を目にして、メリーの言葉にも力が入った。
「老朽化していたのは知っている。お母様の名を冠した船を、よくここまで美しく仕上げたわね。感謝するわ!」
「もったいなきお言葉」
眩しい日差しを手のひらで覆い、船体の上部を見上げる。
「航海日和といったわね。帆を張っているけど、今日、出港の予定はあるのかしら」
「本日は殿下がいらっしゃるということで、船員一同、この船の一番美しい姿を見せたいと特別に帆を張っております。風もおだやかですから、危険もありません」
危険もありません。
メリーはその言葉を反芻し、
「そう……では、甲板にあがれるかしら?」
思いつきをいたずらっぽく笑いながら問いかける。
メリーの申し出に待ってましたとウィリアムの頬が緩む。
リュミエールは少し渋い顔をした。
「我が社は帝国郵船の業務を引き受けさせていただきまして、海上の運搬を一手に預かる身になりました。ここに皇太子殿下のご英断に大変感謝申し上げるとともに、海運に対する先見の明と言いますか……先日も商船団の……」
メリーの前を進むウィリアムは度々振り返り、一生懸命、自身の実業家としてのアピールに余念がない。
が、リュミエールから見て、メリーの耳に少しも入っていないのがよくわかる。
外を歩くという意識をもって、裾をひきずらないスカートにしたのはいいものの、狭い船内の階段をあがるという想定はしていない。ヒールの低い靴にしたのは幸いだ。
とはいえ、当の姫君は、
「私はなんで甲板まで行くなんて言ったのかしら」
と、ちいさな声で不満を漏らす。
狭い階段を登り終え、丸窓のついた木製の扉をがちゃりと開けると、風が強く吹きこんだ。
視界には透き通る青空に、真っ白い帆が交差した。
甲板はぴかぴかと太陽の光を反射し、踏むと板張りらしく元気な音が響く。
先ほどまで不貞腐れていたメリーの表情が風に流されたようだった。
空を見上げて、目をきらきらと輝かせた。
リュミエールは少し安堵した。
「いいものね」
自然に口から出た。
風に流される髪を押さえながら、メリーは二、三歩踏み出して、マストと帆を見上げて感嘆の声をあげる。
真っ白の帆と、青空の青に、大海原の青、そしてロイヤルブルーの蒼。
そこに日差しが差し込み、少女の姿がよく映えた。
「お気に召していただいて光栄です」
いつの間にかメリーの隣に立つウィリアムが声をかけてくる。
「我が社の総力をあげて改修をおこないました」
「本当に立派なものね」
「時代は蒸気船に移り変わろうとしていますが、私としては帆船の美しさに勝る者はありません。この船に、殿下の名をいただけないでしょうか」
「時代遅れなんでしょう? 最新鋭は蒸気船って聞いたわ」
「お言葉ですが、このように真っ白い帆を広げた優雅な姿は、蒸気船にないものであります。時代が変わろうとも美しいものとして、この度、殿下のお名前をいただければと思っています」
母の名がついていた船はぼろぼろになり、この男の手によって美しく生まれ変わった。
では数十年後はどうなっているのだろう。
いずれ子に受け継ぐものなのか。
「……スカイブルーの名を冠することを許可するわ」
「あ、ありがとうございますっ!」
「一つ条件がある」
「条件ですか?」
「蒸気船が主流とあっても日々のメンテナンスはおこたらないこと。すぐにボロボロにしたら許さないわよ」
「心しておきます」
さて、これでこの件は落着かと思ったとき、ウィリアムの表情が変わったように見えたのをリュミエールは見逃さなかった。
船の話を始めてから、和やかだったのが一転、緊張した面持ち。
「さて、殿下。少々お話よろしいでしょうか」
このような他に有力者が誰もいない場というの政治的な密約を交わされるにはうってつけだ。
メリーにだってそれくらいのことはわかっている。
もっとも、それが本題だということも。
母の名を冠した船を改修したから、船をその目で見て、スカイブルーの名で改めてほしい。
手紙に書いてあったのは、それだけだ。
メリーを船まで引っ張り出しておいて名を改めるだけでは、この若者は実業家としてはやっていけないだろう。
そういう意味で、優れた実業家の息子がどんな要求をしてくるか未知数だとリュミエールは読んだ。
母の名を冠した船が美しく生まれ変わる。
幼い頃生き別れた母の面影には多少の危険性では勝てなかった。
その分、リュミエールは、この若い船長の発言に細心の注意を払わねばならなかった。
