(年末上げたやつの続きから)
僕一人口を噤んでいるだけで、事態は淡々と進んでいった。
巻き込まれた民間人を保護し、暗示をかけて悪魔のことを忘れさせ、派手に大騒ぎして壊してしまったテナントは適当な言い訳をつけて修繕費を補填する。セミナーの主催団体はカルトとして手配され、別の部隊が事務所に踏み込んだらしい。最も代表はどこかに逃げた後で、僕が手に入れた潜伏先も既に放棄されていたそうだ。それでも悪魔召喚師となった何人かの部下は拘束し、悪魔召喚プログラム入りの端末もほとんど確保できている。後ろ盾のない首謀者が見つかるのは時間の問題と思われた。
「で、いつまで落ち込んでんの、デュースくんは」
進めていないのは僕だけだ。あの日、功績と引き換えに、何かを捨ててしまったような喪失感が一向に拭えない。
昼シフトが終わって帰り道、日用品の買い物に寄り道をしていた。エースは荷物持ちとして連れ歩いている。文句は多いが逃げることは少ないので、日頃から容赦なくこき使っていた。トイレットペーパーや洗剤などを気にせず買い込めるので僕としては有り難い。悪魔の常時顕現権の使い方を間違っている自覚はある。
反論はできなかった。あの日から明らかにパフォーマンスが落ちている自覚がある。注意力も反射速度も落ち、荒い動作はミスを招き、自力でのリカバリもままならない。大規模な作戦がなくてよかったと思う。何か取り返しのつかない失敗をしてしまうだろうことが目に見えていた。
「考えんのも下手なら愚痴吐くのも下手とか。ほんと不器用だよねー」
何も答えず、黙々と歩くだけの僕の隣で、エースが大仰に肩を竦めた。見抜かれているのが悔しいのと同時に、言い訳を並べなくてもいいことにどこか気楽さを感じる。
許されている、と思った。僕が僕であることを、器用に生きられないことを、あの日のことを何一つ割り切れないままでいることを、許されていると思った。腹立たしいことに、その認識は少なからず、強張ったままの僕の肩からすっと力を抜かせることに成功していた。
「……エースのくせに」
「当然じゃん」
礼を言うこともできないから、口から出たのは意味のわからない憎まれ口だった。さらりと聞き流されるのにぎろりと傍らの悪魔を睨みつける。
睨もうとして、視線を流した、先。
車道の向こうの路地。おどおどと辺りを見回す不審な男がいた。顔を隠そうとしてか、深くフードを被っており、体格くらいしか個性が見出せない男。
その男が踵を返して路地に消える瞬間、角度の問題か一瞬だけ顔が窺えた。
「は? ちょ、おいデュース!」
荷物を放り出して一直線に駆け出した僕に、エースが怪訝な声を上げる。車道を突っ切ってクラクションを鳴らされながら、僕は男が消えた路地に駆け込んだ。
「セミナーの主催だ! 本部に連絡してくれ!」
「マジかよ!?」
僕は『女王の心臓』が管理している寮に住んでいるから、当然この地域は本部のすぐ傍だ。こんなに近くに潜んでいるとは思わなかった。灯台下暗しというやつだろうか。今日まで見つけられなかったのだからその考えは正しかったんだろう。
(でも今見つけた。必ず捕まえる。細かいことはその後でいい!)
