「君はいつもこのタイミングで目を覚ますね、スタン」
 目を覚ました時には既に隣にゼノの姿はなく、その体温の名残りを残すのみとなっていたベッドから起き抜けてダイニングに向かったスタンリーだったが、そんな彼に向かってゼノは開口一番にこりとそう言い放った。
 小綺麗にまとまったシステムキッチンを照らすのはカーテンの開いた窓から差し込む自然光のみで、そのライティングが清潔な印象をより際立たせている。
 数時間前までは、清潔とはいえないことに興じていたわけだけれど。
 内心で小さく笑いつつ、キッチンカウンターに立つゼノの肩に顎を乗せる。ふわりと香るシャンプーの匂いと、それからもうひとつ。
 ゼノの手元で彼の注意を一心に受け止めているのはドリップ中のコーヒーだ。香ばしい苦味とおくゆかしい甘みの入り混じったふくよかな香りが鼻腔を擽る。逆円錐型のドリッパーと、そこから滴り落ちる黒い芳しい液体を受け止めるサーバーと。
 もうドリップはほとんど終わったところらしく、そこから十数秒じっとサーバーを見つめていたゼノは、そのまま最後の一滴が落ちるのを見届けると、やっとスタンリーに顔を向ける。
「調子は?」
「サイコーだね、腹は減ったけど」
「おお、我らが栄えある米国軍人の肉体をもってしても、昨夜はハードワークだったということかな」
「あんたの運動不足解消に付き合ってやってんだろ」
「おかげさまで僕のメンテナンスは完璧と言えるよ。流石、スタンリー・スナイダーだ」
 満足げな声に満足して、一旦身を離すと手近なマグカップを2つ用意する。真っ白いシンプルなそれは厚手の陶器で保温性が高いのだと、なぜかゼノが自慢げに言っていたのをふと思い出した。猫舌のくせになとわらったのも、随分前の話になるだろうか。ゼノに聞けば詳しい日時まで教えてもらえるのだろうが。
 無言で手渡したマグカップに、ゼノは均等にコーヒーを注ぐ。
 彼が珈琲に注ぐ眼差しの静かな穏やかさを眺める、このたった数秒に満たない時間がスタンリーは好きだった。
「ところで、君は珈琲が好きなのか嫌いなのか、いまだに僕は計りかねているんだが」
 マグカップを手渡したゼノが不意にそんなことを言い出すから首を傾げた。彼はそんなこちらの様子に肩を竦めて続ける。
「君が僕の家に泊まった翌朝、君が起きてくるのは常に僕がコーヒー豆を挽き終わりフィルターをセットして、ドリップを始めて2分32秒のタイミングなのでね」
「細えな」
 わかっていたとはいえ、ついそう溢してしまう。2分32秒。そんな細かい秒数を基準時間まで含めて検証するのにどれだけの試行回数を必要としたのだろうか。
「睡眠時間でもなく、起床時間でもなく、僕が起きてからの時間でもない。アトランダムかとも思ったが、よくよく考えれば再現性はここにあったわけだ」
 ゼノはスタンリーの反応に目を細めながら、珈琲に口をつけた。
 言われてみれば、確かになとスタンリーは思う。自分が目を覚ますのは決まってゼノの後だったし、それにこの家で起きてから最初に口にするのは珈琲と相場が決まっている。
 光の加減で茶色く縁取っているようにも見えるなみなみとした液体の底を覗き込む。底の知れない黒は、ゼノのお手製でお気に入りだ。
 マグカップに口をつけて、その香りの強さに脳を揺さぶられる心地になる。一口飲み込んで、一つ息を吐く。
「匂いで起きてんのかもね、言われてみりゃ」
 意識をしているわけではないことが、スタンリーには昔から多くある。例えばそれは風の向きであったり、湿度であったり、人の気配を示唆する何かであったり。言語化するわけではないけれど、五感は確かに捉えている。そういう感性が、あるいはそれを総合した直感の鋭さがスタンリーを狙撃手として海兵隊で特別な地位に持ち上げたのだし、詰まるところ、戦場でそうなのであれば日常生活もそうなのだ。
