それはまるで雷のようだった。
 逆さまの空。全身に襲い来る浮遊感。叩きつけられるような風圧。あ、オレ、落ちてる。そんなことを呑気に考えたとき、雷がフロイドを掬いとった。
「大丈夫か!?」
 そのときからずっと、フロイドの右手は火傷をしている。
 ***
 て、あったかいね。
「あぁ、そうだな。体温は高い方かもしれない」
 おれ、あんたとてぇつなぐのすき。
「本当に? はは、嬉しいこと言ってくれるじゃないか。俺もだよ、フロイド」
 あとね、てぇつなぐのもすきだけど、それだけじゃなくてね。
「うん。それだけじゃなくて?」
 すきなのは、それだけじゃ、なくてね……。
「どうしたんだ? 言ってごらん、フロイド」
 えっとね……。
「ほら、フロイド」
 おれが、すきなのは……。
「フロイド。起きてください」
「…………はぇ……?」
 薄く目を開けると、視界いっぱいに広がる片割れの姿。その後ろにホタテ貝のシャンデリアが見える。ぱちぱち、瞬きをすると、片割れは呆れたように溜息をついた。
「あなた、今日の一限目を逃すと単位を貰えませんよ。アズールに怒られたくはないでしょう」
 あぁ、そうだった。顔をしかめる。気まぐれに出席していた結果、先週になってとうとう担当教員からアズールに直接話が行ったのだ。あと一回フロイド・リーチの無断欠席が認められた時には成績を与えないこととする、と。なお他の科目の教員は注意すらしないまま点数だけを引いていくので、この教員は比較的優しいと言えるだろう。もし彼がNRC生だったなら、間違いなくオクタヴィネル寮に振り分けられていたはずだ。案の定アズールはこめかみを抑え、フロイドの前に例の化粧水をちらつかせて今学期が終わるまではちゃんと出席するよう言いつけた。慈悲の精神のもとに。フロイドの頭の中で「サボりたい」と「アズールに怒られたくない」が天秤に乗っかってぐらぐらと揺れて、「雑巾絞りは嫌だ」が追加された結果、「アズールに怒られたくない」に傾いた。
 むくりと起き上がって、自分の右手を見下ろす。ぐっぱぐっぱと手を開いたり閉じたりを繰り返しても、ただ空気が指の隙間からすり抜けていくだけだ。しかしこの手は確かに、痛いほどの熱を覚えている。
 これで三日目だ。三日間、ほとんど同じ夢を見ている。あの日フロイドを盛大な空中遊泳から掬いあげてくれたあの手と、手を繋ぐ夢。熱くて火傷をしてしまうのに、心地よくて、胸がいっぱいになる。そんな夢だ。
 幸せな夢、なのだと思う。だけど同時に、手が、顔が、胸が、全身が焼けてしまいそうになるのだ。あの夢を見るたび、起きたら身体がじりじりと熱くて、これ以上耐えられないという気持ちになる。要らない。もう要らない。限界だ。……嫌じゃ、ないけど。
 今までに感じたことのない感情の荒波に、フロイドのストレスは溜まる一方だった。嫌じゃないのに、幸福なのに、耐えられない。そんな複雑なもの、フロイドの中には必要なかったのに。やりたいからやる、やりたくないからやらない。そういうシンプルなものだけで良かったのに。早く捨ててしまえばいい、忘れてしまえばいい。そう思うのに、フロイドの思考はこの三日間ずっと同じところをぐるぐると回り続けているのだった。
 ウーッと唸って頭を掻きむしる。意味分かんねえ。オレがオレじゃないみたい。あの日からだ。三日前のあの日あのとき、あの雷みたいな衝撃を受けてから、フロイドの体はおかしくなってしまった。捨てられない。忘れられない。あの感覚が、あの温度が。あまりに早くて、一瞬で、焼けるような熱さの。まるで雷のような。
「もうっ、むかつくむかつくむかつく! こうなったら、直接抗議してやる!」
 ***
「そういうわけだから、どーにかして」
「……どーにか、って」
 どう、言えばいいのか。
 それはまるで嵐のようだった。教室を移動している最中、突然影が差したかと思ったら窓からひらりと浅葱色が現れて。一言「来て」と言ったかと思えば、目にもとまらぬ速さで肩に担がれ。体が反応できずに取り落とした教科書類をリリアが拾ってくれた光景が、ぐんと遠ざかって。その後のことは思い出したくもない。命綱ナシの完全人力絶叫マシンなんて二度と利用することは無いだろう。腹の中のものを出すまいと必死になっているうち、ようやく止まったのはトレイも来たことがない場所だった。本校舎の屋根が見えるのでそこまで離れてはいないはずだが、全く人の気配がない。まるでここだけが日常と切り離された空間のようで、トレイは落ち着けなかった。そんなところでトレイは特に関わりがあるわけでもない後輩に両肩を掴まれ、滾々と語られたことには、こうである。