住み慣れた地域ではあるが、路地のつながりまでは把握していない。人目を避けるなら奥まった方へ向かうだろう、という勘だけを頼りに進んでいく。昼だというのに建物に遮られて妙に暗く、湿気て肌寒い道だった。
どれほど駆けたか、ぎゃあ、という声が耳に届いた。震えて、潰れたような男の声だった。このトラブルが首謀者に繋がっているのか、深く考えずに声のした方に走る。
「――へェ?」
路地の先、行き止まり。三方を雑居ビルとアパートに囲まれて、取り残されたような狭い空き地。
不法投棄と思われる家具や家電の山の上、ゆったりと腰掛ける男がいた。
「女王様の足舐めるしか能のねぇ犬も、案外鼻が利くもんだな」
組んだ足に肘をつき、手の甲に顔を預けた男が、ゆるりと目を細めて僕を見下ろしている。ガラクタの上だけは日の光が届いて、目の覚めるようなグリーンアイをきらめかせていた。
呻き声が聞こえてはっと目をやると、ガラクタの山の下、男が一人俯せに押さえつけられていた。先程見たフードの男。セミナー主催の悪魔召喚師だ。気付けば空き地には数人の荒れた雰囲気の男達がいて、どれほどガラクタの山の上にいる男に目を奪われていたのかと戦慄する。場の空気をすべて食ってしまうほど、圧倒的なオーラを放つ男。どう考えたって只者じゃない。
今の僕はシフト帰りでロクな装備も持っていない。順当に行けば返り討ちだ。それでも逃げ帰るわけにはいかなくて、そっと拳を握りしめた。
「……特殊災害案件対策局『女王の心臓』所属、デュース・スペードだ。その男はテロ行為を立案した角で手配されている。即刻引き渡してもらいたい」
「断る、と言ったら?」
ガラクタの上の男は嬲るように笑った。僕に勝ち目がないことをわかっていて、敢えて僕を泳がせるつもりなのだろう。好都合だった。時間を稼げば、エースが呼んだ応援が来てくれる。この場所を特定するには時間がかかるだろうが、周辺を囲んでいれば、僕が取り逃がしたとしてもこいつらを拘束してくれるだろう。
地を踏みしめ、奥歯を噛み締める。絶対にここを動かないと決めた。こいつらをここに留め置いていれば、僕の目的は達成できる。
「その男は秩序を乱した。許されることじゃない。方法として悪魔を使うなら、『女王の心臓』が許さない。拘束し、しかるべき裁きを受けさせるのが自分の仕事だ」
「許さない、ねぇ……それでどうする気だ? 俺たちを全員倒して、そいつを女王様のとこまで引きずっていくってか?」
下卑た笑い声が周囲から響く。できるわけがない、と嗤う声だ。そんなの僕自身が百も承知だった。それでもやらなければならないし、最悪戦闘になったとして、あの男の片腕くらいは持って行く覚悟でいる。できれば目がいい、と思ったところで、男の左目に傷があることに気付いた。虹彩に濁りはないようだが、眼球は傷つかなかったのだろうか。まぁ直接戦闘になったら狙っておこう。
「そちらが黙って引き渡してくれるならその必要はない」
「はいそうですか、どうぞご自由に……なんて言うんなら、最初っからこんなとこまで来るわきゃねぇだろうが」
ハン、とガラクタの山の男が鼻で笑った。追従するように、山の麓からも笑い声がする。シシシ、と歯の隙間から息を抜いて笑う男は、俯せた首謀者の頭を靴先でつついた。
「こいつはねぇ、ウチの金とCOMPを盗んで逃げたんスよ。ボスがちゃーんと考えて管理してんのに勝手に手ぇ出して、許可も得ずに独立なんて……ねぇ? それこそ『許されること』じゃない、でしょ?」
つついていた靴裏で、ごん、と首謀者の頭を踏みつける。そのままぐりぐりと地面に擦りつけながら、男は酷薄に笑った。
「落とし前つけなきゃなんねーんスよ。ウチで始末つけなきゃ他所に舐められる。アンタんとこにお任せってわけにゃーいかねぇんスわ」
だから、ね。
にぃ、と笑うのに合わせて、ガラクタの山の男がすっと手を上げる。……ガラクタの陰から、路地の暗がりから、現れた異形に咄嗟に身構えた。
(最初から悪魔を配置していたのか!)
