「スマンのー、遅れてしもうた」
 6月3日、午後6時35分。待ち合わせの時間より5分遅れて駅前に現れた今吉は、そう言って飄々と肩をすくめて見せた。
「ま、急な約束だったしな。むしろ今日まともに捕まったことを驚いてるよ」
 諏佐は嘆息して答える。
 事実、思い出したのは2日前の……6月のカレンダーを捲った瞬間だったのだ。先約があってもおかしくない。幸いなことに、今吉は二つ返事をくれたわけだが。
「わはは、ワシ、そんな人気者ちゃうで」
 久々に会ってどんな顔を作ればよいのか分からない諏佐と対比して、今吉はまるで5秒前に分かれたばかりのようないつもの表情だった。
 受験が終わり、退寮してから一度も顔を合わせなかったとはにわかに信じがたい。進路も一応聞いてはいたし、それが同じ東京都内だったとしても、大学一年生は程々忙しい。会うようなイベントもなかった。Strkyがストバスの大会に出たことも、そこでのイザコザもテレビ越しに知ってはいたが、それは目の前の本人と素直に接続するかと言えばそうでない。
 テレビで見た時より髪の毛も伸びて、見知っている風貌に近い。
「分かんねぇだろ。モテないってこともないだろうし」
 桐皇時代でも、まぁ、バスケ部の主将で180センチのほどほど見られる顔とくれば、それこそ喋り方のうさん臭さを抜きにしても人気は高かった。成績が良かったことも一因だろう。正体を知らない下級生を中心に、声をかけられている姿を目にしたことがある。
 そうでなくても、サークル活動などに精を出してもおかしくない。知らんけど。今吉が時折使っていた言い回しを真似てみる。どうにもしっくりこなくて脳内で苦笑した。
「言うて大学生の六月やろ。んな親しいニンゲンカンケイなんてできひんわ。Strkyのメンツでちょっとな」
 今吉が脳内の俺をなぞったように苦笑する。といって今肩に担いでいるスポーツバッグは、ただ講義を受けるにしては大仰だ。それだけで、何か受講する以外のことをしていたと分かる。それに保釈を入れてくるのは、律儀なのかほかの意図があるのか。
「バスケ三昧ってわけだ。うらやましいこった」
 責め立てるつもりはなく、軽口に聞こえる温度で声を出す。そろそろ立ち止まっているのも何だ。さほど混むような店ではないと知っているが、とはいえいつまでも腹を空かせて突っ立っているのもおかしな話だ。顎をしゃくって歩き出す。
「わはは、スマンって言うたやろ」
 それが分かってか、今吉も軽い言葉遣いで返してきた。こんなやり取りも久々だ。卒業して進路が分かたれたのだと、今更ながらに思い知った。こんな些細なやり取りが日常から失われる。そういうことだった。
 もちろん、会えば普通に会話はできる。ただ、部活の終わり、昼休み、朝練の前、移動教室、そういったすべてがもう戻らない過去だったのだと、つかの間取り返したこの瞬間、理解させられた。
「チェーンのファミレスで悪いけどな」
「エエやん。ほら、言うやろ『諏佐くんと一緒に過ごせることがプレゼントなの』って」
「言わねえよ。誰だそいつ」
「知らん」
 くだらないやり取りをしつつ、店まではあっというまに着いた。オレンジ色の明かりが漏れ出している。学校帰りにたむろしたファミレスと同じ系列の店。いつの間にか前後を交代して「2名で」と言った今吉に、そういうところは変わらない、と思う。
 いつも人数を告げるのは今吉の役だった。部活で行くこともあったから、そういった役割を決めてあることが俺たちの自然だった。他愛ない会話も然り、いつのまにか分化した役割も然り、すべてが懐かしく、そして懐かしく思うことこそが遠いことの証明のように感じる。
「改めて、誕生日おめでとさん」
 席に着いて、ドリンクバーと適当な肉と飯を頼んで。今日の本題を持ち出す。
 細い目をさらに細めて、今吉は笑った。クック、とわざとらしい笑声を漏らす。
「なんやくすぐったいこと言うやんけ。諏佐もな。十日後くらいにもっかい集まったろか」
 重ねる。長広舌をぶつのはこいつの得意分野だが、少し照れ隠しが入っているように思うのは気のせいだろうか。
「気のせいや気のせい。ほら、飯来たで」
「心読むなよ……」
 今吉の指した方を見れば、確かに注文の品を持ったウェイトレスがこちらへやってくるところだった。
「ほんで、今日はオゴリなん?」
「なわけあるか。カテキョのバイトだってそんな潤沢じゃねぇんだぞ。ワリカンだワリカン」
「今日初めての諏佐の近況報告や」
 ええもん聞いた。そう言ってまた笑う。そういえば、今吉は聞かれもしないのに色々(はぐらかしつつ)喋ってくれたわけだが、俺は思いつきもしなかった。
「色々聞かせてや。ワシも色々おもろいことあったしな」
 様々な風の噂を聞いたつもりだった。それが一つも結びつかないことに胸がざわついていた。けれど、次から次にこいつの言葉で語られるこの数か月の話は、自分の記憶の今吉翔一と地続きでつながっていた。
 俺のほうも訥々と話した。特段面白いような話題でもなかったが、今吉は良く笑った。それが本音のものなのか、あまりにもいつもの知った笑顔すぎて分からない。けれど、それでいいと思った。
 それが嬉しいと思った。
 なんだかんだ、こいつがうさん臭い笑みを浮かべている様子に慣れきっている。
 断絶したものと思っていた。事実、いくつかの隔てがある。俺の知らない今吉翔一がある。ただ、それは今までだって当然そうだった。
 今更寂しがることではないと、そう。
 遠くなったけれど、失くしてしまった日常があるけれど、それ以上に、それはまた「なんでもないこと」で取り戻すことができるのだと。
 そう、思ってもいいのかもしれない。
 
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