「“スタンリー、プロムは誰と行くか決めた?”」
「結論から言いな」
「おお、先ほどの彼女にはそんな物言いはしなかっただろうに」
「おんなじようにして欲しいんならもっとクオリティあげてくんねえとな」
ゼノ先生。
スタンリーはむっとした表情を隠さずに、対照的ににやにやと笑う幼なじみの丸く小さな鼻を軽く突いた。
学校が終わればゼノのラボに集合するというのがスタンリーの日々のルーチンとなって久しい。一度燃えたゼノのラボも、彼が保護観察を終える頃には元どおりか、あるいはそれ以上の設備で再稼働を始めていた。去年まではバイトや車の教習なんかを優先していた時期もあったスタンリーだったが、しかしその甲斐もあってハイスクール最終学年の今、彼を縛るものは何もなくなった。あとはのんびりとゼノのラボに入り浸ってモラトリアムを満喫するだけだと、そう思っていた。
しかしスタンリーの唯一の誤算──というよりも見ないようにしていたことに近いが──、それは学校全体のプロムに掛ける熱意だった。
ハイスクール最終学年のこの時期の話題など進路とプロムの二択しかない。進路については決定済みでなんら気負うところのないスタンリーだったが、後者の話題の煩わしさからは逃れる術を知らなかった。
プロムといえば、確かに学生生活最大のイベントだと言っても過言ではない。女子は目一杯着飾って、男子はそれをエスコートする。どんなパートナーを連れているかが最終的なステータスとして換算される風潮があるからか、男子も女子も目の色を変えて、是が非でも自分に見合った──自分の価値を釣り上げてくれるような相手を探そうと必死になる。
その滑稽さに巻き込まれる自身も、スタンリーにとっては馬鹿馬鹿しかった。
ゼノが今日、ラボを訪れた自分開口一番告げてきた悪趣味な言葉も、その一環だった。スタンリーをぜひパートナーにと熱を込めて見つめてくる女子の数は、今セメスターが始まってからすでに両手の指の数を超えている。
「君がそこまで露骨な表情をするのは珍しいな、スタンリー」
「白々しいじゃん、犯人さんがさ」
「おおスタン、それは誤解というものさ。君が不快になったのは女性からの申し出の為だろう。それを想起させる振る舞いをした僕にも非はあるかもしれないが、そもそも彼女が君に申し出をしなければ僕もこんなことは言わなかったからね。恨むというのなら、君はその対象を彼女にすべきだね。……しかしそれはそれで、彼女たちにとっては誉れになるのかな」
「よくそんなご都合理論組み立てられんね、」
「アナポリス行きの決まっている美貌の騎士にお褒めいただけるなんて光栄だね」
「やっぱ喧嘩売ってんだろ」
ゼノはにっこりと笑って答えない。
その表情に、スタンリーは髪の毛をかき上げて、ソファに深く背を預け天井を仰いだ。
「……ま、どーでもいいけどね」
しかし、プロムか。スタンリーは心の中でその単語を転がす。
この幼なじみの口から学生生活に伴う行事について言及されるこの状況はひどく珍しかった。自分の5W1Hはゼノにとっては些事であるし──ゼノ以外に優先するような用事が多くはないスタンリーへの安心、あるいは慢心でもあるのだろうが──、それはプロムであっても同じだろうとそう思っていた。いや、過去形でなく、今もそうだ。
つまりゼノがこうして自分に問いかけてきたのは、彼自身がプロム自体に何か思うところがあるからだろう。
スタンリーはそう結論づけて、ソファに腰掛けたまま、机に並ぶ拳銃の一つを手に取った。X印の最新型。テイザー銃の原理を使いながらリボルバーの射出力と連射性能を備えたそれは、スタンリーからしても十分に実用に足る出来だった。その実用性がどこを目指しているのかは差し置いても。
マットな銃身に刻印されたXの文字をそっと指先で辿りながら、スタンリーは口を開く。
「お誘い、ゼノもあったんじゃねえの」
だからこそ、自分にプロムの話を持ちかけたのではないかと。
そんな意味を込みで問いかける。
校内どころか地域をきっての変人だというゼノへの誹りは幼馴染みとしても否定はできないとはいえ、国内きっての名門大学への進学をすでに決めている上に、黙っていれば端正な顔立ち。彼の地雷に触れさえしなければ人当たりも悪くはない。将来はNASAの研究員になることが現時点で有望視されていることを思えば、なかなか良物件じゃないか。
手に持っていた拳銃で軽くゼノに照準を合わせれば、こちらを振り向いたゼノは目を丸くした後、呆れたように肩を竦めた。