「めんどくせーんで、悪ぃけどここで死んでくださいッス」
数の不利を考えている暇はなかった。掲げられた手を下ろしたとき、悪魔たちが放ったのは呪殺のスキルだったからだ。
『ムド!』
『ムド!』
『ムドオン!』
『ムドオン!』
いくつもいくつも重ねられる致死の呪い。
呪殺のスキルの成功率はそう高くない。僕なんかは走って行って殴った方がよほど早いと思うくらいだ。しかしこの数に囲まれて一斉に放たれれば、まぐれでも一回は当たる。
(あ、これは、やば――)
元々僕はあまり運がよくない。任務中なら補正のための呪具も持っているが、今はロッカーの中だ。かくん、と膝が折れて、堪えることもできずに地面に沈むのを、他人事のように認識した。
これで終わり。これで終わり? こんなにあっさりと? 何かを為したという実感すら湧かないままここで死ぬ。冗談じゃない。冗談じゃなかった。それでも僕には、もう抵抗の術が残っていない。
周りの男達が笑っている気がした。それに憤ることもできなかった。
視界が暗く、沈む――
「――オイオイオイ冗談じゃねーぞテメェ!」
鼓膜を声が叩いた。内容を理解したのは数秒後だ。
はっと気付けば周囲の様相が一変していた。もくもくと立ち上る煙、きらきらと光るのは込められた破魔の力。『女王の心臓』御用達、ハマの効果付き発煙弾だ。起き上がろうとしてぱきんと手元で何かが割れる。地返しの玉の欠片だった。
「起きたか!? 起きたな!? ずらかるぞ馬鹿デュース!」
腕を掴んで引き起こされる。見れば人間の装いを捨て、悪魔の姿を晒したエースがそこにいた。煙の中にあってさえ、縦長の瞳孔の瞳がきらきらと眩しい。まだ事態を把握できていない僕に焦れたか、舌打ちしたエースは無理やり僕を抱え込んだ。急に重力の方向が変わった僕は戸惑って、自分の身の置所を決めかねるうち、本当に視界が回る。
「ちょ、っと待てエース、えー……う、わああああ!?」
「口閉じとけ! 舌噛んでも知らねぇぞ!」
確かにエースの背には翼があるし、実際飛ぶところも見たことはある。あるけれども、まさか僕を支えて飛ぶことができるほどとは思わなかった。ばさりばさりと空を掻く皮膜の羽は、見た目よりも確かに二人分の重さを支えて、やがて周りの建物の一つに降り立った。
路地を作る雑居ビルの一つ。屋上に人が出ることは想定していないのか、周りに柵はなく、埃や風に運ばれたゴミで小汚かった。そこへ降ろされて、エースに支えられながら膝をつく。まだ足が震えていた。
「奴ら、は」
「モノ投げられたって察知した時点で逃げたよ。……ほんと、もー、勘弁しろってば」
こっちは悪魔だっつーのに、心臓がいくらあっても足りねぇ。大仰な仕草はいつも通り。肩を竦め、溜め息を吐くエースは、しかし足元の僕に厳しい目を向ける。
「……なぁ、こないだの今日だぜ。学習しろよ馬鹿デュース。いい加減一人で突っ走んな。何のためにオレがいつも表出てると思ってんの?」
ひた、と見据える目を真っ直ぐに見返せなくて、僕は手元に目線を落とす。裸の手は握りしめすぎて真っ白だった。
(――こんなに何もできないなんて)
それなりの自負はあった。この手で倒せないものなどないと、うっかり何か致命的なことをしてしまいかねないと、そう思ってきた。けれども事実として、今日僕はこの手で何かをすることもできず、一方的に蹂躙されて終わるところだった。エースの助けがなければ、僕はあのまま路地に転がって、応援が駆けつけるまでに冷たくなっていただろう。
自負があった。自信があった。そんなものに意味などないと、突きつけられるばかりだった。
「僕は、」
俯いて、震わせた唇から、弱々しい声が漏れた。自分でも驚くほど、頼りない声だった。
「何もできないんだな……」