 寝ていても情報は絶えず拾っている。だから、ゼノがこだわるペーパードリップの、ほとんどの作業が終わるそのタイミングの香りで目を覚ますというのが、自分の脳の下した最適解なのだろう。
「おお、実にエレガントだな、スタン」
「たまにゃ、俺が先に起きてあんたに淹れてやるってのもアリだけど」
「君のコーヒーの淹れ方はエレガントではない」
「や、前は美味しいっつってたじゃん」
 そう言った表情は苦み走っていたが。別に豆はいつもゼノが好んで使っているもので、強いて苦味の強いマンデリンを使ったわけではないのだが。
「君が淹れるコーヒーは毎回味が変わるんだよ」
「日替わりでめでたいじゃん」
「意図しない再現性のない結果は誇るものではないよ」
「嫉妬すんなって」
 むっと唇をひき結んだゼノに笑う。
「で、珈琲が好きか嫌いかって話だっけ?」
 寝起きでまだセットされていない前髪に手を伸ばし、くしゃりと撫で回す。
「好きも嫌いもねーよ。あんたの淹れたのしか飲まねーかんね、基本」
 珈琲を好んで飲む習慣がスタンリーにはない。任務中はカフェインは敢えて摂らないようにしているし、日常生活でわざわざ自分のために珈琲を入れるほどの手間をかける気もなかった。たまに外食した時に、食後のサービスで飲むくらいだ。
 しかしそういう場所で飲むコーヒーは、なんとなく味気なく思うのだ。スタンリーの知る珈琲とはゼノの淹れる珈琲であり、それ以上でも以下でもきっと納得はできないのだろうと、そんなふうに妙な確信を抱いている。
「あんたに馴らされてんの」
 スタンリー・スナイダーが煙草に固執するように、ゼノ・ヒューストン・ウィングフィールドもまた珈琲にはこだわりをもっている。それはお互いにとっての理解の範囲外のことであり、スタンリーの好む煙草の味わいをゼノは理解できないし、同じようにスタンリーには珈琲の美味しさをゼノほどに理解できているとは言い難かった。
 それでも、ゼノの淹れるそのコーヒーの香りは嫌いじゃないなと思うのだ。自分でも同じようにやってみたいなと思う程度には。
 それはゼノが丹精込めて手を尽くした至極の一杯への共感もあるのかも知れない。
 丹精込めて愛された次の朝、同じような愛を自分以上に普段からゼノに向けられている珈琲で迎えるというのは、倒錯的なようで、そのくせ言葉あそびじみた、一種の児戯のような心地よさをスタンリーに与えてくれる。
 珈琲の香りのする朝は、つまりはゼノの家で迎える朝なのだ。
 ゼノはスタンリーの言葉に少し目を丸くしてから、可笑しそうに笑った。
 そうして、ゼノもまたスタンリーの髪の毛に手を伸ばしてくしゃりと梳く。「そういえば今日はまだ言っていなかったね」と。
「おはよう、スタン」
 ゼノが笑う。
 その顔が見られるから、ああ今日も目を覚ませて良かったと、スタンリーはそう思えるのだ。
 名を呼ぶその声をもっと近くで感じたくて、おはようの挨拶に代えるようにゼノの唇に触れるように口付けた。
カット
Latest / 74:10
カットモードOFF
文字サイズ
向き
チャットコメント通知
0703ワンライ
初公開日: 2021年07月03日
最終更新日: 2021年07月03日
ブックマーク
スキ!
コメント
ワンライ原稿
19世紀
19世紀イギリスパロのゼとスタ
かろん
新刊原稿
スタゼノハイスクールデイズ本
かろん
【愛され左京さん】プチプチする左京さんと ★
プチプチする左京さんに寄り添う各組+α 春:こっそり近付く千景 夏:△プチプチあげる三角 秋:106…
のーべる