「おお、スタン。前科者に差し伸べる手があるとでも?」
何を馬鹿なことを、と言い放つゼノは、自身に向けられた銃口に手を伸ばした。そうしてその照準を胸元に誘導する。銃口と自身の胸との距離をゼロにする。
片眉を吊り上げてスタンリーの反応を伺うゼノに、スタンリーは楽しげに小さく笑った。
前科者、確かにそうだ。確かに好き好んでこんな物騒なものを作り上げる男のことなど選ぶ女がいるだろうか。いないのだろうな、確かに。スタンリーは心の中で反芻する。
この物騒な物体を実際に使う自分には、こんなにも好意の兆しをむけて見せるくせに。
ゼノの胸元から銃を離したスタンリーは、両手を挙げてからりとわらう。
「ま、少なくとも一本はあっからね」
「ならば僕はその一本で十分だね」
ゼノのその言葉に、一瞬スタンリーは目を丸くした。
スタンリーの表情に不思議そうな顔をしたのはゼノの方だったが、そのまま彼は続けた。
「差し伸べてくれるんだろう? スタンリー・スナイダー」
僕の見込み違いかな、と全くそんなことは思っていないような表情で続けるゼノに、スタンリーは降参したように苦笑して身をおこした。
「……仰せのままに、プリンセス」
気取って膝を折って手を差し出してみる。
そこはキングが良かったのだけれどと眉を寄せながらも軽く屈んで手を取るゼノに、スタンリーは笑って手の甲に口付けてやるのだった。
「で、プロムの日になんかしようと思ってるっつーことであってる?」
ままごとのようなそれに一頻り笑い合った後、スタンリーがそう切り出せば、ゼノは感心したような顔をした。
「スタン、君はやはり最高だよ。なぜ分かったんだい?」
「勘。これまでどんだけゼノに付き合ってきたと思ってんの」
「ふむ、それもそうか」
首を軽く傾げた後、ゼノは端正な顔立ちをにっこりと、つまり凶悪に歪めた。
「爆弾を仕掛けようと思うんだ」
爆弾。完全にテロリズムの領域だった。
前科二犯は流石にやべぇっつったの、ゼノの方じゃなかったか。
反射的にそう口にしようとした。しかしすんでのところで口からこぼす音を変えた。
「へえ、いいんじゃねえの」
そう言ったのは、彼の顔があまりに楽しげで、且つそこにいたずらっぽさが滲んでいたからだった。
ゼノのいたずらが可愛い範疇に収まらないのはこれまでに散々思い知らされてきた。とはいえ、これが高校最後の──子供として共に行う最後のお遊びになるのなら、それに付き合わないと言う選択肢はスタンリーの中に存在し得ないのだ。
「君ならそう言ってくれると思っていたよ」
「ずいぶん高値で買ってくれてんじゃん」
スタンリーの返答に満足げなゼノは、指を一つ立てる。
「まあ、安心したまえ。流石に僕もまだテロリストとして追われるつもりはないからね」
「なあ、まだっつった?」
「おお、将来の海軍将校さまの前でうかつなことを言ってはいけなかったか」
「将来のNASAの科学者さまが言うとシャレになんねーな」
「ああもちろん、やるなら徹底的にがモットーなのでね」
「気が合うね」
「そうでなければプロムには誘わないさ、スタンリー」
ゼノは肩を竦める。そうして
「さて、僕らが仕掛ける爆弾だがね。その別名を」
すっと細められた目に、息を詰める。
ゼノが口を開いた。
「“花火”と言うんだが」
「一気にパーティータイムじゃん」
「プロムはパーティーだからね、君も知っての通り」
軽やかにわらったゼノはしてやったとでも言うように満足そうに椅子の背に体を深く預けた。
「火薬に火をつけてという意味では爆弾も花火も変わらないだろう? その威力と咲く場所と目的の違いだけだ」
それはだいぶ違うんじゃねえのというのはさて置いて。
スタンリーは体から力を抜いた。もとより本当のテロに走るつもりではないだろうことは理解していたが、それでも想定していたいくつかのパターンよりもよっぽど平和な単語がゼノの口から出たことに、安堵のため息を漏らす。
「爆竹とかそーいうんかと思ってたけど、思ったよかかなり平和だったな」
「まあこれも法律違反ではあるんだがね」
「あー、時期とかあんだっけ?」
「時期もそうだが、打ち上げる花火の大きさにも制限があるね。本来ならば許可を取らなければいけないんだが、」
「花火にも種類がある。基本的な原理としては全て炎色反応であることに変わりはないんだが、打ち上げる前と打ち上がった後の色味並びに形状に大きな違いがある」
ゼノはキーボードを軽く叩くと、画面上にシミュレーション映像を呼び出した。