何かを為せるなんて、何かになれるだなんて、おこがましい。僕は僕が思っているほど強くないし、手の届く範囲はずっと狭い。
「当たり前じゃん。自惚れんなよ、人間」
俯いた顔をぐい、と引き上げられる。目の前にヒト離れした瞳孔があった。掴まれた襟首が、少し苦しい。
「忘れんなよ悪魔使い。お前らは力の足りなさを嘆き悲しんで、オレらに助力を乞うたんだ。お前らはオレらにマグネタイトと経験を与える。オレらはお前らに力を与える。これはそういう契約だ。お前が望んだ契約もそういうもんだ。今のままじゃ足りないから、一人じゃ手が届かないから、悪魔喚んでまで届かせようとしてんだろうが」
オレを呼べ、契約者。
僕の眼前で悪魔が言う。
「オレの名を呼び望みを叫べ。お前の魂を、マグネタイトを寄越せ。代価に見合う分だけ、お前を望みの場所へ押し上げてやる」
これは誘惑だ。破滅と堕落に導く悪魔の囁きだ。道の先に栄光はなく、崖の下で嗤う悪魔が大口を開けて待ちわびているだろう。
それでも僕は、襟を掴む悪魔の手を掴み返した。この手がろくでもないことなんて百も承知だった。薄々勘付いていて契約したし、時が経つにつれ勘は確信に変わったけれど、それでも契約を切らずにここまで来た。
悔しいことに。もう裏切られても仕方ないと思えるくらい、こいつを傍に置いている。
「――僕は、もっと、強くなりたい」
はっきりとあちらの目を見据える。手も足も、もう震えていなかった。苦しいほどの無力感は、明日への糧にするしかないのだと、もう僕は知っているはずだった。今日は少し、それに打ちのめされすぎて、抱える以外の術を忘れそうになっていたのだけど。
「力を寄越せ、エース」
まったくもって、腹立たしい。契約した悪魔に、それもよりによってこいつに、励まされ奮い立つことになるなんて。
僕の言葉に、赤い目の悪魔は、左目のハートを歪ませてにぃっと嗤った。
「――仰せのままに、契約者サマ?」
【???:密談】
「――いやめっちゃくちゃビビったんスけど。アンタいつの間に『女王の心臓』になんて入ってたんスか?」
「いや成り行き。そろそろ違うことすっかーっつって契約者探してたらたまたまそこの所属だった」
「テキトーかよ。まあいいんスけど……そんで、そっちはどうなんスか」
「どうってのは?」
「とぼけないでほしいッス。『女王の心臓』が隠し持ってた『決戦兵器』! あれっきり本気で音沙汰なくて、レオナさんはご機嫌ナナメだし、いっくら調べても何にも出てこないし、もうお手上げなんスよ。結局そっちが回収したってことでいいんスか?」
「いやーそれがさあ、見込みあるーって思って契約したはいいけど下っ端も下っ端でさ? ぶっちゃけそいつ、研修期間中だったから『決戦兵器』騒ぎのことぜーんぜん知らねぇの。笑っちゃったよね」
「いや笑っちゃったではなく。もーせっかく内部に堂々と入り込めるんスから情報くださいよーそーゆー契約っしょー? 何のためにオレがサバナクロー入って危ない橋渡ってると思ってんスかー」
「下っ端だっつってんだろ。いつ死んでも代わりが利くような実働班の平隊員だぜ? アクセス権もねぇしそもそも存在を知らねぇんだよ。悪魔が端末いじってたら即射殺でもおかしくねぇ組織だしな」
「そこはほらー、有能な悪魔の手腕でちょちょいーっと」
「無理。データに直接触んのは、少なくとも今は不可能。……ただ、これは不確定だけど」
「だけど?」
「『女王の心臓』は、『決戦兵器』を確保できてねぇんじゃねぇかと思う」
「……根拠は?」
「『女王の心臓』の目的は知ってんだろ。要になる『決戦兵器』が手元にあるんなら、次の段階に進むための準備をするはずだ。その気配がない
。あっても鈍い。大事な荷物がまた届いてねぇんじゃねぇかなー……って感じだな」
