金曜日の三限目の授業が始まると、音楽室からピアノの音と歌声が聞こえてくる。受け持ってる授業もこの時間は無く、授業で提出されたプリントに一応目を通そうと紙の束を手に持ってオレの城となっている準備室に入る。窓を開けると上の階にある音楽室からの音は良く聞こえてきた。もう十年以上一緒に居る腐れ縁の歌声だけがやけに耳に届く。
アイツ、本当に元気だよな。生徒と一緒になって歌ってる教師なんて珍しすぎるだろ。
歌が止まって、アイツの声が聞こえなくなっても教師として頑張ってるんだよなぁ、なんて考えては不思議と口角があがるのが分かる。さっさと終わらせるかと体を一度伸ばして肩を軽く解すと、備え付けのオレの席に着く。面倒だけどこれぐらいはやっておかないと来年の職が無くなってしまう。この城を手放すにはまだ惜しいから。時折聞こえてくるディノの声に背中を押されるように、溜めていたプリントたちと向き合った。
それでも心地良い風と上の階から届く生徒と教師の声は二日酔いの頭は簡単に眠気を誘ってくる。紙の山が半分は削られてきた頃、重たくなった瞼に負けて机に伏せてしまう。あ、またディノが歌い出した。そんな認識をしながら睡魔に白旗を上げてゆっくりと意識を落としていった。
「キース。おーい、キース」
ぐらぐらと肩を揺らされて、意識が急浮上させられる。ディノにまた起こされてることを認識すると同時に、頭にガンガンと鳴り響く音に上半身を起こすことを拒まれていた。
「あ~っ、頭いてぇ……」
「昨日のお酒がまだ残ってるんじゃないのか?」
「それは否定できん」
なんとか起き上がって大きく欠伸をして瞬きをする。クリアになった視界にはぐしゃぐしゃになったプリントと、呆れた表情をしたディノがいた。
「……あれ。ディノ授業は?」
「もう昼休みだぞ。一緒にご飯食べようと思って来たんだけど」
ほら、と手に持っているのはディノとオレの昼飯が入った袋。壁にかけている時計に目を向けると時計の針はいつの間にか昼休みに入って十分ほど過ぎた時間をさしていた。
「おー……もうそんな時間なのか」
「受け持ちの授業が無いからって寝てるのはどうかと思うぞ?」
「すまんすまん」
凝り固まった体を伸ばしながら立ち上がって備え付けた機械で珈琲を入れる。隠して置いてあるマグカップを取り出してディノ用にシュガーとミルクを入れた珈琲を用意すると、オレ用のブラックと片手ずつに持って運んだ。
「ん」
「ありがと」
一緒にこの学校の教員になって、当然のように昼食を共にする定位置となった場所でディノが用意してくれたパンを貰って食べる。オレ様に渡された袋の中には二日酔いに効くらしいシジミ汁も入っていて思わず乾いた笑いが零れる。
いただきます、ごちそうさま。その間はポツポツとした言葉のやり取りしか生まれない。静寂の空間でも居心地は悪くない。オレの倍の量のパンを腹に入れて満足そうに笑うディノは当たり前だというようにオレの肩に凭れてきた。誰か生徒に見られても知らねぇぞ。ふと浮かんだ言葉を口にすると素直に離れてしまうだろう。それはなんとなく嫌で口を噤んでしまう。
「あ~お腹いっぱい。この時間って日差しも丁度良いし、風も気持ち良いんだな」
「まぁな~よく寝れるからありがてぇ」
「学校で寝ちゃダメだろ」
「そりゃそうだ」
ここで聞くディノの声も良いもんだけどな。オレが空いててディノが授業を受け持ってるこの時間は一週間のたまった疲れを癒してくれる。この時間の為に頑張ってると言っても過言ではないが、本人に言うには恥ずかしすぎるから口にすることはない。
「……キース」
「なんだぁ?」
「十分経ったら起こしてくれ」
目を丸くする。何を言ってるんだとディノに目を向けても肩に頭を乗せられたままで上手く表情は見ることは出来なかった。
「お前……たった今オレに学校で寝るなって言ってただろ?」
「俺はすぐ起きるもん」
「もんって」
子供かよ。思わず飛び出そうになった言葉に口を慌てて抑える。そんなオレの言動には気付かずにディノはゆっくりと口を開くのを止めない。
「なんだかさ、キースの心音聞いてると落ち着くんだよな。メトロノームみたいな感じ。だから大好き、なんだ……」
最後は殆ど寝息に紛れていき、急に肩にかかる重さが増える。こいつ、喋りながら寝やがった。器用なことをよくやれると肩を落とそうとして、ディノの重みに気が付いて溜息だけにした。
いつも大の大人のくせにくっついて眠る理由をようやく知れた気がする。メトロノームってなんだっけという疑問はあるものの、ディノ専用のソレになってやるよ。なんてキザったらしいことを胸の内だけで呟いた。