メリーの側を離れないリュミエールを鬱陶しいと思っているのか、ちらちらと見ながらなかなか本題に切り込んでこなかった。
どこかにいけと言いたいのは、表情でよくわかる。
聞かれたくない話なのだろう。
しかし、リュミエールはその場を離れない。
譲らない男二人のチキンレースのため、場が静かになった。
徐々にその空気にいらつきはじめたのはメリーだった。
リュミエールに声をかけた。
「傘を貸して」
「は?」
日傘をメリーに手渡す。
メリーはおもむろに甲板の下の階の通路に投げ捨てた。
「……とってきてちょうだい」
乱暴とも言える人払いの方法。
だが、リュミエールとしては従うしかない。
当の本人はちょっとわざとらしい笑みを浮かべていた。
ごめんね、とばかりにウインクする。
「お側に誰もいなくなってしまいますが」
「大丈夫。なにかあればウィリアムを頼るわ」
リュミエールはウィリアムに一礼して、その場を去る。
去り際にウィリアムの声が聞こえた。
「ずいぶんとお親しいようで」
「わたしはあれがいないと生きていけないのよね」
傘は水夫が拾った。
何事かあったのかと、ちいさな変化でも見逃さない海の男らしく、リュミエールに事情の説明を求めた。
殿下のちょっとした戯れです、とため息と一緒に一言伝えると相手はそれ以上なにも言ってこなかった。
すぐに階段を上って、甲板に戻ろうとして、足を止めた。
ウィリアムがひざまずき、メリーを正面に見据えてなにかを訴えている。
ここで出ていくのは野暮と言うものだろう。
お役目としてはそれを無視してでも、側についていなければならないというのはある。
が、しばしの間、二人のやりとりを見守っていた。
なにを話しているのかはわからない。
とはいえ、あとになって、姫様がぺらぺらと陰口ついでに話すのは目に見えている。
どうせ知ることになるのだから、直接聞いていて空気を悪くするのだったら、少しぐらいそっとしておこう。
傘を探すのに手間取ったと言えばよい。
ふう、と陰から見守るかと落ち着こうとして、ふとリュミエールが異変に気づいた。
メリーの流麗な立ち姿に変わりはないが、後ろに手をまわして手招きとも言えない程度に指を繰り返し折り畳む。
ウィリアムからは見えないように、かつ顔も体も向きすら変えず。
表立ってリュミエールを呼ぶと相手の角に触るとき、メリーは手振りでなにかしら合図をする。
これもそのひとつだと気づいて、リュミエールはわざとらしく甲板につながる扉を音を立てて、甲板に強く踏み込み、足音を響かせた。
先に気づいたのは、ウィリアムだった。
ウィリアムがリュミエールの方に顔を向けたのを確認して、メリーが振り向いた。
少しほっとした表情が見て取れる。
あまり良くない話があったのだろう、リュミエールはそういう時の決まり文句を用意している。
「お話の腰を折るようですが、殿下、そろそろお時間かと」
実際は時間などどうでもいいのだが、建前を述べて、打ち切りの提案をする。
よくやった、とでも言うのか、メリーの口元が少し緩む。
だが、リュミエールの言葉にむっとしたのはウィリアムだ。
「君は私と殿下の今の話を聞いていたのか?」
「は……? いえ、失礼しました。お静かなようだったので、お声をかけさせていただきました」
「今、とても重要な話をしていた。水をかけるつもりでないのなら、しばらく向こうで待っていたまえ」
気が立っている言い分に助け船を出したのは姫君の方だった。
「ウィリアム。彼は職務に忠実なだけよ。私にも予定があるから、ここであなたと時間をとっても、次の相手先に迷惑がかかることを心配してくれているの。あなたが時間を守る紳士とその相手先にも伝えてあげたいしね」
話を打ち切りたい時の決まり文句ではあるが、効き目はあった。
「……殿下、これは失礼しました。よき護衛をお持ちのようで。君は名をなんというか」
「リュミエールと申します。ロイヤルガードを任されております」
「そうか、ウィリアムだ。よろしく頼む」
握手をする。
「ちょっと、なにふたりでコソコソ話してるのよ、いくわよ、リュミエール」
言って少し口元を抑えた。少々言葉が雑かもしれない。
「素の殿下もまた魅力的でございます」
「はいはい、からかわないでよね。見送りはいいわ。少し考え事をしたいの」
ペースが乱れて、すこししんどいようだ。
「すぐに叔父様のところへ行くわよ」
こっそりと、強い意志のある声音で耳打ちしてきた。
だが、それ以上はうつむいて、しばらく口を利くことはなかった。