「ふーん……ま、参考程度にしとくッス」
「そーだな。ただの勘だ。ま、そっちもせいぜい荷物探しに精出してくれよ。オレはオレでやることがあるんでね」
「ちょっとは手伝ってくれてもいいんスよー?」
「忙しいから無理。……じゃ、またそのうちな」
「はいはいまた今度ー」
(潜入回終了。以下書いてるうちに生えたエースとラギーの伏せ情報です)
・エース
デュースに召喚される前、路地裏で会ったラギーと「魔界のゲートを開くのに協力する代わり、ラギーが生き伸びるための情報を提供する」契約を交わした。ラギーが今サバナクローにいるのは非合法組織で一番有力なのがここだから。
何やかんや現在の所属が「女王の心臓」であることを黙ってたし今後もロクに情報を流さない。
・ラギー
スラム出身で命根性が汚い。数年前路地裏で会ったエースと「魔界のゲートを開くのに協力する代わり、ラギーが生き伸びるための情報を提供する」契約を交わした。ラギーが今サバナクローにいるのは非合法組織で一番有力なのがここだから。
今ではレオナの能力とカリスマに本気で魅せられているが、一方レオナが劣勢になれば簡単に見限って強い方につくだろう自分に気付いてもいる。
(以下リリス回)
やあやあ観測者の諸君こんにちわ。堕天使「バルバトス」の分霊の一人、エースだ。
何だよそんな驚くことでもねぇだろ。超次元存在・上位存在がこの世界を観測してることなんて、ある程度世界の秘密に首突っ込んだことがある奴なら大抵知ってるぜ? その観測者の大半が娯楽目的で、この世界にほとんど干渉できないこともな。見てるだけ、なんてカワイイもんだろ。こっちに手を出して、下手に事態を動かしすぎるようなら……ま、相応の対処が必要だろうけどな。
怯えんなって。あんたらが余計なことしなけりゃそれで済む話だろ。だいたいオレは観測者の実在を感知できるほど存在の位階が高くない。こうやって喋ってんのは、ほとんど現実逃避みたいなもんだ。あんたらが「いる」って仮定した、相手のいる独り言ってわけ。
なんで突然こんなことやってんのかっていうと、まぁ、ほんとに現実を受け止めたくないからなんだけど。
知りたいか? まぁ見てる視点によっちゃもう知ってるんだろうけど。オレが現実を受け止めたくない理由は、
……よりによってリリスのCHARMにかかっちまったデュースに、殴り殺されそうになってるからだ。
【再開】
【眠くなってきたから30分くらいで終わりますね】
例によってアホをやらかしそうなアホの情報が入ったので、みんなで仲良くふん捕まえに行ったわけだ。近頃ボロボロだったデュースもちょっと持ち直してたので、最前衛の突入班。オレはまた室内戦だからって別部隊。
もうこの時点でだいぶ嫌な予感するじゃん。なんで、オレはテキトーなとこで部隊から離れてデュースを探しに行った。ちなみに今回の現場は中心街の素敵なオフィスビル。アホだろ? オレはアホだと思う。みんなアホだなって顔をしてた。デュースは頭抱えたそうだった。人が多いと誤魔化すのめんどくせえんだよなー。どうせ記憶処理とかは後方の担当なんだけどさー。ショックの強いもの見ると忘れさせんの面倒だからできるだけ見せないようにーとか無茶なこと言われるんだよなー。めんどくせ。
ビル周辺から人を遠ざけて……言い訳は何だったかな? まぁだいたいガス漏れとかテロ予告とか工事作業中とかそういう感じだから、今日もそのどれかだろう。一般人の人数を絞って、下のフロアから制圧していく。屋上には「女王の心臓」所有のヘリが着陸した。上と下から、逃げ道のないように。
何も知らねぇ一般人をビルから出してって、目的のカルト団体がダミー企業使って借りてるフロアまであと少し、って頃だ。