濃紺をバックにした画面が二つ並んで表示されているのを、ゼノの背後から覗き込む。打ちあがる華やかな色味はデジタルであってもその鮮やかさはよくわかる。
「……右のがよく見るやつ?」
「そうだね。ニューイヤーに打ち上げられるのはこちらの右のタイプだ。円筒状の型に単色の割薬をプレスして打ち上げるタイプ」
「左のは見慣れねえけど、ゼノの新作?」
「これは東洋の技術と研鑽の集合体だね。日本で打ち上げられる花火はこういったものが主流なんだ」
「へー」
「スタン、スタンリー・スナイダーともあろう男が、プロムの夜の服装がそれでいいと本気で思っているのかい?」
「は?」
「全くエレガントではないな。来たまえ」
「……」
「うん、やはり君には黒よりもグレーの方が似合うね。ああ、もちろん黒とのコントラストも素敵だが、ストライプでも模様に着られる形にならないのは君の容姿の華やかさあってのことだね。僕では貧相な印象になりがちだが、君のしなやかさにはよく映える」
「……ゼノ」
「シャツもぴったりだ。僕の見立てに狂いがあるとは思わないが、何しろ君はすぐに成長してしまうからね。士官学校に行くまでのトレーニングで体がいつ厚くなるともしれなかったから、オーダーするタイミングには悩んだよ」
「ゼノ先生」
「うん?」
「いや、なんでゼノが俺のタキシード用意してんの」
「今夜は記念すべき夜だからね」
「いや、そりゃそうかもしれねーけど」
「それに君は着飾ることに無頓着だから。事実僕が用意していなければ僕ばかり着飾って馬鹿を見るところだったわけだ、スタンリー」
「……花火打ち上げに行くんだろ?」
「それは最後のお楽しみだろう。何しろ今日はプロムの夜なんだ。唯一無二の夜にプログラムがたった一つなんて、それはエレガントではないだろう」
「プリンセスにエスコートされる気分はいかがかな、僕の騎士?」
「あー、サイコーだね」
苦い顔をしながらスタンリーはグラスを口元に運んだ。
*
「実にいい景色だ」
「吹き飛ばすつもりなんだろ、んなこと言ってていいのかよ」
「心外だね。雄大な自然とその脅威への敬意があるからこそ、ダイナマイトは我々人類の手中にあるというのに」
「敵を知らなきゃ撃てねえってことか」
「おおスタン、君を得たアナポリスの連中が妬ましいね」
「そりゃどーも」
「……嫌に様になっているものだね」
「うっせ。手をとってくんねーの」
「プロムといえばダンスか。興味はないんだが」
「君のようなエレガントな男にリードされるのは悪くはないね」
「……“ような”、ね。んじゃ、俺以上に“エレガント”なやつ見つけたら教えてくんない?」
「おや、君が張り合うなんて珍しいが、無意味だね。君以上にエレガントな存在はこの世にいないさ」
「らしくねーの。白いカラスがいるかも知んねーのに」
「僕にとっての白いカラスが君だったと言うだけの話だよ」
「ああ、さすがだスタン。確かにこの拍子とテンポならばスローフォックストロットのフィガーが適切だね。フェザーステップ……そう、バックフェザー、からのリバースウェーブ……そうオープンインピタスで方向を変えて、ふふ、壁にぶつかってしまうからね」
「うるせーな、黙ってらんねえの、ゼノ先生」
「おお怖い。実にエレガントじゃない」
そう言いながら楽しげな声は弾んでいる。
「君がダンスを得手としているなんて知らなかったな」
「や、初めて踊ったんだけど」
「ステップとか知んねーけど。勘だろ、こんなん」
「流石。僕の幼なじみは実にエレガントだ」
「爆発音が聞こえた時に、僕らは現場にはいないからね」
「時限発火装置が残ってたらバレんじゃねえの」
「残らないようにしているからね」
「は?」
「こんなこと出来んのと動機があんのはゼノ先生くらいじゃん?」
「さあ。それでも疑わしきは罰せずが司法の大原則だからね。前科があって能力があって同期があって、状況証拠があったところで決定的な何かがなければ、いくつダブルチェック、トリプルチェックを掛けたところでチェックメイトには至らないさ」
「嫌なこと思い出させんなよ」
「おや、どうかしたかな、スタンリー・スナイダー」
「とぼけんな。あんたにぼろ負けしたゲームを思い出してんの」
「あれは実に愉快だったね」
「それに、プロムの夜だからね」
瞬間轟いた音に、スタンリーは目を見開いた。遠くの空で鮮やかに開くそれに目を細めながら、繋いだままだったゼノの手をもう一度強く握った。
