パソコンのエンターボタンを右手小指で押した途端、どっと疲れが押し寄せた。間に合わせで購入した折り畳みデスクの上で、ノートパソコンが静かに唸る。これを購入した八年前には、こんなに酷使するとは思わなかった。
私は両腕をあげて、肩の凝りをほぐすように頭の上で腕を動かした。ノートパソコンの右下に表示されている時刻は、午後六時を過ぎている。会社にいれば就業終了時刻だ。しかし、リモートワークの日々を送っている今、仕事と仕事以外の境界線が曖昧になっている。
長いあいだ物置として機能していた丸い椅子から立ち上がった私は、六畳の部屋を出て玄関から直接繋がっているキッチンの前に立った。電気ケトルで湯を沸かしながら手を洗う。マグカップを取り出し、コーヒー豆やドリッパーを準備する。
曖昧な境界線を明確にする作業。フィルターに粉末を入れて、湯を注ぐ。カフェインの香りが、疲労した心に心地よく染み渡っていく。
この香りを嗅ぐと、私はいつも祖母を思い出す。
祖母の傍にはいつもコーヒーがあったように思う。
私が五歳になった夏、弟が生まれたことで母はそちらにかかりっきりになった。新生児と幼児の世話を同時にするのが困難な母を助けるべく、夏のあいだ、私は祖母と一緒に過ごす事が多かった。
自宅から車で三十分ほど離れた祖母の家は、古い平屋だった。玄関の前のアスファルトにはヒビが入り、周囲にはコンビニもスーパーもなく、だからと言って閑静に包まれているわけでもない、どこか禍々しさを漂わせた場所だった。子供ながらに、あまり好きにはなれない場所だったが、文句は言えなかった。私は五歳児なりに庇護されている現状を受け入れていた。
祖母の家にはおもちゃひとつなく、テレビは子供向けの番組ではなく、ワイドショーやバラエティーを映していた。幼稚園に迎えに来る祖母はいつも薄汚れたエプロンを身に着け、私を連れて帰って来ても、私の好きなチョコレートやクッキーやポテトチップスを準備してくれなかった。
ところどころに傷の入ったガラステーブルに並べられた羊羹や大福をお茶請けに、祖母は日に焼けた花柄のソファーでコーヒーを飲んでいる時が一番幸せそうだった。
祖母は気性が激しい人だった。若くして祖父を亡くした祖母は、昭和という時代で母を含めた三人兄弟を女手ひとりで育ていくうちに、あらゆる意味の強さを身に着けたのだろう。子供である私相手にでも意見を曲げる事をしなかったし、テレビのチャンネル争いにも本気だった。
そんな大人げない祖母は、和菓子を食べる時も、朝ごはんにパンと漬け物を食べる時も、コーヒーを飲んでいた。たいした料理もせずに、洋服にも無頓着を見せる祖母の、コーヒーを淹れる手つきだけは丁寧で、美しかった。
――おばあちゃん、わたしもそれ飲みたい。
端のほうは床が腐っているから近づいては駄目だと耳にタコができるほど言われた台所で、足元に気を付けながら祖母に近付いた私に、祖母は言った。
――これは大人の飲み物だから、駄目。
まるで宝物をひとり占めした表情を浮かべた祖母は、そう言ってカップに角砂糖をみっつ入れた。それは、大人にしか許されない魔法の結晶のように思えた。
大学の進学と共に地元を離れた私は、祖母と少しずつ疎遠になっていった。しかし、友人とカフェに行く時、レポートに追われた時、失恋に傷ついた時、傍には常にコーヒーがあった。
大学を卒業した後も地元を離れたまま就職した一年目の秋、仕事に奔走していた私に一本の電話が入った。五歳離れた弟からだった。
――姉ちゃん、ばあちゃんが倒れた
すっかり声変わりした弟の言葉に、私はその意味をすぐには飲み込めなかった。
すぐに帰省し、病院に着いた時には、祖母は亡くなっていた。脳梗塞だった。
狭いキッチンにカフェインの香りが漂い続けている。この香りを嗅ぐたびに、私は祖母を思い出す。そして祖母の暮らしていた古びた平屋、でこぼこの床の台所を思い出す。
世間での感染症流行のため、ほとんど誰にも会わない日々だった。気安く実家に帰る事もできず、出勤することもままならない。会話をする相手は八年間お世話になっているノートパソコンのみで、ふとフローリングに立つ足元がおぼつかない感覚に襲われる瞬間がある。
私にコーヒーの飲み方を教えてくれたのは祖母だった。私が十五歳になった時に、昔から使っているコーヒーメーカーで淹れてくれた。角砂糖をみっつ。呪文のように淹れてくれたそれは苦みと甘さが混じっていて、祖母の好きな味だった。
おばあちゃんこれ甘いよ。そう言った私に、祖母は困ったように笑った。――あんたはブラックの方が好きなんかね。
それは、祖母が淹れてくれた最初で最後の一杯のコーヒーだった。甘いのにも関わらず、私はその香りに病みつきになり、それ以降、祖母の言う通り私はブラックコーヒーを嗜んでいる。
一人暮らしを始めた学生の頃と同じように、今でも私はコーヒーに救われている。カフェインの香りで、私は現実に帰ることができる。終わりのない世界、だけど命に限りのある世界。
祖母はもともと高血圧気味で、他にも基礎疾患をもっていたという。私は何も知らされていなかった。幼少期の時間は、そのまま続いていくものだと思っていた。
学生の頃も就職をしてからも、その気になればもっと帰省できたはずだった。どうしてもっとおばあちゃんに会いにいかなかったんだろう。残る後悔は、ちくちくと私の胸をひしめかせる。
私はキッチンに立ったまま、マグカップに口を付ける。熱い液体によって唇と舌を刺激され、ささやかな酸味と心地よい苦みによって疲れを癒された私は、一日の終わりを身体に染み渡らせていく。角砂糖を入れなくてもどこか甘く感じるコーヒー。いつも難しい顔ばかりをしていた祖母の微笑んだ顔が脳裏をよぎった。