 トレイに掴まれた手が忘れられなくて、夢にまで見る。どうにかして欲しい。
 ……どう言えばいいのか。
 覚えはある。三日前、学年混合での飛行術の授業の際、リーチ兄弟のどちらか、空高く上がっていたのでたぶんフロイドの方だ。彼がずいぶんと不安定な姿勢で箒に跨っているものだからハラハラしながら見ていれば、ふっと糸でも切れたかのように落ちたので、とっさに助けたのだ。それは確かな事実だ。彼がバランスを崩す前から注視していたので、誰よりも早く動けたことも事実である。落とすまいと掴んだ手が恐ろしく冷たくて驚いたのも確かであるし、その後トレイが調べたところによると人魚はヒトの肉体を手に入れたあとも低体温であることが多いというのもどうやら確かなようだった。向こうからすれば、突然触れたトレイの手の温度が衝撃的に思えるのも頷ける。
 だから、まあ、それが忘れられないのも、夢にも見るのも、普通だ。
 とは、流石に思えない。
 フロイドが言うには、夢の中でトレイとフロイドは非常に仲睦まじい姿を見せるらしい。そんなことまで事細かく言わんでいい、と口を挟めなかったのはトレイの性分だ。だってフロイドは本気で悩んでいるようだし、本気でこの問題を解決したいと思っているのだ。とても茶々は入れられない。だがなんと言えばいい。繋いだ手が忘れられなくて、夢にも見るだなんて。その感情は、トレイのまだまだ未熟で単純な頭では一つの言葉でしか言い表すことができなかった。
 しかしその言葉はトレイにはとても言えない。言えるわけがない。何故なら。繋いだ手が忘れられなくて、夢にも見る。それを恋だと。認めてしまったら。
(俺も、フロイドに恋をしていることになってしまう……!)
 三日前、トレイがフロイドを助けた、そのあと。トレイは彼の冷えた手が忘れられなくなっていた。大きくて冷たい手。ひんやりとして、すべすべしていて。これまでに経験したことのない感覚は、その日いちにちトレイの頭を支配した。その結果。
 きみはてがつめたいな。
「そう? まぁ、人魚だからね。……ヘン?」
 そんなことないさ。きみとてをつなぐのはすきだよ。
「ほんと? へへ、嬉しい。オレも」
 あと、てをつなぐのもすきだけど、それだけじゃなくて。
「うん。なぁに?」
 すきなのは、それだけじゃ、なくて……。
「どうしたの? 教えて欲しいな、ウミガメくん」
 ええと……。
「ふふっ。ウミガメくん、かわいい」
 えっ!? か、かわ……!?
 そうして飛び起きたことまで鮮明に覚えている。こんな夢をこの三日間、毎日見ているのだ。信じがたいが、これは恋なのではないか。そう思い始めていたのは昨日のことである。まさか今日になって本人からこんなことを言われるだなんて思ってもみなかった。久方ぶりに真正面から見た本物のフロイドは、夢の中の彼よりもちゃんと年相応だった。トレイは唇を噛み締める。
「ねぇ、ウミガメくん聞いてんの? どーにかしてってば。オレ、もうウミガメくんのことばっか考えておかしくなっちゃいそうなんだけど!」
 勘弁してくれ。ただでさえ高めの体温がどんどん上がっていくのを感じる。どうしよう、あぁもうだめだ、フロイドのことばかり考えておかしくなる。
 遠くから予鈴の鐘が鳴っている。フロイドの冷たい両手はしっかりとトレイの肩を掴んで、まだまだ開放してくれそうにもなかった。
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向き
フロトレ
初公開日: 2021年02月19日
最終更新日: 2021年02月19日
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ジェイトレ書くよ~
通話しつつなのでよく手が止まります
ふじだに
202104141404
お題「うたた寝」「雨」「時計の針」
唯代終
スネックたやのプロフ
スネックたやのプロフィールを考える会
ぐーす
300字SS 「夕」Tw300字ss様 企画
ツイッター Tw300字ss様の企画 お題「夕」に挑戦します。
松本いおり