「Cu、Ni、Ca。うん、なかなか悪くない配合だ。音も華やか。実にエレガントだ」
たった1発だけ。華やかに打ち上がった後に、その余韻を夜空の遠くに残して消えていく光が、網膜に焼きついたまま、まだちかちかと明滅している。プロムの夜、そのほかにも花火は打ち上がっているのに、その花火だけがひどく鮮やかに見えたのは、構造の違いだとかそういうものばかりのせいではないのだ。
「……ああ、最高にエレガントだね、ゼノ」
そう噛み締めるように言えば、ゼノは当然だとでもいうように口の端を吊り上げて笑った。
そんな表情を見ながら、ゼノの掌の温度の低さに、自分の体温が汗とともに馴染んでいくのを感じて、なんだかひどく泣きたい気持ちになった。いや、泣きたい、というのは違うのかもしれない。ただ、息苦しくて叫び出したいような、嬉しくて飛び跳ねたいような、そんな衝動が胸に痞えていた。
さながら、自分たちは爆弾なのだとスタンリーは思う。何かの間違いでいつ爆発するとも知れない危険物。精密な動作性を持つというのに、そのいずれくる爆破の時がいつなのかはようとしてしれない。そのタイムリミットは確実に存在しているのに、俺たちはずっと、その日を先延ばしにしているのだ。早く起きすぎた朝に、目覚まし時計の設定時間を先延ばしにしてしまうように。隣で眠る幼なじみの夢が、目覚まし時計なんかの無粋な音で破られやしないように。
ゼノは火薬を扱うし、自分だって銃を使いこなして見せる。あの日、初めてゼノに出会った日、彼の作った銃で的を撃ち抜いた瞬間、ゼノのラボが燃えて逮捕された時、それから、自分の銃の腕で賭けに勝った日。
ずっと分岐点は目の前にあった。ただそれをスタンリーもゼノも選ばなかった。選ばないことが自分たちにとっての正義だったのだ。
書を焼く人間はいつか人をも焼くらしい。ならば、花火に託して想像上の爆破を楽しんだ自分たちは、いつか全世界を巻き込むテロリストになるのだろうか。
量子力学の世界では、箱の中に毒ガスを入れたところで、その中の猫が生きているか死んでいるかは蓋を開けるまでは確定していないという考え方をするらしい。初めてその話を聞いた時、ロマンチストの考え方だとスタンは思った。戦場で建物に手榴弾を投げ込んだところで、中の人々の死体を一つ一つ確認しなければフィフティ・フィフティの確率で自分に罪はないことに果たしてなるのか。そんなことはないはずなのに。
そんなことはないはずだ、そうだけれども。
けれど、花火の下で黒曜の瞳を煌めかせるゼノの横顔を眺めている今だけは、そのシュレディンガーとやらの提唱する概念にも縋ってやりたくなった。
「科学の世界に神はいないが」
ゼノの軽やかな声が、爆破音の残響の残る耳に嫌に心地よく響いた。まるで子供の頃から声変わりを経て低くなりはすれども、秘める温度は変わらない声。
ついと彼の方に視線を向けると、彼の丸い鼻と広い額がいやにきれいに象られて見える。
「君と出会えたことに関しては、感謝と祈りを伝えてもいいのかもしれない」
そんな幼なじみの呟くような言葉が、スタンリーにとっての全てでよかった。
神の存在しない世界で自分たちを断罪するのは社会だ。昨日には正義だったものが今日には反転して悪になるのが社会だということを、歴史の授業で嫌と言うほど教わってきた。軍人の存在がその証明の最たるものだ。勝てば正義、負ければ人殺し。だから勝ち続けて証明するのだ。自分たちは純白ではないけれど、かと言って完全な黒でもない。いつか黒になるのだとしても、白である世界が存在することを信じている。いや、知っている。
いつか爆発する自分たちだけれど、その破滅が美しく色鮮やかなものであることを、まだ祈っていたいのだ。
国のために尽くす覚悟があるのかどうかと、士官学校入学のための面接で問われたのを思い出す。別に国がどうだとかはどうでもよかった。ただ、この国にはゼノがいる。ゼノが見る世界を守るために自分の腕を振るう。それがきっと一番エレガントだと、そう思ったから、俺は銃を手に取るのだ。科学の力で、武力で、何者にも脅かされないように。
だから。スタンリーはゼノの肩に頭を預けて笑った。
「今更じゃん?」
今更だ。自分の人生はゼノに出会った時点で全部決まっていたのだ、パズルのピースのように、欠けていた半身を得てしまった。
「次にでかいもんをぶち上げんときも、ここは俺の指定席だかんね」
「勿論」
ヘンペルの白いカラス
ゼノにとっての白のスタン グレーになる 黒