スピーカーがついた。
そこから女の声が聞こえた。
目眩がするくらい美しい、綺麗な声の歌だった。
(は、ウッソだろやっべ)
オレでも目眩がした。人間の一般隊員なんてイチコロだった。スピーカーから流れた歌は、超強力なCHARMのスキルだった。
小銃構えた腕をだらっと下げて、普段のキビキビした足取りなんて見る影もない千鳥足で、隊員たちはどこかへ向かっていく。オレは耳を塞ぎながらその流れを避け、ついでに隊員の一人の端末をスって地上の部隊にメッセージを送った。音声通信だとうっかりこの歌が下にも流れて、最悪全滅するからだ。
まだフロアに残ってた一般人も、隊員と一緒にどこかへ向かっていく。行き先はどうやら非常階段だった。フロアを移動するつもりなのだ。たぶん例のカルト団体の本部だろう。まぁそれはいいとして。よくはないんだろうが、ただの一般隊員のいち仲魔でしかないオレは別に考える必要がないことなので横に置くとして。
オレが最優先で考えるべきは、もちろんデュースのことだった。
(どー考えても絶対引っかかってんじゃんあの馬鹿はさあ!)
相手が放つバステスキル尽くに引っかかるデュースは、どうやらそういったスキルに対する抵抗が極端に低い。頑固なわりに妙な素直さがあるデュースは、たぶん「受け入れる」素地があるんだろうと思う。相手の指向に、要求に、どこまでも沿っていくことができる素地。馬鹿が過ぎるとここまでになるのかと逆に感心した。はーぶん殴りてえ。
護符を持ったりして対策をしているのだが、デュースときたら運まで悪いのでたまたまその日持ってなかったバステにかかることがままある。今日も確か魅了返しの護符は持ってなかったはずだ。まぁ持っていたとして、この無闇な強力さの歌に抵抗できたかどうかは疑問だが。
とにかくオレは、フラフラ歩いてく奴隷化した団体様の隙間を縫って、デュースのいるフロアへ急いだ。古今東西、CHARMをかけられた人間がロクな目に遭った試しがないので。というかオレがロクなことした覚えがないので。
そしてすれ違いざま、正気をなくした隊員の口から溢れた言葉に、オレは階段をすっ転びかけた。
「ああ……リリスさま……なんて美しい……声……」
(そりゃあ強力だろうな!?)
アダムの最初の妻。現在ではその立場より、「誘惑する者」としての異名の方が強い。一般人にアンケート取ったらアダムの名前より「よく知らないけどなんか色っぽいお姉さん」みたいな回答の方が多いだろう。特に男性相手のCHARMの効力が鬼のように強い。一般人の認識のせいか、人間界に降りる分霊はそういう能力持ちが大変多いと聞く。
で、問題は、もう絶対絶対CHARMにかかってるデュースをどうすればいいのかだ。
(できればリリスんとこには死んでも行かせたくねぇ……けど、これ足止めさせたら抵抗するやつかな……)
CHARMと一言で言っても効力にはわりと幅がある。目の前で武器振りかぶっててもぼーっとして抵抗しないくらい、指示通りに動かせるくらい、何も言わなくても勝手に術者のために働こうとするくらい、など。今回のコレがどれくらいの効力なのかは知らないが、この手の魅了は解こうとするとかけられた当人からの抵抗を受けることがある。正直オレもレジストがギリギリでいつもより体の反応が鈍い。今デュースに本気で抵抗されたら、うっかりCOMPに帰還させられることも考えられた。そうなったらデュースは止められないし、リリスの元へ向かったデュースが何をされるかわかったもんじゃない。
というわけでオレは目一杯急いだわけだが、こういうときの予感は悪い方が当たるものだ。
【足が痺れたしおなかがすいたし眠いので今日はここまで】
【お付き合いいただきありがとうございました】
【おやすみなさい】